たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

両崖山から野山周回

2021年05月17日 | 近所の栃木県の山
◎2021年5月8日(土)

 野次馬根性と言われればそれまでのこと。山火事の爪痕を早めに確認しておきたかった。火災は大岩山までは及んでいないようだから、様子見だけなら両崖山と天狗山の周回だけで済ませられるところだが、野山に行ったことがなかったし、以前、「野山ハイキングコース」の手書き標識を見て気になっていたこともあり、天狗山は省いて野山周回をすることにした。
 友人の事務所に車を置き、今回は織姫神社からではなく、通常コースの161m標高点に南東方面から合流する破線路を使ってみることにした。取り付きがどうなっているのか知らないが、近くに寺マークがあり、樹覚寺という寺らしい。そこに行けば、両崖山に向かう標識か目印くらいはあるかもしれない。

(破線路の入口)


(道型明瞭)


(ここで合流。標高161m地点)


 樹覚寺はすぐにわかったが、この寺の周辺に両崖山への道案内の標識はなく、「各宗共同墓地参道入口」と記された石碑から車も通れないような狭い路地が上に続いていたので、破線路はこれかと見当をつけて登ってみた。
 キリスト教や天理教の共同墓地を過ぎると、ヤブっぽい中になおも小道は続き、参道入口から20分で161m標高点に到着した。たまたま二人連れが両崖山に向かって通りかかったところで、この二人連れの歩きが自分にはちょうど良い歩きの目安になり、両崖山まで後ろを歩くことになる。さて、ここの合流点、自分が登って来た道型が明瞭に見えていながらも、標識は置かれていない。

(岩が焦げている)


 「両崖山まで0.8KM」のふれあい道標識までは火災の跡は確認できなかったが、ゴツゴツの岩場になると出てきた。部分的に岩が黒くくすんでいて、見上げれば木の葉が茶色に焼けている。この辺から北側の火災だったようだ。遊歩道歩きでこんなことを記していいのかためらうが、遠目で景色を眺めている限りは新緑の中を歩いて気持ちは良い。山火事があったという事実を知らなければ、意識もなく通り過ぎてしまう。見晴らしのきく尾根に出ても、前方に見える両崖山のピークは青葉の茂った山頂だ。今のところはの話だ。

(焚き火跡のように見えている)


(全体の景色を見ている分には火災はまったく感じない)


 だが、火災のことは全国的なニュースだったし、知らなかったでは済まされず、注意すると、次第に、焼け焦げた丸太が転がって焚き火跡のようになっているのがいくつも見え、樹の下部の幹が焼けているのが気になってくる。仙人ヶ岳の火災では樹木そのものが下から上まで焼けただれて累々としていたが、そういう光景ではなく、焼けた部分は樹の上の方までは達していない。
 ハイキングコースの左手・西側が延焼範囲かと思っていたが、右手を見ると、やはり木肌の下部が黒くなったのが下に続いている。西宮町に避難勧告が出たらしいから、火災の中心部は今歩いているコースの左下あたりだったのだろう。見下ろせるかなり下まで黒い樹肌の木々が目に入る。今日の歩き、結局は左の斜面を歩いたわけでもなく、火元と見られている天狗山近くの紫山にも行ってはいない。このハイキングコース歩きだけで無責任な山火事の爪痕見物をしたつもりになっていた。局部的にひどい状態の火災エリアは見ていないから何も言える立場ではないし、不謹慎な表現かもしれないが、ハイキングコース上を歩いて、左右の斜面を覗かない限りは軽い山火事だったのかなと思ってしまう。気持ちの中で、どうしても仙人ヶ岳の爪痕と比較してしまう。あそこはコース上が焼けていた。
 ハイカーが結構、入っている。そのほとんどがマスクを着用しているので、自分も外していたマスクを着けたが、息苦しさに暑さが加わった。今日の気温は高く、すでに身体も汗ばんでいる。ハイカーの多い両崖山までは我慢して、その先は外そう。ところでこのマスクだが、今回の歩きで落ちているマスクを3枚見かけた。おそらく、着けたり外したりの間に落としたのだろうが、モノがモノだけに、ましてこのご時勢ゆえに他人のマスクは身内であろうと不潔感は禁じえない。ばい菌の塊りのようなものを回収して自分のゴミと共に持ち帰るわけにもいかないので無視するしかない。これは山に限らず、路上でも落ちたマスクをよく見かけるようになったが、外して歩く際にはポケットに入れるのではなく、ザックやバッグの中に入れるとか扱いには注意してもらいたいものだ。

(展望台跡)


(下草と土も燃えたのだろう。葉は茶色になっている)


 その後も焦げ跡は続くが、さほどに無残な風景はない。山頂まで0.2KMの岩場ピークを通過。焼け焦げた木を集めて立入禁止のテープを巻き、モニュメント風に山火事跡をあしらったかのようなエリアがあった。コンクリの基礎がいくつかあったので、ここに何があったのだろうかと、その時はわからなかったが、帰ってから以前の写真を確認してみると、展望台だった。これはまさに跡形もなく焼け落ちたといったところだろう。

(両崖山下。ここは右手の葉のみ焼けている)


(ここもまたあまり感じないが、左の石垣が黒くなっている)


(最初、ここが火元かと思っていたがそうではなかった)


(山頂)


(比較。昨年の7月に撮ったもの。両サイドの木造社殿は無くなっている。木は焼けてはいないが、低い葉は燃えたようだ)


 いよいよ山頂下に着いた。石段下から見上げる限りは、特に変わった様子はない。ただ、並ぶ石祠の台座は煤けている。登ると、赤い鳥居も健在だし、天狗山方面に向かう左手の東屋も無傷。そして山頂に出ると、正面左右の木製の社殿は見事に消えていた。そして、神社の周囲にかかる木の葉は茶色になっていた。山頂の神社が燃えたということは知っていた。石の建造物もまた破壊されたと思っていたが、これは崩れもせずに残っている。不幸中の幸いといったところだろう。
 山頂には7人くらいのハイカーが休んでいる。やはり、自分と同様に火事跡がどうなっているのか気になってやってきた方々ばかりだろう。木造社殿に何が安置されていたかは知らないが、山頂そのものが燃え尽きた状態ではなかったことにほっとはした。ただ、繰り返しになるが、今回の歩きで、自分は、ここが最もひどいだろうところの火災跡を見てはいない。むしろ、見ないに越したことはないのだが。

(火災の爪痕は続く)


(この辺はかなり下まで焼けたようだ)


 立ち休みだけして大岩山方面に向かう。夕方に病院の予約が入っているし、駐車地に戻ってから、友人とくだらない話を交わす時間を考えればゆっくりもしていられない。ここから先は上り下りの連続で、自分には少々つらいことはわかっている。
 火災の跡は続く。ことに左手。樹肌がただれたように上まで炭化してしまった松の木もある。こんな木はもう死んでしまったのだろうなと思うとかわいそうになってくる。
 両崖山から0.4KM、毘沙門天まで2.3KMの小高いピーク。ここにはベンチも置かれていて、木製のベンチそのものは焼けても焦げてもいずに、オジサンが腰かけて休んでいたが、ここも下りかけると、地面が黒ずんでいるのが確認できた。これは下草が燃えたためだろう。一帯の土が黒い灰になっていて、これはまた痛ましい光景だ。マツが続いているから余計に燃えたのではなかろうか。葉もかなりやられている。後で思うに、行道山へのハイキングコースとしては、この辺が一番ひどかったようだ。

(両崖山を振り返って。焼けた葉)


(剣ヶ峰。この先、あの左から下ることになる)


(まだ続く)


(痛ましい)


(風向きなのだろうか。ベンチは無傷。葉が焼けているだけ)


(もう終わったかと思ったがそうでもなかった。延焼の傾向が今一つわからない)


 雷電神社分岐。ここの風景に変化はあまりない。二つのケルンもそのまま。倒木が一本丸焼けになっている。地表に倒れていたからそうなったのか、上まで焼けていたから切ったのかはわからない。自分には予想もできないが、こういう火災による荒れた風景は、これから梅雨に入り、猛暑を迎え、やがては紅葉の季節に入り、晩秋、芽吹きの春…といった移ろいの中でどう変化して行くのだろうか。完全に焼けてしまった木は別として、精気を復活させることはできるのだろうか。

(カタクリ自生地。この先に目立った焼け跡はなかった)


 続いてカタクリの自生地。ここは右下を林道が通っているせいか、燃えた跡はない。地蔵さんの囲いも無傷のまま。後ろから一眼レフを持ったオッサンがやって来て、「この辺はやられていないですね」と言うから、「林道があるから、延焼防止の放水作業もしやすかったんじゃないですかね」と答えたが、彼は「なるほど」と言いながら、林道に下って行った。カタクリを撮ろうとしたのなら、時期的にはもう終わりだろう。その後にオッサンに会うことはなかった。
 毘沙門天まで1.5KMの標識を過ぎ、林道を横切るあたりから、ようやく火災跡の風景は変わり、新緑の世界に入り込んだ。うっとうしい気分から開放されてほっとした。ハイキングコースとしてはほぼ2キロ分の焼け跡歩きだったことになる。もうこの先はあるまい。林道も沿っている。

(高速道。一時的に通行止めになったらしい)


(上り下りがしんどい)


 北関東道が真下を通る。歩くハイカーも少ない。そのほとんどが一人歩き。火事跡の確認目的だとしたら、大方は両崖山から天狗山に向かうだろう。立ち休みをしていたら、健脚そうなオニイさんにあっさり抜かれた。半そでTシャツに半ズボン姿だ。こちらは見るからに暑苦しい格好で、手袋こそ履いてはいないが、厚手のシャツで、手ぬぐいはすでにびっしょりになり、メガネの汗は予備タオルで拭っている。

(もう、ただの春山歩きになった。焼け跡はない。飛び火もなかったようだ)


(274.5m三角点)


(林道終点広場に出た)


 三角点を通過し、林道を歩いてまたふれあい道に復帰。ようやく林道終点の広場に出た。車が2台あった。こういうのを見るとがっかりするが、これが現実というもの。同じところから富士山を眺めようとして、車を使った方は満喫し、下から登って行った人は、長々と歩いている間に富士山が雲に隠れてしまったということは往々にしてある。どちらが賢いかといったら、前者に決まっている。車の人たちは毘沙門天か浄因寺にでも来たのだろう。ここから両崖山を往復するのは想定しづらい。少し腹でも満たそうとベンチに座り込んだところに、車の持ち主のジイさんが現れ、何か話しかけられそうな雰囲気があり、それも長話になりそうな気配で、水だけ飲んでおもむろに立ち上がり、腹を空かしたまま大岩山に向かった。毘沙門天はもういいやといったところがあったので、敢えて寄りもしなかった。

(陰気な雰囲気のクネクネ登り)


(野山ハイキングコースの分岐。左へ)


 薄暗い中のクネクネ登り。上から二人連れが下って来た。前回もこのパターンだった。まだかまだかと登って行くと、ようやく左に向けた「野山ハイキングコース入口」の標識に出会った。この先はとんと記憶にないから、おそらく初歩きだろう。たまに初歩きのつもりが二度目だったといったボケがたまにある。

(伐採地から両崖山方面)


(こちらは剣ヶ峰)


(遅かった)


(今年はアカヤシオもろくに見ていない。ツツジ街道があるのを知っていたら、もっと早く来たのに)


 下り気味に明瞭な道を歩いて行くと、終わりかけのヤマツツジを見て、伐採地に出た。歩いて来た両崖山の山並みが見えている。ここから火災跡はまったく見えない。自分は伐採地が好きだ。特に意味はないが、その先には確実に里に至る道があるといった安心感からだろう。この伐採地は高速道の上を歩いている時に見えていた。尾根上には境界標が続いている。何の境界なのかわからなかったが、網を張り巡らした伐採地に向けて「落石の為立入りを禁ず 最勝寺」の見かけ、毘沙門天の寺社領との境界なのかと思ったが、これは勝手な想像だ。
 ツツジ街道が続く。見事な花はない。すべてが終わりかけ。両崖山側と違って、起伏はさほどにない。手書きの標識があった。「山ツツジ散策コース」。道理でツツジ続きだったわけだ。もう10日早く来ていたら楽しめたと思う。

(障子岩)


(障子岩から)


(こんなところに座って休憩していたら落ち着かない)


 ビールケースを台にして板を渡したベンチが目に入り。ゴツゴツした岩が出てきた。展望は良い。ここが野山かと思ったが、あるはずの三角点がない。キョロキョロしていると、反対側からネエちゃんが上がって来た。つい「ここが野山ですか?」と聞くと、ここは障子岩だそうな。野山は次のピークだった。しかし、こんなところを女性が単独で歩いているなんて…と思ったら、両親らしき二人が引き続き上がって来た。そうだろうな。下りで出会ったのはこのご三方だけだった。

(野山)


(障子岩)


(ずっと続いていた)


(野山山頂)


(野山から両崖山方面)


 岩々したところを下り、登り返しで振り返ると、緑に覆われてはいるが、障子岩は確かに岩峰だった。あの障子岩、火災の時はずっと立ち上がる煙を見つめていたのだろう。
 野山に到着。11時45分。出発が8時半だったから3時間15分か。これが早いか遅いか知らないが、おそらくかなり遅いはず。障子岩に比べたら展望は狭いが、落ち着ける。この山域で素晴らしい景観を期待しても無理というもの。山頂にはごちゃごちゃと雑多なものがある。三角点だけではなく、足利百名山板、「叶う・お願い地蔵さん」とは何だろう。寒暖計は23℃を指している。ここでようやく腹を満たした。

 課題の野山は登ったし、後は下るだけ。どうやって下るかと地図を広げると、高速道を挟んで南側に、鳥居マークが記された160m標高点ピークがある。南北に破線路が通っていて、高速道の周囲にも実線があるから、それをくぐる暗渠でもあるのだろう。そこから天狗山に登ってみたい気もするが、まぁそれまどの実力はないし、明日、歩けなくなるのがおちだ。

(山神社の標識)


(右下を高速道が通っている)


 登り返しもないままに下る。明瞭な道になっていて迷うところはない。ここで道が直進と左に二分する。左手には「←山神社」の真新しい手書き札が向けられてはいるが、山神社なるところが地図上のどこを指すのかわからない。高速道方面には鳥居マークがいくつもある。さらに悩んだのは、直進、左手ともに同レベルの道になっていて、それぞれにテープが続いている。ここは山神社を選んだ。理由は特にない。直進には標識がなかったからだけのことだ。

(後で知ったが、湯殿山。間に高速道)


 車の騒音が近づく。高速道が見えてきた。そして下りの階段。フェンスを境に内側には入れないようになっている。おそらく、管理道に続いているのだろう。この位置からでは、160mの鳥居マークピークが高速道を挟んで真正面に位置している。ふと、山神社とはあの山の神社のことではないだろうかと思った。ここからあそこにストレートに行けるわけはなく、高速道に沿って、先で高速をくぐって戻るようになりそうだ。

(五十部トンネル)


(これが山神社だった)


(高速道の下をくぐる)


(あまり見向きもされない山のようだ。荒れている)


(野山)


 先に上下線のトンネルが2つ見えた。左に屋根付きの鳥居に見立てたかのような簡素な建屋の下に石祠。上には下垂まである。これが山神社? よくわからない。後で調べると、まさにこれが山神社だった。トンネルが近づく。五十部トンネルとある。トンネルの手前下に渡り廊下があった。トンネルを出ると、野山ハイキングコースの標識が復活した。合わせて「湯殿山」の標識が置かれている。これから登ろうとしている山は湯殿山というらしい。足利にはもう一つ湯殿山があったなぁ。
 左右対称というか、さっきと同じような階段が続いている。こちらはヤブがかかっていたり、クモの巣が張っていたりで、歩く人はあまりいなそうだ。ということは、障子岩の親子はここを通ったわけではないようだ。

(湯殿山山頂)


(こんな山名板もあった)


 コンクリートの階段が切れると、痩せたヒノキの疎林の単調な登りになった。あっけなく、鳥居が置かれた山頂が見えた。こちらからでは裏手からの歩きになっていて、囲いの中に何かがあるようだ。表に回ると、鳥居には湯殿山神社とあり、石のご神体が祀られていた。
 ベンチに腰かけ、おにぎりを食べる。これで今日の歩きは終わり。後は街に下って、長い車道歩きになる。500mlの水はここで飲み干した。立ち上がって周囲をうろつくと、例の足利百名山板もあり、それには「代官山」と記されている。湯殿山、代官山の二つの名前があるらしい。傍らに電波塔のようなものが建っている。12時50分。無性にタバコを吸いたいが、アイコスすら持って来ていない。

(下る途中で)


(ここにも「山神」とある。文政の文字が彫られていた)


(こんなところを下ると)


(ここが入山口。人家と接している)



 掘られたような道を下って行く。参道らしく、石祠が並ぶ。金網の置かれた石門から出ると住宅地に出た。
 どこをどう歩けば近いのか知らないまま、大きな通りに出ると左寄りに進むように歩き、ようやく両毛線に沿った、駅前を通る大通りに出た。ここまで来れば後は鑁阿寺近くまで真っ直ぐに行けばいい。そこにローソンがあった。タバコと冷たい茶を買った。茶をがぶ飲みして、一本つける。ライターだけは持っていた。頭がクラクラとなった。
 ここのローソン、出入口が正反対に2か所あって、喫煙場は入ったところとは反対側にあった。吸い終わってそのまま歩道を歩き、300mも歩いた頃になって、何か変だなといった感じになり、GPSを取り出してみると、東に行くべきところを西に歩いていた。ローソンの出入口の違いで方向感覚が滅茶苦茶になってしまっていた。戻りながら足が痛くなった。

(長い車道沿いの歩道歩きだった)


 中心部に向かうに連れて人通りが多くなった。マスクをした。暑苦しい。ようやく駐車地に辿り着いた。14時。最近にない5時間半歩き。さすがに疲れた。友人には挨拶だけで済ませ、深入りの会話はせずにさっさと帰途に就いた。暑さと疲れで眠く、今季初めてエアコンをつけて走った。

(今回の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

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