うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

おかっぱ、昔を思ふの巻

2016年05月28日 | 日記

先日、実家に立ち寄ると、

両親が、古いアルバムを整理していた。

母は、そこに収まる、若く美しい自分に見惚れていて、

父は、ずれている写真を整える作業をしていた。

 

おはようございます。

母は、気に入った自分の写真を見せながら、

「お前のアルバムもあるぞ」と言う。

いいです。

見んでいいです。

封印したいです。

というか、お焚き上げしたいです。

 

そう思いながら、アルバムに手を伸ばさぬ私に、

「お前の写真、食ってばっかりやぞ。ひゃっひゃっひゃ」

母さんはそう言って、追い打ちを掛けてくるもんだから、

開いちゃった、パンドラの箱を・・・・

 

たとえば

忘れてしまいたい記憶があるとするならば・・・

長い時の中で、

その記憶は幾度も甦り、

苦しむこともあるだろう。

悔いることもあるだろう。

さらに、傷つくこともあるだろう。

けれど・・・

その記憶は幾度も甦り、

深い知恵を得るのかもしれない。

しなやかな強さを身に付けるのかもしれない。

溶けゆくような許しを知るのかもしれない。

 

「手だよね、やっぱ」

まだ、闇雲に手掴みだった、こいつは・・・

 

「棒が付いてるよ」

棒を握り締めて、取られまいと眼を光らせる、こいつは・・・

 

「2本になった」

ついに、知恵を身に付けた、こいつったら・・・

 

「じゃんじゃん 持ってこーい」

無敵の強さを身に付けて、調子に乗った、こいつだけど・・・

 

許してあげて~~!!

 

そんな中、母さんが

「おい、この写真は唯一、ちょっと可愛いやないかぁ?」

と言ってくれたが

母さん?

これはねぇ、究極の厚化粧のおかげだよ。

 

そうして・・・

どんな記憶も、忘れる必要など無いのだと

思うようになるのかもしれない。

 

「小さな、うめ」

うめさんとの記憶には、

忘れたいと思うような記憶は、ひとつも無い。

今更、そう気付いたのでした。

 

うんこ:「これ見て。母さん、けっこうお腹出てるでしょ。」

お焚き上げ~

これこそ、お焚き上げ~~!!