午前4時55分、
数枚のお皿に出した、ドライフード、
すべてをひっくり返して、おじゃんにする。
byあや&おたま
おはようございます。
部屋中に散らばり倒したドライフードを片付けながらも、
私の心の臓は、小走り状態だ。
ひっくり返した音で、早朝の静寂が破られ、
心の臓も、破れそうだ。
しかし、私は無言だ。
そんな事では、怒りはしないさ。
ただ、その音にも気づかず
気持ちよさそうに寝ている、おじさんを、
なぜか、ぶっ飛ばしたい衝動は、ギリギリこらえている。
私は、あやと出会って、一つ決めた事があるんだ。
私にとって、あやは、飼うのは最後の猫にしようと、
そう思っていたから、
「あやは、絶対に、叱らずに育ててみよう」と決めたんだ。
そして、その通り、あやは1度も叱られず、成猫となった。
その結果、
伸び伸びと成長し、6キロを超える巨猫となり、
どれだけ走っても疲れを知らない、強靭な肉体を手に入れ、
だから、その肉体を思う存分、使いまくっている。
付き合わされる側は、もうヘトヘトだ。
おたまは、ショボショボだし、
うんこなんて、死んだ振りでやり過ごそうとしてる。
よねに至っては、本当に死んじゃうといけないから、
よねを、ばぁーって感じで驚かそうとする、あやを、
私は、ついに、「やめれー!」と叱ったよね。
しかし、叱られた経験がないからか、
そんな時でも、あやの脳内は、お花畑が、満開だ。
もはや、叱られたって、満開だ。
簡単には、枯れはしない花が育った。
ただ、いや、だからか、
あやは、お転婆な反面、
どんな時でも、決して、人を咬んだり引っ搔いたりはしない。
そういう猫に育った。
これが、正解と言えるのか?
そう疑問がよぎる中、やってきたのが、おたまだった。
「この子は、見た目が可愛いし、いい里親さんが見つかる」
そう思ったが、24時間中、可愛い顔をするのは、ほんの数分で、
それ以外の時間は、ショボい顔で過ごしていた。
病気一つしないままだったが、
「心配だ。
なんか、よく分かんないけど、心配だ。」
と思い、結局、我が家に残す事となった。
その「なんか心配」という魔物に囚われた私は、
おたまも、一切、叱る事ができないまま、育てた。
私らしくないほど、甘々の極みな育て方をして、
ひょろひょろと、
コシのない麺類のように軟弱に育ったが、
おたまの甘噛みは、いつまで経っても、
血が出るほど強かった。
今も、鼻に喰いついたら、
すっぽんに負けず劣らず、離さない。
鼻に穴が空こうが、「なんか心配」という魔物は、
私を、「これはおちゃまちゃんの愛情表現だ」と
痛みで涙をにじませながらも喜ばせるほど、狂気じみている。
私は、できれば、
あまり動物は叱らずに育てたいと思っている。
それは、今も変わらないが、
時には叱って育てた子達も、一切叱らずに育てた子達も、
比べようにも、比べらんない。
猫にとっては、そんな事はどこ吹く風で、
人智を超えたところで、個性を伸ばして行くのかもしれない。
結局、
みーんな、いい子なんだよな。
さぁ、良い子の君達よ。
おじさんに、抱っこしてもらいたまえ!
あやさん
脳内お花畑のあやさんであっても、
この顔である。
堪らず、ついに叱った時も、笑ってた、あやさんが
この顔である。
おたまは?
ショボいから、すぐ捕まっちゃう、おたまは
基本、ショボい顔のおたまだが
ひとたび、おじさんに抱かれれば
やっぱり、この顔なのである。
我が家の最終兵器は、
「そんな事してると、おじさんに抱っこされちゃうぞ」
という、恐ろしい呪文なのであった。