雨が続いていると、
よく眠れちゃうのは、猫ばかりではない。
昨日は、かなりの寝坊をしてしまった。
そういう時って、
なぜか、逆に10分程度、呆然としてしまうんですよね。
急ぎたいのに・・・
おはようございます。
うめやきくが居た頃は、そうはいかなかった。
うめは、決まった時刻になると、必ず起こしてくれた。
それはそれは、卑劣なやり方で、起こしてくれたのだ。
リモコンを持ち上げてはパタンパタンと音をたてたり、
灰皿を、じりじりずらしながら、「落としちゃおうか?」と
いたずらにほくそ笑んでいた。
きくも、腹時計がきっちりしていたから、
朝飯の時刻になれば、雄鶏を上回る雄たけびで起こしてくれた。
その時のエネルギーが集められれば、
地球を救うフリーエネルギーにもなり得ただろう。
老猫の知恵は、いつも人知の上を行っていた。
そして人も、老いてこそ面白くなってくるのだなぁと
最近、両親を見ていると、そう思う。
私は、平日の朝、必ず出勤前に実家に立ち寄る。
そして、母さんの作るサンドウィッチを食べるのだ。
毎日、同じサンドウィッチだ。
それが、母さんの今を教えてくれるカルテのような存在だ。
きゅうりを挟み忘れる日、
玉子の味がおかしな日、
パンが無いサンドウィッチの日、
そして、もちろん完璧な日も少なくはない。
美味しいと思える日が続く事を願いながら、
私は、毎日、サンドウィッチを食べている訳だが、
そんな、ある日、母さんはトイレから私を呼んだ。
「ほい、おかっぱ!これを見ろ」
私は、食べかけのサンドウィッチを皿に置き、
口の中の物を咀嚼しながら行ってみた。
「わしのうんち、黒いやろ?なんでや?」
確かに黒いが、同時に口の中の物を吹き出しそうになった私は、
大便を見ながら無理くり飲み込んだ。
「母さん、これ血便かもしれん。病院、行こう!」
母さんは昔から強気に見えて、実は大変、繊細で怖がりだ。
慣れない検査など、決して受け入れるような人ではなかった。
それは、まるで、きくという猫に似ていた。
私は、21歳の頃、実家を出た。
あれから長い間、実家との距離を置いていた。
忙しくて立ち寄る機会が無かっただけではなく、
内心、母さんを避けていた。
怒ってばかりで自意識が高く排他的な母が、苦手だったのだ。
会えば必ず、嫌な思いをさせられる。
しかし、そんな期間中、
私は、きくという猫との暮らしに悪戦苦闘していた。
まるで、母さんのような猫だった。
見た目は美しい三毛猫だが、気安く触れる猫ではなかった。
思い通りにならないと、すぐ癇癪を起す。
その思いに答えようとしても、それも受け入れてくれない。
「じゃあ、どうしたらいいの?」
15年間、振り回されっぱなしの私は、
15年間、きくに母さんを重ねて見ていた。
しかし、爪も切らせてくれない猫が、
ある時から、大人しく切らせるようになった。
恐る恐る抱いてみると、喉をゴロゴロ鳴らして喜ぶ姿が、
まるで子猫のようで、可愛くて、私はなぜか涙が溢れた。
その涙の訳を考えていた途中だったが、
答えが出る前に、きくはこの世を去った。
こんなことを思い出しながら、
「母さん、病院で検査せんとかんぞ」と
恐る恐る言ってみると、母さんは、
「ほうやな。わし、検査してみんとかんな。」
と、まるで無邪気な子供のように答えた。
どうせ、明日になればごねるだろ?
そう思っていたが、母さんは見事、胃カメラを飲み込んで、
その武勇伝を、笑いながら語っている。
麻酔で寝ている間に済んでしまったのだが、
「母さん、凄いな~。よう頑張ったな~。」と言うと、
母さんは、調子に乗って、ちょっと話を盛り始めた。
私はその時、母さんが、きくと重なって見えて、
どういう訳か、やっぱり目が潤んだ。
私は、それを食い止めるために、こう言ってやった。
「軽い胃炎でも投薬が終わったら、治ったかを確認するために、
もう1っぺん、胃カメラ飲めって言われるぞ~ヒヒヒヒ」
きく「おい、減らず口のメス豚ゴリラ、おひさ!」
おぉぉ、きくさん、お久しぶりっす。
きく「お前は変わってないな。で、カズコさんはお元気?」
おかげさまで、大事にはならずで済みました。
きく「そっかそっか・・・」
ん?何か言いたいことが?
「お前は相変わらず、このズレを直さないんだな。
「それと、後ろのバスタオル、もう死んでるし臭いし、
掃除も、なってない。全然なってない。
その顔も、もうちょっと何とかならんのか?
まず、ぼーっと開けてる口閉じろ!あとね・・」
やめて~、もうやめて~。
変わるべきは、自分だったのかもしれないな。