明日は、
うめの命日だ。
5回目の命日だろうか・・・
おはようございます。
4回目かもしれない。
それさえ、おぼろげにしか覚えていない。
うめと私は、一心同体だった。
家の中では、常に、互いのどこかに触れていた。
守護霊のごとく、ともに居たのだ。
どっちが守護霊のようだったのかは別として、
それほどに、私達は一心同体が当たり前だった。
それなのに、今となれば、どう共に過ごしたのかさえ思い出せない。
どうやって一緒に寝ていたのか、どうやって触れていたのか、
その体温さえ思い出せない。
そのくせ、困った時はいつも、うめを想う。
いまだに、うめに助けを乞うている自分がいる。
別れは常に潔く、そう決めたはずだが、
私の財布には、うめの写真が入っていて、
おまけに、きくが生前残してくれた片牙も入っている。
よねの形見は持っていないと思いきや、よねの鼻くそ黒子みたいな猫を残した。
私の心はしっかり、あの子達にしがみついている訳だ。
思い返してみれば、うめが居た頃は、私は悩んだ事がなかった。
猫の事も、自分の人生の事もだ。
うめさえいれば、全て大丈夫だと思っていた節がある。
うめが倒れちゃうくらいに、私はうめに持たれかかっていたが、
うめは決して、倒れたりはしなかった。
そして、うめは時には戦った。
まだ、うんこが暴れん坊だった頃、
実家の父さんが遊びに来て、何の理由か覚えていないが、
父さんが、うんこを「こら!」と叱った事がある。
その声に怯えたうんこに気づいた、うめは、
本来大好きだった父さんに、唸りながら飛び掛かって、
結構なケガを負わせた。
きくが、爪とぎに爪を引っかけて取れなくなった時もだ。
パニックになったきくを助けようと駆け寄った我が家のおじさんに、
さらにパニックになってしまったきくに気づいた、うめさんは、
やっぱり、おじさんに結構なケガを負わせた。
どちらも、うめの勘違いではあるが、
それでも、うめは我が家の仲間を、命がけで助けたのだ。
大の男が、足から血を流して震えている時、
私は、「うめ、すごい!さすが、あんたはすごい!!」と称えた。
半泣きの男を前に、感涙した。
いまだに、父とおじさんに恨まれているのは、
当然、うめではなく私だろう。
今、我が家には、5匹の猫がいる。
うめを知らない猫が2匹、加わった事になる。
時は進んでいるのだ。
それでもなお、私は悩む度、うめに助けを乞うている始末だ。
うめの体温さえ覚えていないくせに。
みんな、どうしてるかな?
我が家を、見ていてくれるのかな?
私は今年、ここにも書いたが、おじさんの事でも悩んでいた。
別の道を歩いていく方がいいのではないだろうかと。
その時も、うめに助けを乞うていたのだ。
そうしたら、次から次へと子猫が来るじゃん?
別れようと半ば腹を決めたのに、おじさんに助けを乞う事になったもんね。
ねえ、うめさん?
あんた、仕掛けたね?
うめ「何の事じゃ?あたしゃ、とっくに美人のお姉さんの飼い猫に生まれかわってるぞよ」
おい、まじか!?
今年の夏での出来事の全容が、やっと腑に落ちた。
我が家のおじさんのお母さんが、一昨日亡くなった。
長い闘病のすえ、最期は安らかだった。
おじさんとともに、手を合わせられる事に、
私は、深く深く感謝をするばかりだ。
うめにも、よねやきく、こしょうにもね
ありがとうと、言うべきなのだろうね。