おじさんのお父さんが亡くなった数日後、
私は、白い子猫を拾った。
おはようございます。
49日まで毎週日曜日に、
7日参りのご供養をすることになっていたが、
私は子猫の世話で行けなくなってしまった。
その5年後の今月8日、
おじさんのお母さんが亡くなった。
私が初めて会った時には、もうすでに寝たきりで認知症を患い、
人と話すことも、ままならない状態だった。
そんなお母さんに、私はどう自己紹介していいか分からなかった。
施設に入所していたから、介護らしいことなどしていない。
お父さん亡きあと、手続きや支払いなどの事務的な事をしてきただけだから、
当のお母さんは、私を、全く認識できないままだった。
そして、お母さんが亡くなった今も、
やっぱり、我が家には白い子猫が居て、
ご供養も、ドタバタする中で行う事となってしまっている訳だ。
私は、今更だが、お嫁さんではない。
おじさんと暮らし始めて、10年ほど経つが、
法律上は、れっきとした独身だ。
私などに、お嫁さんなんて務まらない。
それでも、お父さんは亡くなる数日前、私と二人きりの病室で言った。
「息子を、どうか、よろしくお願いいたします」と。
うわごとのように、しかし丁寧に、2回繰り返した。
この言葉が、お父さんが声に出して発した最後の言葉だった。
当時の私は、今も治っていないが、かなり適当な人間だったが、
あの言葉は、とても重くてとても真剣で、痛いほど伝わってくるから、
私は、うろたえたまま、はいっと答えてしまった。
そうして、
お父さんが亡くなった直後から、その家族の間では、
おじさんの事だけでなく、妹さんの事やお母さんの事で
様々な問題が起こった。
私は、それらを解決する手助けをせんと、
自分なりに奔走してきたつもりだが、
傍から見たら、迷走状態に見えただろう。
所詮私だ。
出来のいいお嫁さんだったら、もっと良く手伝えたに違いないんだ。
それに加え、私は私で、
大事な時に限って子猫の世話で思うように動けなかったりで、
全く、どうなってんだい?と天を仰いだ。
私は今、せめて、小さな骨壺に話しかけている。
今なら、きっと、お母さんに伝わるだろうと、なぜかそう思えるからだ。
そして、お父さんに問いかけている。
私は、貴方との約束を守れているだろうかと。
あなた達の息子さんは、
今、こうなっています。
なんと、2本のじゃらしを、器用にさばきこなしている!
こき使い倒されています!主に私に・・・。
お父さん、お母さん、ごめんなさい。あんま見ないでってね。
そして、ありがとうございます。