うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

仮面の奥には・・・

2020年07月04日 | 日記

コロナをきっかけに、

もともと、メールやラインが面倒だと言う友人が、

ラインのビデオ通話で、電話を掛けるようになった。

 

おはようございます。

私は、文字のやり取りの方が心地よい距離感だと感じるのだが、

友人は直接話したいし、さらに顔を見ながらなら、なお良いと感じるらしい。

 

皆さんは、ラインのビデオ通話の面白い機能をご存じですか?

なんかね、映ってる自分を加工できる機能があるんだ。

動いていたって、ちゃんと加工機能も付いてくるんだ。

イメージで言うと・・・チコちゃんの顔の表情。

あの番組の技術さん、チコちゃんの表情を加工するのに、

ライン使ったら、楽なのにっと思うほど、

素晴らしいクオリティだ。

 

その加工した画像でビデオ通話するのが、

その友人との決まりとなっている訳だが・・・・

 

そんな友人と、ビデオ通話でちょっと真面目な話もする訳だ。

「首に変なコブを付けたツバメを見たの。

きっと病気か、怪我か、したんだろうね」

 

「そっか・・・捕まえて治すって訳にはいかんよね」

 

「そうね、きっと死んでしまうんだろうね」

 

先日、ケリ(鳥)の棲み処だった原っぱに、重機が入っていた。

あそこも、開発されるのだろう。

マンションの前を通る川の川岸も、いつしか防草シートで覆われていた。

あそこにも、様々な生き物が生きていたのに。

川を覗き込んでみると、小さな黒い塊が見えた。

生き物だろうが、死んでいることは分かった。

その夜、川の近辺で、ハクビシンが激しく鳴く声を聞いた。

もしかすると、川に落ちた我が子を呼んでいたのかもしれない。

 

ツバメは、きっと静かに死んでいく。

自分の生涯に意味を見出す時間など、無駄でしかないと知っているのだろうし、

ケリは、また別の場所に棲み処を探す。

失った棲み処に執着する事など、何の役にも立たないと知っているだろうし、

ハクビシンは、もう我が子を呼んだりはしない。

いつまでも立ち止まっていては、生きていけないと知っているのだろう。

 

必死で生きているからだ。

人間は、他の生き物ほど、必死に生きる必要がない。

社会という安全にみえるオブラートの中にいて、

そこからはみ出さぬよう、互いを探り合いながら、

仮面を被って生きている。

その仮面が、いかに個性的かを競い、

勝ち組か負け組か、そんなゲームを繰り返している。

そんなゲームを繰り返す余裕を与えられているのだ。

 

私も、そうだ。

仮面の奥から見える地球は、

厳しくて静かで、切なくて美しい。

自分も仮面を脱ぎ捨てて、必死に生きてみたいと夢を見る。

そんなことは出来はしないと知っているからだ。

そんなことをしたら、守りたいものが守れなくなるからだ。

 

時々、少しの間、仮面を外し、

大きく息を吸って、己の真実を吐く。

そんなことを、何度も繰り返しながら、

私は、さらに入念に仮面を被り直して、オブラートの距離感を測る。

人間には人間にしか出来ない事だってあるんだっと言い聞かせ、

家の中で寝ている猫達を見まわしてから、また社会へ飛び込んでいく。

 

と、そんな話をしている時くらい、

この仮面的な加工、取ってもいいかしら?

取ってもいいのかしら?

 

さて、我が家の猫達は、「うんちゃんのお顔」を

競い合ってるのか?

うんこ「ちょっと、たれちゃん?うんちゃんのお顔に乗らないで」

 

うんこ「あらら、モコモコまで来たわ」

 

うんこ「ちょちょちょちょ!うんちゃんのシャッターチャンスが」

 

うんこ「まったくもう。無駄にゴージャスな男子達ったら!」

 

うんこ「うんちゃんのゴージャスボディが霞むじゃないのぉ!」

 

って、おい、おたま!

お前は、まだ入り方のコツを掴めてないのかい?

 

あやなんて、とっくに

あや「あやのお顔にしよっかしら~?」

ものにしているぞ!