私は、それほど、
泣き虫ではない。
ただ、今年はおおいに泣いた気がする。
おはようございます。
私には、高次脳機能障害という脳の後遺症がある。
いろいろと、こんがらがっちゃってるんだよね。
そんな後遺症など気にならないほど、
もともと、こんがらがっているタイプではあるのだが、
今年の夏は、どういう訳か、
突然、私の脳の中で記憶の混濁が起きた。
家に帰ったら、うめとよねときくが居ない事に混乱した。
とっくに極楽へ旅立った3匹が居ない事が、理解できなかった。
今現在、取り戻している記憶もあるが、
どれが消えてて、どれが取り戻したか、これまた、こんがらがっている。
そこは、深く考えないようにしている。
そういう点においては、もともと、深く考えたいタイプだからだ。
ただ、一部であっても、ごっそりと記憶が抜けると、
人は、これほどまで空っぽに感じるのかと、我ながら戸惑った。
そして、
どうあっても、うめが居ない事が受け入れられなかった。
うめが側に居ないことが、恐ろしく頼りなかった。
何度も何日も何か月も、うめを呼びながら泣いた。
5年も前に、死んでいるのに。
去年から、新たな2匹が加わったことで、
猫達の関係性がギクシャクしていたこともあった。
だから、余計にうめが居なくて、不安だったんだ。
「どうしたら、いいの、うめ?」
「うめなら、どうするの?」
そう言いながら、涙がちょちょぎれた。
きっと、極楽で、
「知らんがな」って笑ってんだろう?
でも、うめさん、見てるかい?
今、あたし笑ってるだろう?
へっぽこ男子チーム、面白いだろう?
皆で頑張ったんだ。
去年は、ジジババ保育園のジジィとババィも久しぶりに活躍した。
老体どころか、ほぼ片足を棺桶に突っ込んでるけど、
両足突っ込む前に、冥途の土産にすべく鞭打ってたよな。
そして、特に、おたまは頑張った。
受け入れられない現状を、時間を掛けて受け入れて行った。
私が、うめのいない我が家を受け入れていくように、
ゆっくりゆっくり、静かに。
でも、思うんだ。
5年も経ってるくせに、
うめを想って号泣するなんて、
私にとっては、また大事な記憶が出来たって。
この記憶は、忘れない。
11月10日、うめの命日だったが、
今日は、昔のおたまを振り返ろう。
うめさんも大好きだった、ババァとおたま。
まだ、ジジババ保育園に居た頃だ。
6年前のババァ
今より、ボケてなかったんだ
猫が大っ嫌いだったくせに、
うめのことも、大好きだったよな。
こんな事する奴も、今ではいい兄ちゃんになっている。
うめさん、見てるかい?
みんな、笑ってるよ。
うめ「ちゃんと見てるさ。のん太に乗っかって見てるのさ」
うん、そんな気がするんだよな~。