うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

11月10日は、うめの命日だった

2020年11月13日 | うめの事

私は、それほど、

泣き虫ではない。

ただ、今年はおおいに泣いた気がする。

 

おはようございます。

私には、高次脳機能障害という脳の後遺症がある。

いろいろと、こんがらがっちゃってるんだよね。

 

そんな後遺症など気にならないほど、

もともと、こんがらがっているタイプではあるのだが、

今年の夏は、どういう訳か、

突然、私の脳の中で記憶の混濁が起きた。

 

家に帰ったら、うめとよねときくが居ない事に混乱した。

とっくに極楽へ旅立った3匹が居ない事が、理解できなかった。

今現在、取り戻している記憶もあるが、

どれが消えてて、どれが取り戻したか、これまた、こんがらがっている。

そこは、深く考えないようにしている。

 

そういう点においては、もともと、深く考えたいタイプだからだ。

 

ただ、一部であっても、ごっそりと記憶が抜けると、

人は、これほどまで空っぽに感じるのかと、我ながら戸惑った。

 

そして、

どうあっても、うめが居ない事が受け入れられなかった。

うめが側に居ないことが、恐ろしく頼りなかった。

何度も何日も何か月も、うめを呼びながら泣いた。

 

5年も前に、死んでいるのに。

 

去年から、新たな2匹が加わったことで、

猫達の関係性がギクシャクしていたこともあった。

だから、余計にうめが居なくて、不安だったんだ。

「どうしたら、いいの、うめ?」

「うめなら、どうするの?」

そう言いながら、涙がちょちょぎれた。

 

きっと、極楽で、

「知らんがな」って笑ってんだろう?

 

でも、うめさん、見てるかい?

今、あたし笑ってるだろう?

へっぽこ男子チーム、面白いだろう?

 

皆で頑張ったんだ。

去年は、ジジババ保育園のジジィとババィも久しぶりに活躍した。

老体どころか、ほぼ片足を棺桶に突っ込んでるけど、

両足突っ込む前に、冥途の土産にすべく鞭打ってたよな。

 

そして、特に、おたまは頑張った。

受け入れられない現状を、時間を掛けて受け入れて行った。

私が、うめのいない我が家を受け入れていくように、

ゆっくりゆっくり、静かに。

 

でも、思うんだ。

5年も経ってるくせに、

うめを想って号泣するなんて、

私にとっては、また大事な記憶が出来たって。

この記憶は、忘れない。

 

11月10日、うめの命日だったが、

今日は、昔のおたまを振り返ろう。

うめさんも大好きだった、ババァとおたま。

まだ、ジジババ保育園に居た頃だ。

 

6年前のババァ

 

今より、ボケてなかったんだ

 

猫が大っ嫌いだったくせに、

 

うめのことも、大好きだったよな。

 

こんな事する奴も、今ではいい兄ちゃんになっている。

 

うめさん、見てるかい?

みんな、笑ってるよ。

うめ「ちゃんと見てるさ。のん太に乗っかって見てるのさ」

うん、そんな気がするんだよな~。