最近は、
暇があれば編み物をしている。
おはようございます。
だけど、少し形が出来てくると、
胸騒ぎがして、編みかけの編み物を解いてしまう。
完成させるということは、終わりを意味する。
今の私は、終わりを迎えるのが、淋しくて耐えられない。
だから途中まで編んでは、また糸に戻す。
終わらない作業を、ずっと繰り返している今に、癒しを感じている。
どうかしている。
何ごとも、終わらせるには、勇気が要る。
夢もそうだ。
必死に叶えようともがいている間が、実はもっとも高揚する。
叶っても諦めても、終わりは終わり。
うんことの生活が終わった。
それ以来、私は少し、臆病になっている。
どんなことでも、終わりを迎えるのが淋しいのだ。
ほんと、どうかしている。
ただ、こんな気持ちが芽生えたのは、
うんこと暮らしてきたおかげだ。
いくつになっても、今まで体験したことのない感情が芽生える時がある。
まるで瑞々しい新芽を見つけたような驚きだ。
終わりは、始まりでもある。
ただ、
のん太の癖の強い模様替えは、終わらない。
何が出来たの?
そこにしまっていた箱を落としてやったのね?
どういう訳か、落としてやったのね?やめて!
たれ蔵を?
たれ蔵を、どう模様替えするっていうの?やめて!
ねぇ、咬んでない?
ほっぺを咬んで引っ張ってない?やめて!
終わり?
終わったついでに、たれ蔵の場所を取ったよね?やめて!
なにこれ!やめて!!