紅葉の知らせが届く中、
私は、ヒマワリを眺めている。
おはようございます。
秋のヒマワリは、夏より美しい。
厳しい夏に咲くよりも、瑞々しく鮮やかで健康的だ。
これを、かずこさんに見せたら、
きっと、かずこさんは、今が真夏だと素直に信じてしまうだろう。
朝晩は、暖房が欲しくなってきたというのに、
実家へ行くと、かずこさんは夏の部屋着を着て、ベッドの端にちょこんと座っている。
「さぶくないの?」
と問うと、
「暑いやろ?もうすぐ夏になるんやから。」
と言って微笑んだ。
でも、その眼の奥が、困惑で曇っていくのを見つけた。
「もうすぐ冬だで。寒いやろう?」
そう言って、長袖を出してやると、かずこさんの眼は安堵したように輝く。
穏やかで、切ない瞬間だ。
愛らしくて、哀れな瞬間だ。
恋しくて、淋しい瞬間だ。
私は、かずこさんに見せてあげようと撮っておいた、
秋のヒマワリの画像を見せるのを、やめた。
なのに、そんな人に父は怒鳴る。
昨夜も、
「わし、もう出てく。もう離婚する。」
と言う、かずこさんに向かって、父はテーブルを殴りながら怒鳴った。
かずこさんは、優しくして欲しいだけだ。
否定せず訂正せず、ただ優しくしてやればいい。
そうしてもらえないから「離婚」という言葉を出すだけだ。
けれど父は、
「そんな女っ垂らしみたいなこと、俺はできん。」
と言い、
「俺は、俺なりに頑張ってるつもりだ。
それが嫌だって言うなら、もういい。どうてもいい。ぶっ殺すかもしれん。」
と吐き捨てた。
父の潔癖症で頑固な亭主関白は、昔から変わらない。
激しい夫婦げんかも昔からだし、その内容もさほど変わらない。
そして、そんな最中、私はパニック障害を発症する。
それも、幼い頃から始まった。
悪寒がし出して呼吸が苦しくなり、手の先から痺れが始まる。
痺れた両手は硬直し、その頃には顔面も痺れて動かなくなる。
昨夜、私はそれのせいで、椅子から崩れ落ちて倒れた。
ここまで酷い症状は、久しぶりだった。
老い痴れたかずこさんが、私の体を必死に撫ぜる。
「もう何も言わん。ごめん、ごめんな。どしよ?病院行かな死んでまう。」
謝るなんてしたことない、かずこさんの謝る声が聞こえた。
私の両親は、40年以上、私のパニック障害など気付く事もなく、
私の親として当たり前のように君臨し続けてきた。
親らしいことをしてもらった記憶はほとんどない。
そして今も、傍から見れば死ぬかも知れないと思えるほどの症状を前に、
父は酒を吞み続け、いまだに自分の功績を称えろと言わんばかりだ。
呆れた情景だ。
そして、私は絶望しながら正気を取り戻していくという絶望の中、
「だよね。だから、こうなるんじゃんねぇ」と妙に納得を得た。
納得で心が晴れていく。
私は、ついに笑ってしまった。
「あははは~、ねえ、私の顔、ちゃんと動いてる?しゃべれてる?」
私は、これが普通でないことに気付くのに、長い時を要した。
人は皆、時々、息も出来ないくらい苦しくなりながら生きているのだと思っていた。
悪寒に始まり、呼吸困難、麻痺、硬直、吐き気、頭痛。
物心ついた頃には、こんな症状が頻繁にあったものだから、
これが普通なのだと思っていた。
だから「生きるって、地獄だ」と思っていたのだ。
しかし、多くの人は、こういう症状は病気の時くらいしか出ないらしいと知って、
私は胸がときめいた。
「皆が皆、こんな苦しくなくって良かった・・・。」
本気でそう思えたし、希望も持てた。
だったら、私のも治るんじゃね?という希望だ。
結果、治らない。
そんなに簡単に治らないし、別にもう、どうでもいい。
時々なったら、かずこさんに撫ぜてもらうのも、いいものだ。
そもそも治ったらどうなるのかを経験したことがないから、
そんなに気にはならない。
ただ、今朝、体中が筋肉痛だ。
とにかく、私の親は、どうしようもねー親だ。
本当にどうしようもねー親に育てられると、
それなりに障害も伴うことがある。
それが現実だ。
けれど、『それが現実だ』と思えるようになったのは、
どうしようもねー親が、相変わらず、どうしようもねーからだ。
それどころか、かずこさんは、もはや罪無き堕天使みたいになってきた。
「もいいじゃんね。もう諦めよう!」と思うしかない。
それが分かったおかげで、私は階段を上っていく感覚を得た。
拘りや蟠りへの諦めと、これからどうなるの?という幾つかの希望が、私の体を浮上させる。
私の愛すべき、どうしようもねー親は、
まったく、どうしようもなく不思議で面白いと思わせる。
面白い。
人生って、面白い。
そんな昨夜、帰宅したら、真っ先にのん太が来たよね~。
正確には、真っ先に服を脱いだ後だけども・・・
こんな画像を撮っちゃうあたり、
さすが私も、どうしようもねーな・・・。