夜空の月は満ちていくのに、
君の体は、ますます削がれていく。
まるで君の命が、みるみるうちに月に奪われて行くみたいだ。
おはようございます。
昨日はどうしても嫌な予感がして、
昼に職場を抜け出し、家へ向かった。
たれ蔵は、
「あれ?母ちゃん帰ってきたぁ」
と、満月みたいな瞳で私を見上げた。
私の脳裏に浮かんだ嫌な予感は外れてホッとしたのもつかの間、
床に、たれ蔵が下痢したのか嘔吐したのか分からない液体が、
水溜りのように出来ているのに気が付いた。
それをティッシュに吸わせてみると、
白いティッシュが赤黒い液体に侵略されていく。
私は、
「なんちゅーこと、するんや?!なんちゅーことを・・・」
と、何度も何度も呪いの呪文のように呟いていた。
たれ蔵のリンパ腫は、主に小腸に病巣が集まっている。
進行は、獣医師が戸惑うほど早い。
一気にぶっ壊された小腸は、どれだけ食べても栄養を吸収できない。
それでも食べなければ、生き物は生きてはいけない。
なのに、食べると苦しむ。
腫瘍化した胃腸に食物を入れれば、痛みや吐き気に襲われる。
そして、赤黒い液体を排出させる。
そのくせ、すぐには死なせない。
循環器と違って、消化器の疾病はとどめを刺さない。
一気にぶっ壊す癖に、じわじわと苦しめてくる。
ショック死か、多臓器不全か、餓死を待つしかないのが、
今のたれ蔵の現状だ。
「なんちゅーこと、するんや?!
たれ蔵が何を悪い事したっていうの?
何でこんなに苦しめるんや。」
生きろ、生きよう、治そうと始まった闘病は、
いつしか、早く死なせてやらなければと思うようになっていた。
そんな時、出てくる言葉は、怒りの言葉だ。
けれど、私の心は、実は全く怒りに満ちていない。
不思議なくらい、怒ってはいないのだ。
たれ蔵を苦しめる病さえも、たれ蔵のものだから、
悔しいけれど、憎み方が分からない。
赤黒い液体さえ、たれ蔵のものなんだから、大切なものだ。
私は、呪いの言葉を吐きながら、
赤黒い液体を愛おしむように拭き取った。
そして、何より、たれ蔵はいつも通りだ。
いつも通りに暮らしたいだけなんだ。
昨日の夕方は、思いのほか、顔色がいいじゃないか。
真っ黒だけど、顔色はいいのだ。
大好きな黄身も食べたり
おたまと一緒に、
たれ蔵「わーい、海苔だ、海苔だー」
と、はしゃいでパリパリ噛んだ。
ついでに、お刺身だって1切れ食べた。
おじさんの入浴にも、よたりながら懸命に着いて行った。
たれ蔵「たま兄ちゃん、ここは譲らないぞぉ」
たれ蔵は、いつも通りに過ごしている。
いつも通りに過ごしたいんだ。
今朝は、もう歩けない様子だ。
だけど、今日もたれ蔵は、いつも通りに過ごす。
私達は、それを守ろうと思っている。
満ちていく月に、あの子の命を捧げるように祈りながら。