今朝のパソコンは、
凄まじく動きが遅いけれど、
あやは今朝も、素晴らしく早い!
おはようございます。
昨日は七夕だったけれど、
我が家にとって昨日は、あやの日イブだ。
7月8日は、あやが我が家にやってきた日だ。
12年前の7月7日の夜、
お転婆な織姫が七夕にはしゃいで、天の川に落ちてしまった。
その翌朝、私は織姫を川から拾った。
我が家の織姫は、彦星と会うために天の川を渡ろうとしたのではなく、
母親を追い掛けていて、ついうっかり川に落ちてしまったのだろう。
寸でのところで命拾いした織姫は、それでも一向に嬉しそうにはしなかった。
しょんぼりした小さな織姫だった。
私は、
「体が弱っているのかもしれない。
早く名前を付けて、この世に命の根っこを生やしてやりたい。」
と思い、
「織姫だから、オリコでいいな」
と名付けようとしたところ、我が家のおじさんが、
「アヤメのように美しい子になるように、あやにしましょう。」
と名付けた。
その夜、あやは生き別れたままの母親と再会することが叶った。
「川の付近で母猫があやを探してる。
そうだ、会わせてやろう。元気になるかもしれないから。」
私は、あやを抱いて外へ出た。
野良猫の母猫は、私に驚いて逃げようとしたが、
あやを見つけて立ち止まった。
それを見て、私はあやを地面に置いてやった。
すると、しょんぼりしていたあやは、
離した瞬間、勢いよく母猫に駆け寄った。
母親もまた、駆け寄るあやの体を瞬間的に舐めまわしている。
「ああ、そうか。やっぱり母猫がいいよな。」
そのまま、母猫が連れて行ってしまうだろうと思いきや、
母猫はあやを置いて、まるで瞬間移動したかのごとく消えてしまった。
ポツンと立ち尽くす、小さなあやの後ろ姿を、私は今も鮮明に覚えている。
そして、それ以上に強烈に覚えているのが、
再び連れ帰った時のあやだ。
まるで猫が変わったように元気になったあやは、
家中の猫らを蹴散らかしながら、
「あたし、あやってーの。そこ退いて!」
と鳴いて、勝手に皿からご飯を食べ、
「ちょっと、そこの大きいの、退きなさいよ!」
と鳴きながら、勝手に猫トイレで用を足し、
我が家のボス猫の玉座に乗って、
「あたし、あやってーの。どんなもんだい!」
と鳴いて、にやりと笑った。
その時から、静かだった我が家が激変したのだった。
これが、あや生後2か月の初めましての物語だ。
あの時、母猫は、
あやが元気になる魔法を掛けてくれたのかもしれない。
その母の魔法は、今もあやを守っているに違いない。
その後、あやは誰とも上手く付き合える、
素晴らしく元気で、素晴らしく素直なまま成長していった。
ボス猫うめさんが寝てるのに、チョッカイを掛け・・・
うめとよねの憩いの時間を打ち破る寸前の緊張感を作り・・・
我が家の武闘派きくとのも、無邪気に遊ぼうとチョッカイを掛けまくり・・・
そのくせ、1.5センチ以上の虫が出ると
うんこの影に隠れ・・・
大体いつも、こんな感じだった。
夜にひっそり輝く織姫どころか、
あやは、我が家のギラギラの太陽だ。
これからも、元気でいておくれ。
あやさん、聞いてる?
あや「獲ったど。おばちゃん、またやって!」
おばちゃん、もう腕がもげそうだけど、まだやるの?
おたま「あや姉、それ、おらにくれだ?」
あや「やだ!」
あやったら・・・
なんという、あやらしい顔だい?!