うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

数々の記念日

2024年07月24日 | 日記

土用の鰻は、

すでに昨日、片付けてやった。

 

おはようございます。

私は食べないが、我が家のおじさんには、

『しつまぶし風鰻の炊き込みご飯』を出した。

鰻のタレで米に味を付け、カットした鰻を乗せて炊飯器で炊く。

非常に簡単で、やっすい方の鰻でも、なかなか美味しくなるから、おススメです。

とはいえ、どうしても鰻の臭みが気になるから、私は食べない。

 

って、このレシピ臭いんかーい!

だったら、おススメすんなやー!!

 

私にも食べられるようにするには、

まず取り敢えず、蒲焼を50度の湯で洗い、

臭みの原因の皮をはぎ、身をショウガと共に茹ででから、

鰻のたれを付けて焼き、米と共に炊いてみるといいかもしれない。

 

そんなにこねくり回すなやー!

だったら、食うなー!!

 

ですよね。

ちなみに、かずこさんに、

「明日は土用の丑の日だよ」と言ったら、

「明日は水曜日やろ?」と真顔で反論してきた。

よしよし、かずこさんはまだ正気だ。

 

そして今日は、のん太の誕生日だ。

ここ実は、ハッキリ言いきれない。

23日の午後11時58分頃に産まれたか、

24日の午前1時5分頃に産まれたかは定かではない。

とにかく、24日に保護したから、保護記念日だ。

いつ見てもベソかいたような顔をしていた子猫も、

今や・・・

こんなにふてぶてしく育った。

 

おめでとう、のんちゃん!

しおちゃんも、他の兄妹も、皆おめでとう!

そして、産まれて来てくれてありがとう。

 

そして今日7月24日は、まだまだある。

チャー坊の命日だ。

チャー坊が逝ってから、今日で1年になる。

 

私は死を見送ることまで出来たくせに、

今もなお、チャー坊と出会ったことさえ信じられない。

あれはまるで、夢の中の出来事だった。

あんな猫、どこ探したっていない。

あんな猫が、実在してたなんて、嘘みたいだ。

それくらい、チャー坊は素晴らし過ぎた。

 

でも本当は、最期はボロボロだった。

エイズと白血病が発症した状態は、実に壮絶だ。

そんな中でも、チャー坊は繰り返す下痢と嘔吐を、

すべてトイレ内で済ませていた。

潔癖症に近い父さんでさえ、

「おい、お前。わざわざトイレまで歩かんでいい。」

と、チャー坊を説得したほどだった。

けれどチャー坊は、

どこも汚さず何の痕跡も残さず、そのくせ最後まで約束を守り抜いて逝った。

 

約束とは、「チャー坊、またね」の約束だ。

チャー坊がまだ野良猫だった頃、

私が「チャー坊、またね。絶対よ。」と言うと、

チャー坊はどんな状態であっても、必ず私に会いに来てくれた。

それは実家に保護してからも、毎日続いた約束だった。

最後の日も、

「チャー坊、またね。お昼に来るからね。」

と言って会社へ出かけたものだから、

チャー坊はお昼まで踏ん張って生きて待っていてくれた。

私は、静かに死んでいくチャー坊を膝に乗せ、

それでもあえて、

「チャー坊、またね。」とは言わなかった。

ボロボロになっても懸命に病と闘ってくれたチャー坊に、

それは言えなかった。

 

これは、7月23日のチャー坊だ。

毛は抜け落ち、体の内外あちこちに炎症が起こっていた。

触られるのも億劫だろうという状態であっても、

私が帰ると、チャー坊は

「大丈夫。僕は生きるよ。約束守るよ」と言わんばかりに、

私に寄り添ってくれたから。

 

いつだって「抱っこして」じゃなく「抱っこしていいよ」って

言ってくれてるみたいだったから、

だから私は最後だけは言わなかったんだ。

「チャー坊、またね。」と言わずに、晴れた空を見た。

 

私は今、

実はちょっとだけ後悔している。

あの時、「チャー坊、またね」って言わなかったことを。

 

チャー坊、ありがとう。