部屋に張ってある昔のポスターです
久しぶり、本当に久しぶりにメッセ経由で花見川サイクリングロードを走って来た、後半はかなりきつかったが止まらないで走りきれた。
出てすぐの跨線橋から東京方面、小さいがスカイツリーも見える
走りながら「6分ペース、6分ペース」と口ずさみながら走った、始めの2Kはオーバーしていたが、それ以降は少しずつ取り戻していった、メッセ付近は風も無く暑すぎずもしないので沢山のジョガーがいた。
マリン球場前からアパホテルの眺め
美浜大橋の昔いつも写していた定点写真、曇っているのでかすんでいる
美浜大橋から花見川サイクリングロードへ、さすがに今日は富士通の選手はいなかった、競歩選手が何人もロンドン五輪に行くので応援しなくては。
今日は浪花橋まで
さすがに走っていて10Kを超すと疲れが出てきた、眼の方は始めのうちに少し星が飛んでいたが、しばらくして無くなった、ただ足の張りと息の苦しさはキツイ、jogでコレジャーペース走はまだ先の話になりそう。
同じ写真を使います
長年走っているとその年代により、色々ライバルが出来るが、しかし私の生涯のライバルといえる人はHさん1人だけだった。
年は1つ上だが、身長も体格もほとんど同じ、足の長さだけは私が少し勝っていたと思うけど・・・。
陸上も30歳後半に同じように強くなりはじめ(レベル的にはたいしたことありませんでしたが!)、1,500Mからフルマラソンまで勝ったり負けたり、本当に小憎らしい相手でした。
ある日、第1回の庄和大凧マラソンに行った、40歳になって半年くらいだったので、40歳以上10Kを優勝狙いでソーと出かけたらなんとHさんがいるではないですか、「なんでここにいるんだよ!」と、二人同時に同じことを言ってしまった。
レースはスタートしてHさんに先行された、3分前に当時は20Kだったと思うが既にスタートして道が混んでいた、前を行く選手の間を縫いながら走り、5K付近で江戸川の堤防に上がった。
ここで20Kは右、10Kは左に行く、しかし前に行くHさんは混雑に紛れて右にコースを取っていた、10m位の差で着いていた私はそれを横目で見ながら左へ、しかし良心がとがめ登りきる前に「10Kは左だよー」大声で教えた、でも右に行っていたHさんが止まってコースを変える間に20m位差を付けた。
ここからは逃げろや逃げろで、同じ10Kを走る若い選手の背中にぴったり着き全力で走った、土手を降りるところでチラッと後ろを見たがあきらめたらしく着いてきていない、そのままゴールまで逃げ切った、少しせこかったがこのくらいしないと勝てない相手だった。
江東シーサイドマラソンのポスターの写真で折り返しで競っているのが私たちです、前の年87年の記録を見たら、サンミゲルの記録は1時間7分47秒で10位でした、たぶんこのレースでは負けたような気がします。
そのHさんもその後癌になり95年に亡くなった、憎らしいことにその後私にも癌をうつし
(うそです、癌はうつりません)私は01年に胃を2/3取られてしまいました、ここでも同じ病気で争っていた本当に小憎らしい人です。
その彼が亡くなったのは17年前の今日6月24日でした。