昨日、渋谷のシネマライズで、年末からずっと観たかった映画、
「PERSEPOLIS」を観て参りました。

イランの富裕層に属し、革命や戦争のたびにレジスタンスの闘士である身近な親戚や友人を失いながらも誇り高く生きるインテリ一家。
その一人娘として愛情と期待をかけられた利発な少女、マルジ(マルジャン・サトラピ)の9歳から20代前半の半生をモノトーンのシンプルなアニメーションで淡々とユーモアたっぷりに描きます。

叔父や友人の生き様と人生の終焉を、時として彼らから直接聞かされる、幼いながらも好奇心と反骨精神の塊の少女マルジ。
イラン革命のバックグラウンドから、イラン・イラク戦争の影に欧米の武器商人の思惑が隠されていることまで、子供扱いしないでキチンと説明する両親や叔父。
「いつも自分に対して公明正大でいること」を厳しくしつけながらも、朝起きるとブラジャーにその日摘んだジャスミンの花を入れ、胸の形を保つために毎日10分冷水につけているといういつも良い香りを包まれた優雅な祖母。

革命後の男女別学、今までの国王礼賛から一気にトーンを変えてイスラムの厳しい戒律を押し付ける学校教育にマルジは容赦なく舌戦を挑み、イスラム秘密警察が監視の目を光らせる街にも「PUNK IS NOT DED」のロゴを自分で書いたジャンパーを着こんで繰り出しアイアンメイデンのCDを闇で買ったり・・・危ない橋を渡ります。
心配した両親は14歳の彼女をウィーンに留学させることを決意。
別れに当っての祖母の教えは、「がっかりしたり失望させられたりしたら、その相手をバカだと思いなさい。決して復讐したり仕返ししたりしようと思わないこと。哀れみ、許すこと。」という言葉。
異邦人としてヨーロッパの街に暮らす彼女は思春期を迎え、自分自身の変化と、平和なヨーロッパで空論を弄ぶ仲間や時として差別が牙をむく社会に馴染めず、違和感を抱えながら読書に没頭し、クラビングする日々。
そんな中で、恋をし、失恋を経験。感受性の強い彼女は幸せの絶頂からの落差に耐え切れず、2ヶ月のホームレス生活を経験。
戦後の母国に傷心の末帰国し、暫しのアパシーから大学受験、学生生活、結婚離婚。
多くの政治犯と同様に獄中で命を失ったマルジの叔父、アヌーシュカが利発な彼女の求めるままに革命の理想と現状を語り聞かせ、最後の10分の面会で、乏しいパンでつくった白鳥の人形をマルジに手渡し、「君は僕の人生の希望の星だ」と抱きしめる場面のせつなさ。
戦後ますますイスラム色を強め、監視の厳しい母国に戻ったマルジは、デートのために化粧をして待ち合わせ場所に赴くが監視官に化粧を見咎められることを恐れて自分に視線を送った見知らぬ男を突き出す。帰宅後、訪ねて来ていた祖母はそれを聞いて厳しく叱り飛ばし、「公明正大であれ」と言い残して去る。
スーパーの駐車場でベールを深くかぶりなおせと横柄に指摘する男に、礼儀を注意すると
「お前のような女は犯されて野垂れ死にするがいい」とどなられてハンドルを握りながら悔し涙を滲ませる母。
彼女を取り巻く人々に備わる人生の重さと人間としての誇り。
そして、模索し、もがき、自分の場所を探しながら、時に落ち込み、時に明確に行動を起こす主人公の姿は青春時代を経験した全てのヒトへ共感を覚えさせずにおかない普遍性を持っているといえるでしょう。
とてもハンサムに描かれていたウィーン時代の彼が、浮気をした途端、回想シーンの全てでブ男に変身するところなど、アニメならではの楽しさもあれば、厳しすぎる歴史を淡々と刻むシーンの連続ではその冷静なタッチが重く響いてきたり・・・。
90分とアニメーション作品としては長尺ですが、最後Parisに旅立つ彼女のその先を見せるでもないラストといい、安易なカタルシスを許さないリアルなタッチの作風が時間を感じさせず、見ごたえのある作品でした。
声優に、祖母、ダニエル・ダリュー、母と娘がそのままリアルに母娘であるカトリーヌ・ドヌーブとキアラ・マストロヤンニがキャスティングされているのも話題。
原作はこの映画の監督でもあるマルジャン・サトラピの自伝的グラフィックノベル『ペルセポリスI イランの少女マルジ』と続編『ペルセポリスII マルジ、故郷に帰る』で、この作品自体は第60回カンヌ国際映画祭の審査員賞を受賞しています。
監督&脚本マルジャン・サトラピ&ヴァンサン・パロノー(本作の原作者とイラストレーター)
2007年フランス映画
「PERSEPOLIS」を観て参りました。

イランの富裕層に属し、革命や戦争のたびにレジスタンスの闘士である身近な親戚や友人を失いながらも誇り高く生きるインテリ一家。
その一人娘として愛情と期待をかけられた利発な少女、マルジ(マルジャン・サトラピ)の9歳から20代前半の半生をモノトーンのシンプルなアニメーションで淡々とユーモアたっぷりに描きます。

叔父や友人の生き様と人生の終焉を、時として彼らから直接聞かされる、幼いながらも好奇心と反骨精神の塊の少女マルジ。
イラン革命のバックグラウンドから、イラン・イラク戦争の影に欧米の武器商人の思惑が隠されていることまで、子供扱いしないでキチンと説明する両親や叔父。
「いつも自分に対して公明正大でいること」を厳しくしつけながらも、朝起きるとブラジャーにその日摘んだジャスミンの花を入れ、胸の形を保つために毎日10分冷水につけているといういつも良い香りを包まれた優雅な祖母。

革命後の男女別学、今までの国王礼賛から一気にトーンを変えてイスラムの厳しい戒律を押し付ける学校教育にマルジは容赦なく舌戦を挑み、イスラム秘密警察が監視の目を光らせる街にも「PUNK IS NOT DED」のロゴを自分で書いたジャンパーを着こんで繰り出しアイアンメイデンのCDを闇で買ったり・・・危ない橋を渡ります。
心配した両親は14歳の彼女をウィーンに留学させることを決意。
別れに当っての祖母の教えは、「がっかりしたり失望させられたりしたら、その相手をバカだと思いなさい。決して復讐したり仕返ししたりしようと思わないこと。哀れみ、許すこと。」という言葉。
異邦人としてヨーロッパの街に暮らす彼女は思春期を迎え、自分自身の変化と、平和なヨーロッパで空論を弄ぶ仲間や時として差別が牙をむく社会に馴染めず、違和感を抱えながら読書に没頭し、クラビングする日々。
そんな中で、恋をし、失恋を経験。感受性の強い彼女は幸せの絶頂からの落差に耐え切れず、2ヶ月のホームレス生活を経験。
戦後の母国に傷心の末帰国し、暫しのアパシーから大学受験、学生生活、結婚離婚。
多くの政治犯と同様に獄中で命を失ったマルジの叔父、アヌーシュカが利発な彼女の求めるままに革命の理想と現状を語り聞かせ、最後の10分の面会で、乏しいパンでつくった白鳥の人形をマルジに手渡し、「君は僕の人生の希望の星だ」と抱きしめる場面のせつなさ。
戦後ますますイスラム色を強め、監視の厳しい母国に戻ったマルジは、デートのために化粧をして待ち合わせ場所に赴くが監視官に化粧を見咎められることを恐れて自分に視線を送った見知らぬ男を突き出す。帰宅後、訪ねて来ていた祖母はそれを聞いて厳しく叱り飛ばし、「公明正大であれ」と言い残して去る。
スーパーの駐車場でベールを深くかぶりなおせと横柄に指摘する男に、礼儀を注意すると
「お前のような女は犯されて野垂れ死にするがいい」とどなられてハンドルを握りながら悔し涙を滲ませる母。
彼女を取り巻く人々に備わる人生の重さと人間としての誇り。
そして、模索し、もがき、自分の場所を探しながら、時に落ち込み、時に明確に行動を起こす主人公の姿は青春時代を経験した全てのヒトへ共感を覚えさせずにおかない普遍性を持っているといえるでしょう。
とてもハンサムに描かれていたウィーン時代の彼が、浮気をした途端、回想シーンの全てでブ男に変身するところなど、アニメならではの楽しさもあれば、厳しすぎる歴史を淡々と刻むシーンの連続ではその冷静なタッチが重く響いてきたり・・・。
90分とアニメーション作品としては長尺ですが、最後Parisに旅立つ彼女のその先を見せるでもないラストといい、安易なカタルシスを許さないリアルなタッチの作風が時間を感じさせず、見ごたえのある作品でした。
声優に、祖母、ダニエル・ダリュー、母と娘がそのままリアルに母娘であるカトリーヌ・ドヌーブとキアラ・マストロヤンニがキャスティングされているのも話題。
原作はこの映画の監督でもあるマルジャン・サトラピの自伝的グラフィックノベル『ペルセポリスI イランの少女マルジ』と続編『ペルセポリスII マルジ、故郷に帰る』で、この作品自体は第60回カンヌ国際映画祭の審査員賞を受賞しています。
監督&脚本マルジャン・サトラピ&ヴァンサン・パロノー(本作の原作者とイラストレーター)
2007年フランス映画