maria-pon

お着物Enjoy生活からバレエ・オペラ・宝塚etcの観劇日記に...

ウィーンフィル・ニューイヤー・コンサート2013

2013-02-04 23:02:47 | MUSIC
というタイトルが空々しい立春
1月はついに一度もブログを更新せずに終わってしまいました・・・。
というのも、2012年、書きそびれたことをどこかでUPしなくては・・ともんもんとしている間に怒濤の年末年始に突入して、2012年の残滓が行き場を失ったため・・・

とはいえ、このままでは2013年が始まらないので^^;
例年通りのウィーンフィルから遅ればせながらのSTARTに

今更ながら、今年もよろしくお願い致します。

ウィーン楽友協会から放送。
フランツ・ウェルザー・メスト指揮、ウィーン・フィルが奏でるワルツやポルカの名演。
【スタジオゲスト】夏木マリ、池辺晋一郎【司会】中條誠子アナウンサー

劇場付き指揮者のウェルザーメストの飄々とした学者肌の雰囲気と洒脱なウィーンフィルの持ち味が響き合い、
とてもリラックスした楽しい演奏を聴かせてくれました。



演奏された曲目は、シュトラウス一族の中でも地味めな存在のヨーゼフ・シュトラウスに焦点を合わせると言う
マニアックなもの^^。
ウェルザーメストらしいなと^^


ヨーゼフ・シュトラウス:   ポルカ・シュネル「スブレット」op.109
ヨハン・シュトラウス2世:  「キス・ワルツ」op.400
ヨーゼフ・シュトラウス:   「劇場カドリーユ」op.213
ヨハン・シュトラウス2世:   ワルツ「山から」op.292
フランツ・フォン・スッペ:  オペレッタ「軽騎兵」序曲
ヨーゼフ・シュトラウス:   ワルツ「天体の音楽」op.235
ヨーゼフ・シュトラウス:   ポルカ・フランセーズ「糸を紡ぐ女」op.192


― 休 憩 ―

リヒャルト・ヴァーグナー:  オペラ「ローエングリン」第3幕への前奏曲
ヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世: ポルカ・マズルカ「二人きりで」op.15
ヨーゼフ・シュトラウス:    ワルツ「宵の明星の軌道」op.279
ヨーゼフ・シュトラウス:   「ガロパン・ポルカ(使い走りのポルカ)」op.237
(バレエ)ウィーン国立バレエ団
ヨーゼフ・ランナー:     「シュタイアー舞曲」op.165
ヨハン・シュトラウス2世:   「メロディー・カドリーユ」op.112
ジュゼッペ・ヴェルディ:   オペラ「ドン・カルロ」第3幕からバレエ音楽
ヨハン・シュトラウス2世:   ワルツ「シトロンの花咲く国」op.364
(バレエ)ウィーン国立バレエ団

ヨハン・シュトラウス1世:  「エルンストの思い出、またはヴェネツィアの謝肉祭」op.126


― アンコール ―

ヨーゼフ・シュトラウス:    ポルカ・シュネル「おしゃべりな子供」op.245
ヨハン・シュトラウス2世:   「美しく青きドナウ」op.314
ヨハン・シュトラウス1世:  「ラデツキー行進曲」op.228

シュトラウスの他には、生誕200年を迎えるヴェルディとワーグナーから一曲ずつ。
ワーグナーのローエングリンは・・・圧巻ですね!
シュトラウスのワルツを聴いた耳でこれを聴くと、当時の人々がワーグナーの革新性に熱狂したのが実に良く理解できます^^;
VERDIも偉大な作曲家ですが、ドン・カルロよりももっとキャッチ―な演目があるでしょう!と思ってしまいました^^;
ちょっと割をくってしまいましたね。
また、スタジオで夏木マリが池辺晋一郎相手に平凡な常識人VERDIとワルイ天才肌のワーグナーという視点で先生はワーグナーですね、などとおもねる様がVERDIの天才はこんなものではないのに・・・と忸怩たる気分でいるVERDIファンの気持ちを逆なでし・・・(笑)
フォローを入れない中條アナにまで、どうして!軽く憤りを感じたりして^^;
まぁ、、それはともかく、今年のクラシック界は2人の偉大な作曲家へのオマージュ公演で盛り上がりそうですね

とても楽しかったのがウィーン国立バレエ団のバレエ。
色とりどりの衣装が夏の庭園をバックに鮮やかに映えて陽気なムードを盛り上げていた「ガロパン(ギャロップ)ポルカ」

白い衣装の貴族の男女が麗しい「シトロンの花咲く国」。
この白い貴族風の脇ロール付きの鬘をつけさせられていたのは唯一の東洋人、我らが木本全優くん。
ウィーン国立バレエ団の来日公演のときに、フォーゲル君がバレフェスで踊ったマルコ・ゲッケの「モペイ」を踊ってその美しい筋肉のついた素晴らしいプロポーションとフィギュアの本田武史くん顔負けの素朴なお顔立ちのGAPで強い印象を残した彼が抜擢されている!とコーフン。
でも、あの鬘は・・・ちょっと微妙な心持にさせられてしまいました・・・。


それにしてもORFの画像の美しさ・・・・会場の楽友協会の写し方、曲の見せ場を心得た楽団員のUP,雄大なアルプスなどオーストリアの美しい自然・四季折々の姿を格調高く見せるカメラワークと曲のシンクロ具合の職人技の素晴らしさは流石は世界に向かって開かれたヨーロッパの田舎町ウィーンならではであると感動します。

ヨーゼフシュトラウス協会のサイトでとても詳しい曲目紹介を見つけたので、
貼っておきます。



ヨーゼフ・シュトラウスのためのニューイヤーコンサート
曲 目 解 説
日本ヨハン・シュトラウス協会
若宮 由美
シュトラウス家の次男ヨーゼフ(1827-80)が、これほどニューイヤーで取りあげられたことがあるでしょうか。2013年の注目はヨーゼフです。技師であった彼は、1853年に兄ヨハン(1825-99)のピンチヒッターとして初めてシュトラウス楽団を指揮し、ワルツ〈最初で最後〉op.1を発表。音楽家になる意志のなかったヨーゼフでしたが、意に反して職業音楽家の道を歩みました。
生誕200年を迎えるのはヴァーグナー(1813-83)とヴェルディ(1813-1901)。そしてオイゲン公(1663-1736)は生誕350年。かつてのオイゲン公の城、シュロス・ホーフでバレエが踊られます。指揮者はオーストリア出身で、ウィーン国立歌劇場音楽監督のフランツ・ウェルザー=メスト。
<第一部>
■ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル〈スブレット〉op.109
Josef Strauss: Die Soubrette. Polka schnell, op.109
スブレットとは「小間使い」の意。オペレッタに登場する「ちゃっかりした小間使い」の役柄を指します。《こうもり》(1874)のアデーレがまさにスブレット。しかし、この曲は1861年8月初演で、ウィーンでオペレッタが大流行する以前に作られました。躍動感あふれるポルカは聴く者を楽しい気分にさせ、演奏会への期待を高めることでしょう。
■ヨハン・シュトラウス2世:〈キス・ワルツ〉op.400
Johann Strauss Sohn: Kuß-Walzer. op.400
1878年4月に最初の年上妻を亡くしたヨハン2世は、翌月2度目の結婚をします。再婚したヨハンは、1881年11月にオペレッタ《愉快な戦争》を初演。翌年1月の宮廷舞踏会で、オペレッタのヒット・メドレーというべき〈キス・ワルツ〉を披露します。「愛する妻アンゲリカへ」という献辞にもかからず、蜜月は続かず、25歳年下の妻はすぐに家をでます。
■ヨーゼフ・シュトラウス:〈劇場カドリーユ〉op.213
Josef Strauss: Theater-Quadrille. op.213
カドリーユは6曲の小曲から構成され、舞踏会ではダンスマスターの振付で踊られます。1867年1月初演の同曲には、ウィーンの諸劇場で評判となった劇作品のモティーフが散りばめられています。第1曲:A.ミュラー《エーゼルスハウト》、ヴェルディ《仮面舞踏会》、第2曲:スッペ《軽騎兵》、ヘルテル《フリックとフロック》、第3曲:《エーゼルスハウト》、第4曲:マイヤベーア《ディノラ》と《アフリカの女》、第5曲:J. ホップ《ドナウの乙女》、スッペ《古い箱》、第6曲:《ドナウの乙女》、オッフェンバック《青ひげ》。
■ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ〈山から〉op.292
Johann Strauss Sohn: Aus den Bergen. Walzer, op.292
高貴で優雅な響きの演奏会用ワルツ。夏に仕事で毎年訪れるロシアのパバロフスクで、1864年に作曲。デビュー20年を祝う12月の演奏会でウィーン初演されました。出版譜は音楽批評家ハンスリックに献呈。ハンスリックは10年程前にヨハン2世の管弦楽法を「ヴァーグナー的」と非難した人物ですが、ひそかなワルツ・ファンだったといいます。
■フランツ・フォン・スッペ:オペレッタ《軽騎兵》序曲
Franz von Suppé: Leichte Kavallerie. Ouvertüre
スッペ(1819-95)は、ウィーン風のオペレッタを書き始めた作曲家として知られています。
《軽騎兵》は1866年3月21日、ウィーンのカール劇場で初演。ハンガリー風音楽を用いた、最初のウィーン・オペレッタといえます。いまでは軽快な序曲のみが知られています。
■ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ〈天体の音楽〉op.235
Josef Strauss: Sphärenklänge. Walzer, op.235
1868年1月21日、ゾフィーエンザールで開催された医者の舞踏会で初演されました。タイトルが祝祭にそぐわないとみなされましたが、ヨーゼフの代表作となりました。古代ギリシア時代の音楽理論では、音楽の調和(ハルモニア)は宇宙の調和と同じと考えられていましたが、この曲を聴くと崇高な世界に導かれるようです。
■ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・フランセーズ〈糸を紡ぐ女〉op.192
Josef Strauss: Die Spinnerin. Polka française, op.192
1866年謝肉祭にフォルクスガルテンで初演。コトコト回る糸車がリズミカルに描写されています。有名な〈小さな水車〉op.57と、双璧をなすヨーゼフのポルカ・フランセーズですが、近年はあまり演奏されませんでした。シュトラウス楽団がしばしば演奏した、ヴァーグナーの〈糸紡ぎの合唱〉(《さまよえるオランダ人》)を手本にしたといわれています。
<第二部>
■リヒャルト・ヴァーグナー:オペラ《ローエングリン》第3幕への前奏曲
Richard Wagner: Lohengrin. Vorspiel zum 3. Aufzug
同オペラは1850年8月28日にワイマール宮廷歌劇場で初演されました。指揮はフランツ・リスト。夢想家のバイエルン国王ルートヴィヒに好まれました。ウィーン初演は58年8月。第3幕の前奏曲は壮麗な音楽で、オペラでは有名な〈婚礼の合唱〉へと続きます。
■ヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世:ポルカ・マズルカ〈二人きりで〉op.15
Josef Hellmesberger: Unter vier Augen. Polka mazur, op.15
マーラーの後任としてウィーンフィルの指揮者(1901~03)を務めたヘルメスベルガー(1855-1907)は、20歳で父の四重奏団に加わり、1878年ウィーン宮廷歌劇場管弦楽団のヴァイオリン奏者になります。同曲は77年頃の若い時代の作品。ポルカ・マズルカは、3拍子のマズルカにポルカのステップを組み合わせたダンスです。
■ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ〈宵の明星の軌道〉op.279
Josef Strauss: Hesperus-Bahnen. Walzer, op.279
ヨーゼフ最後の傑作。1870年4月にウィーン芸術家協会「ヘスペルス」の舞踏会で初演。ヘスペルスは「宵の明星」の意。同舞踏会は、1月に開場したばかりのウィーン楽友協会黄金ホールで開かれる予定でしたが、火事で数ヶ月延期されました。4月に優雅で遠大なワルツは大喝采を得ました。それから3ヶ月後、ヨーゼフは事故が原因で世を去ります。
■ヨーゼフ・シュトラウス:〈ガロパン・ポルカ(使い走りのポルカ)〉op.237
Josef Strauss: Galoppin. Pokla (schnell), op.237
多くのウィーンっ子が、証券取引所に興味を示す時代がありました。その頃、取引所に通信技術がまだなかったため、伝令役として「ガロパン」と呼ばれる「使い走り」が大活躍しました。この曲の初演は1868年。すでにガロパンは過去の風物詩でしたが、彼らが忙しく動きまわる姿がポルカ・シュネルで表現されました。
■ヨーゼフ・ランナー:〈シュタイアー舞曲〉op.165
Joseph Lanner: Steyrische Tänze. op.165
ピアノを習ったことのある人にとって、「シュタイター舞曲」は、ブルクミュラーの練習曲で馴染みがあると思います。この舞曲は3拍子の民俗舞踊で、ワルツの祖である「レントラー」の一種。農民によって踊られました。ランナーはヨハン・シュトラウス1世とともにワルツ隆盛時代を牽引した作曲家。同曲はディヴェルティスマン《芸術の力》(1841年1月ケルトナートーア劇場初演)の1曲。3人のダンサーによって舞台上で踊られました。
■ヨハン・シュトラウス2世:〈メロディー・カドリーユ〉op.112
Johann Strauss Sohn: Melodien-Quadrille. op.112
ウィーンではヴァーグナー以上に叩かれたヴェルディが、《リゴレット》(1852年5月12日ウィーン初演)でようやく賞賛を得ます。批評家はこの時もヴェルディを酷評しますが、皇帝フランツ・ヨーゼフとヨハン・シュトラウスはこのイタリア人作曲家を支持しました。同カドリーユには《リゴレット》(第1, 4曲)だけでなく、不評だった以前の作品、《エルナーニ》(第3, 4, 6曲)と《マクベス》(第2, 3, 5, 6曲)のメロディーも引用されています。
■ジュゼッペ・ヴェルディ:オペラ《ドン・カルロ》第3幕からバレエ音楽
Giuseppe Verdi: Ballettmusik aus dem 3. Akt von “Don Carlo”.
パリ・オペラ座からの依頼作《ドン・カルロ》は、パリ万博の1867年に初演されました。こんにちではイタリア語上演が多いのですが、2004年ウィーン国立歌劇場がコンヴィチュニーの演出でフランス語版を復活上演。それ以来、同劇場では仏語版と伊語版の両方が上演されています。バレエ音楽はグランド・オペラの形式を踏襲する仏語版で演奏されます。
■ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ〈シトロンの花咲く国〉op.364
Johann Strauss Sohn: Wo die Citronen blüh’n. Walzer, op.364
1874年《こうもり》で大成功を収めたヨハン2世は、翌5月にJ.ランゲンバッハ楽団とイタリア演奏旅行に出かけます。同曲はこの旅行用に作曲されました。タイトルは、ゲーテによる『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』の有名な「ミニョン」の詩に由来します。
■ヨハン・シュトラウス1世:〈エルンストの思い出、またはヴェネツィアの謝肉祭〉op.126
Johann Strauss Vater: Erinnerungen an Ernst oder Der Carneval in Venedig. op.126
ヴァイオリンの名手、エルンスト作曲の〈ヴェネツィアの謝肉祭〉op.18に基づく変奏曲。原曲がすでに民謡〈私のママ〉による変奏曲であり、1世の曲も変奏曲のスタイルで書かれています。楽器紹介さながらに、さまざまな楽器が入れ替わりでテーマを奏します。
■ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル〈おしゃべりな子供〉op.245
Josef Strauss: Plappermäulchen. Polka schnell, op.245
1868年4月初演。「音楽の冗談」という副題が付けられています。同じ副題が与えられた兄の作品〈常動曲〉op.257と同様、この曲には終止がなく、際限なく演奏が繰り返される「常動曲」のスタイルで書かれています。タイトルは10歳になるヨーゼフの一人娘カロリーネを暗示しています。ウィーンフィルの演奏によって有名になりました。
* ヨハン・シュトラウス2世の作品タイトルについては、日本ヨハン・シュトラウス協会『ヨハン・シュトラウス2世作品目録』(2006)に従っています。