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お着物Enjoy生活からバレエ・オペラ・宝塚etcの観劇日記に...

宝生流「五雲会」

2013-02-17 04:56:29 | 伝統芸能
2013年2月16日(土)、水道橋は宝生能楽堂での「五雲会」に行って参りました。

12時に始まり、17:50に終了というたっぷりとした時間をお能4演目、狂言2演目、間の休憩が10分ずつというスケジュールで、みっちりとした伝統芸能の時間に浸りました^^

12:00 能「竹生島(ちくぶしま)」
13:15 狂言「腹不立(はらたてず)」
休憩10分
13:45 能「芦刈(あしかり)」
休憩10分
15:15 能「源氏供養(げんじくよう)」
休憩10分
16:40 狂言「しびり」
16:50 能「舎利(しゃり)」

■「竹生島」

延喜帝(醍醐天皇)の臣下が、竹生島の弁才天の社に詣でようと、琵琶湖を訪れ、湖畔で出会った老いた漁師と若い女の釣り舟に便乗し、湖に浮かぶ竹生島を目指します。湖春のうららかな景色を眺めるうちに竹生島へ着き、老人は臣下を社に案内します。女人禁制のはずなのに、女性が杜に同行するのを怪しんだ臣下がそれを尋ねますが、実は女性はまつられている弁財天、老人は湖の主であるという顛末に。
杜に入って宝物を拝見している間に御殿が鳴動し、光輝く弁才天が現れて夜の舞楽を奏するうち、こんどは湖中より龍神が現れ金銀珠玉を臣下に捧げ、祝福の姿を表す・・・という、まことにめでたく壮麗なお能です。

まず、一畳敷きの敷物を、次に杜を表す屋根とワク組みを垂れ幕で覆ったものがそれぞれ運ばれて舞台に設置されます。能の大道具はこのようにして運ばれ、そして終了とともに、また、粛々と端正な身振りで持ち去られて、最後の1人に至るまで、舞台の上から人とモノがきれいに引ける様までを無駄なく様式化された動きで見せるのもまた特色。

3人が島に向かう船も枠組だけの装置ながら、舳先と艫の別がわかる秀逸な造型で、琵琶湖に浮かぶという竹生島に、改めて行ってみたくなりました^^
うららかな春の湖を行く遊覧気分と、夜の典雅にして神々しい天女と龍神の舞のコントラストが楽しめる、清々しさのある演目でした^^

■「腹不立」
2人の村人が御堂の住職を探していると、妖しいにわか坊主がエントリーしてきます。
名を「腹立てずの正直坊」と名乗るので敢えて腹を立てさせるように2人が詰め寄るとあっさり馬脚を出すという単純なストーリーながら、演者のリズミカルな動きや凛ととおる声に感心。
宝生流のお能には、大蔵流の狂言という御約束があるそうで・・・。
野村萬斎でメジャーな和泉流のナチュラルな台詞回しとはまた異なる様式美を感じました^^

■「芦刈」

世阿弥の人情噺。
津の国の日下の里(大阪府東大阪市)の住人の左衛門はもとは武士であった様子ですが、主君が没落したか何かで、今は困窮し、生活のために芦を売り歩く商人となりました。やむなく別れた愛妻は、京の都で高貴な家の乳母となって、幸せに暮らしている・・・という設定。
心ならずも別居の2人、妻は生活が安定したので、夫を探す旅に出ます。
夫は不遇を嘆くでもなく、自分の生業に満足し、平常心で芦を売り歩いているのですが、ある日、彼を探す妻の一行にそれと知らずに、面白く囃しながら芦を売り、問われるままに、昔、仁徳天皇の皇居があった御津の浜の由来を語り、笠尽しの舞を見せます。
ところが思いがけずに妻の姿を認めた夫は急に困窮の身の上を恥じて、近くの小屋に身を隠してしまいます。
その後、言葉を交わして打ち解け直して、夫は装束を改めて男舞を舞います。

盛りだくさんな内容をすべて初見で理解するのが少し難しく感じましたが、職業に貴賎なしと胸を張って自足して生きる姿にも日本人の心を感じる後味の良いお話でした^^

■「源氏供養」

紫式部の供養を高僧が頼まれる・・・という幻想的な能。
「源氏物語」の執筆場所と伝えられる琵琶湖を望む石山寺。
そこに向かう高僧、安居院法印(あぐいのほういん)を呼びとめる1人の女性が。
彼女は自らを源氏物語60帖の作者であると名乗り、光源氏を供養しなかった罪ゆえに成仏できずにいると語り、供養を願い出ます。
法印がそれを受けて、石山寺で紫式部の菩提を弔ううちに、灯火の影に幻のように美しい女が現れます。在りし日の姿で現れた式部は、供養を喜び、お礼にと法印の望みのままに舞います。その後成仏を望む願文を記した巻物を法印に手渡します。その願文は『源氏物語』54帖の題目を織り込んだ凝ったものであった・・・という展開。

ワキの福王和幸氏の装束の着こなしがとてもきれいだったこと、紫式部の装束が前・後半の2種ありともに大変豪華なものであったことが印象に残っているのですが、楽しみにしていた源氏から引かれているはずの謡の文句が充分には聞きとれず・・・
長丁場の疲れ?自分自身の勉強不足ゆえ?
両方あるかと思いますが、次回、この演目を観賞する機会があれば、もう少し予習が必要かも・・と思いました^^;


■「しびり」

主人が太郎冠者を魚を買いに使いにやろうと命ずると、気の乗らない太郎冠者が持病のしびり(痺れ)で足が痛くなり動けないと主張。
一計を案じた主人が、叔父がご馳走すると招待してくれたがその様子だとムリだから、代わりに次郎冠者を連れていくと言い渡します。
すっかりなおったと調子のよい太郎冠者に再び使いを命じる主人が上手。

主人役の山本凛太郎氏、太郎冠者の山本則俊氏は祖父と孫の関係でしょうか?
口跡の良いお二人でした^^

■「舎利」

始めに一畳台が出されその上に、光輝く金色の卵のような舎利を載せた黒い三宝が置かれます。
舞台の客席よりギリギリに置かれるので、2列目で観賞していたわたくしは、目の前であのスペクタクルが展開されるのか・・・!とワクワク^^

出雲の国(島根県)美保の関から来た旅僧が仏舎利を拝観しに、東山の泉涌寺にやって来ます。寺の僧の案内で、仏舎利を拝んで感激していると寺の近くに住むという男(里人)がやって来て、一緒に舎利を拝みます。彼は異形で、蓬髪(ほうはつ・みだれがみ)に怪士(あやかし)という怪奇な面をつけており、仏舎利のありがたいいわれを語ります。
ところが俄かに空がかき曇り稲妻が光ると、男はひとっ飛びに台に上り、舎利とその台を捧げ持ち、三宝を踏み砕いて去ってしまいます。彼は昔、一度、仏舎利を奪ってまた奪い返された、昔の足疾鬼(そくしっき)の執心であると言い、懲りもせずにまた仏舎利を奪ったのですが、設定としては、天井を蹴破って虚空に飛び去ったことになっています^^;(実際には、走り去る・・のですが)
音楽も、笛・大小の鼓、太鼓がエモ―ショナルに鳴り響き、非常に盛り上がる場面です。
それにしても、三宝を踏み砕く、とい舞台上における器物破壊行為には度肝を抜かれます@@

僧は、物音に驚いて駆けつけた寺の僧に事情を説明。寺の僧は、釈迦入滅の時、足疾鬼という外道が、釈迦の歯を盗んで飛び去ったが、韋駄天という毘沙門の弟の足の速い仏が取り返した、という話をします。そして、二人が韋駄天に祈ると、韋駄天が現れ、足疾鬼を天上界に追い上げ、下界に追いつめ、仏舎利を取り返します。最終的に足疾鬼は、力も尽き果てて逃げ去ります。

この韋駄天と足疾鬼の対決がVISUAL的にも観もので・・・
ともに歌舞伎の唐獅子のような鬘をつけて面を装着しているのですが、真っ赤な頭に黒地に金襴緞子の胴着、白袖の足疾鬼と黒髪の韋駄天が一畳敷の両端でにらみ合う様は絢爛にしてドラマチック、宇宙の果てである天竺から来たという2人の超高速の闘いをスローモーションコマ送りのような動きで表現する様も新鮮でした
この主役(シテ)である足疾鬼を演ずるのが内籐飛能先生(友人が師事しているので^^)で、ダイナミックな演技で舞台を盛り上げていらっしゃいましたが、ツレの韋駄天の木谷哲也氏とともに、面をつけているために声がこもって聞こえるのがちょっぴり残念と言えば残念。
このすべてを目撃しつつも動揺を見せずに物語る旅の僧を演じるワキの則久英志氏の声が良く、また節回しも美しく、非常に謡の上手い方で、わたくしのような素人でも、上手いなぁと聴きほれるほど。

お能も奥が深いですね。
謡と仕舞の発表会を拝見する機会を去年から持つようになり、その面白さにハマりつつありますが、
装束をつけての能舞台はまた格別の味わいがあることだと
また、機会があれば観賞したいと思いました