いきなりロシアペアにノックアウトされていますが、他の出演者も素晴らしく・・。
「牧神」
マラーホフの牧神は、昨年見たジュド様の牧神とは全く異なる世界の生き物。
ジュド様の牧神が、2次元の世界を厳格に守った上で、気まぐれで力強く神々しい雄雄しさを感じさせたのに対し、マラーホフのそれは、しなやかで自由で両性具有的な優しさを感じさせる草食動物のような感じ。
相手役はジュド様の時と同様に東バの井脇幸江さん。
振り付けのオリジナルの形式をしっかりと踏襲して品格のある完成されたニンフを演じて、この作品の輪郭をキチッと格のあるものに引き上げるのに大いに貢献されていたと思います。
「白鳥の湖」第2幕
マラーホフがボリショイから引き抜いて大切に育てている「プリンセス」ポリーナ・セミオノワとの師弟共演。マラーホフはノーブルで真摯な王子を、ポリーナは優雅にしとやかな白鳥を、技巧に走ることなくしっとりと見せてくれた一幕。
ポリーナは同年代のフリーデマン・フォーゲルとのときはかなり大きく演技の振り幅をつけていたようでしたが、今回は全てを控え目にして押さえた叙情性を表現。上品ではありましたが、わたくしはもっと劇的に演じる彼女のほうが好みです。
マラ-ホフの王子役は、いつも恋人に誠実で自然なノーブルさが立ち上るキレイな存在ではあるのですが彼の個性が際立つかと言うと、パートナーの影として控えるポジションが快くもあり、物足りなくもあり。。。
今の彼を表現するには
「ラ・ヴィータ・ヌォーヴァ」のようなソロのほうがむいているのかもしれません。
以下はNBSのHPからの引用です。
>(新しい人生)。振付は、ベルリン国立バレエ団のプリンシパル、ロナルド・ザコヴィッチです。
マラーホフに、作品について教えてほしいとお願いすると、「東京に来る直前に創った作品で、今回が世界初演なんだ!」と目をキラキラさせながら語ってくれました。
「日本の皆さんには、いつも何か新しいものをお見せしたいと思っていたんです。この作品には二つの全く違う面があって、そのベースには、天使のようなものが、禍々しい部分から生まれ出る、というアイデアがあるんです」
80年代に活躍したドイツ出身のカウンターテナー、クラウス・ノミの音楽をマラーホフ自身が選び、ザコヴィッチに創作を依頼したというこの作品。彼の新たな一面との出会いも期待できそうです!
怪我から復帰して、新たな気持ちで踊りに取り組む彼の現在と心象的な振り付けが溶け合って、退屈になりがちな現代作品のソロが血肉を持ったものになっていた、と思います。
「牧神」
マラーホフの牧神は、昨年見たジュド様の牧神とは全く異なる世界の生き物。
ジュド様の牧神が、2次元の世界を厳格に守った上で、気まぐれで力強く神々しい雄雄しさを感じさせたのに対し、マラーホフのそれは、しなやかで自由で両性具有的な優しさを感じさせる草食動物のような感じ。
相手役はジュド様の時と同様に東バの井脇幸江さん。
振り付けのオリジナルの形式をしっかりと踏襲して品格のある完成されたニンフを演じて、この作品の輪郭をキチッと格のあるものに引き上げるのに大いに貢献されていたと思います。
「白鳥の湖」第2幕
マラーホフがボリショイから引き抜いて大切に育てている「プリンセス」ポリーナ・セミオノワとの師弟共演。マラーホフはノーブルで真摯な王子を、ポリーナは優雅にしとやかな白鳥を、技巧に走ることなくしっとりと見せてくれた一幕。
ポリーナは同年代のフリーデマン・フォーゲルとのときはかなり大きく演技の振り幅をつけていたようでしたが、今回は全てを控え目にして押さえた叙情性を表現。上品ではありましたが、わたくしはもっと劇的に演じる彼女のほうが好みです。
マラ-ホフの王子役は、いつも恋人に誠実で自然なノーブルさが立ち上るキレイな存在ではあるのですが彼の個性が際立つかと言うと、パートナーの影として控えるポジションが快くもあり、物足りなくもあり。。。
今の彼を表現するには
「ラ・ヴィータ・ヌォーヴァ」のようなソロのほうがむいているのかもしれません。
以下はNBSのHPからの引用です。
>(新しい人生)。振付は、ベルリン国立バレエ団のプリンシパル、ロナルド・ザコヴィッチです。
マラーホフに、作品について教えてほしいとお願いすると、「東京に来る直前に創った作品で、今回が世界初演なんだ!」と目をキラキラさせながら語ってくれました。
「日本の皆さんには、いつも何か新しいものをお見せしたいと思っていたんです。この作品には二つの全く違う面があって、そのベースには、天使のようなものが、禍々しい部分から生まれ出る、というアイデアがあるんです」
80年代に活躍したドイツ出身のカウンターテナー、クラウス・ノミの音楽をマラーホフ自身が選び、ザコヴィッチに創作を依頼したというこの作品。彼の新たな一面との出会いも期待できそうです!
怪我から復帰して、新たな気持ちで踊りに取り組む彼の現在と心象的な振り付けが溶け合って、退屈になりがちな現代作品のソロが血肉を持ったものになっていた、と思います。