天才ピカソ 23歳
外目にも、好男子だったのですね。知りませんでした。
天才の秘密を解く鍵・・・そのⅠ『名前がユニーク』
『洗礼名が、パブロ、ディエゴ、ホセ、フランシスコ、デ・パウラ、ファン・ネオムセノ、
マリア・デ・ロス・デメディオス、クリスビン、クリスビニアノ、デ・ラ・サンティシマ、トリニダーノ、11個。
そして 父方の姓・ルイス と 母方の姓・ピカソ。 熱心なキリスト教徒でした。
天才といえども、自分の名前のすべては覚えられなかったとか?
『ピカソ、天才の秘密』 -ピカソ芸術の根幹に迫るー
『ピカソ絵画展』に行ってきました。
天才・ピカソの秘密を解く鍵…そのⅡ『その創造の秘密』
皆様!天才ピカソの絵というと、皆様はどんな絵を思い浮かべますか?①色々の形がパズルのように組み合わさった絵。
②まるで福笑いのように、目や鼻や口がおかしな位置についている絵。
そんなイメージがあるかもしれません。
天才だから、普通の人には分からない絵が描けるのだ。という人もいるでしょう。
でも、ピカソは最初からそのような絵を描いていたのではありません。
皆様!
今日は、『年代順ピカソの世界』をお楽しみ下さい!
『The Secret of Picasso's Genius ピカソの天才の秘密』 『本』を参考にしました。
第1章:『少年時代』:1874年~1901年:13歳~20歳
美術教師だった父の手ほどきで、みるみるうちに早熟の才能を発揮したピカソ。
『自画像』 1896年(15歳)作品
美術学校の教育に飽き足らず、美術館で先達の作品に学びながら成長していく。
10代にして、多彩な作風、人や社会への鋭敏なまなざし。 驚嘆するほかありません。
ピカソ曰く:
『私は子供らしいデッサンを描いたことが全くない。決してね。どんな幼い時もだ。』
天才・ピカソの秘密を解く鍵…そのⅢ『私の作品は日記のようなもの』
ピカソの創造の秘密は、『ピカソの日記』を読み解くようなものです。
ピカソは、子どもの頃から、早熟な才能を発揮はしていましたが・・・
天才が天才と呼ばれるようになるまでには、人生の様々な道のりがあり、
そのつど一人の人間として、悩み、苦しみ、歓び、そして挑戦するという日々の積み重ねがあったのです。
第2章:『青の時代』:1901年~1904年:20歳~23歳
1901年、ピカソの『青の時代』が始まります。
親友の自死によるショックや、無名画家としての貧しい生活は、
ピカソのカンヴァスを、メランコリックな青い色調で覆います。
『青い肩掛けの女』 1902年(21歳)作品
同時に、
社会的弱者へと目を向けさせ、『人間に対する深い洞察力』を培っていきました。
『海辺の人物』 1903年(22歳)作品
痩せ細った家族。目が見えないのか?息子の頭に手を任せる父親。
『青の時代』の作品からは、
ピカソの制作の原動力というべき、
『人間への共感』そして『生へのあくなき関心』 が伝わってきます。
ピカソ曰く:
『カザンジェマスの死について考えながら、青色の絵の具で描くようになったんだ。』
第3章:『バラ色の時代』:1905年~1906年:24歳~25歳
1904年の春から、ピカソはパリに住み、技術仲間と共同生活を送り始めます。
美しい恋人もでき、次第に心の安定を取り戻したピカソの絵は、
ピンクを主調色としたものに変わり、
道化師や市井の人々を、繊細な叙情性をもって、描くようになりました。
『青の時代』から、『バラ色の時代』へ。
『技法』も『被写体』も変わって行くのです。
『扇子を持つ女』 1905年(24歳)作品
『バラ色の時代』の初期の作品は、
色彩は女性の服の青緑が一番強く、全体的に青っぽい印象を受けます。
『青の時代』の作品と見間違いがちです。
しかし、
同じ女性像であっても、描かれる対象は、
『青の時代』を特徴づけていた社会の下層に生きる女性ではない。
『パンを頭にのせた女』 1906年(25歳)作品
恋人・フェルナンドとピレーネ山脈の小村・ゴゾルに滞在。
『恋人が村の衣装を着た作品』。
『バラ色の時代』の作品に・・・
自らの人生のリアルな体験や感情を制作の本質とし続けた
『人間』ピカソの足取りをみることができます。
ピカソ曰く:
『私の内面は、否応なく私の絵画に表れる。』
第4章:『キュビズム時代』:1907年~1920年:26歳~36歳
1907年、ピカソのとどまるところを知らない創作意欲は、
美術界を震撼させる『新たな作風』を誕生させます。 『キュビズム』の始まりです。
『頭部』 1909年(28歳)作品
描く対象を、さまざまな視点から分析・解体して、再構成した奇妙な絵。
しかし、
それもまた、ピカソにとっては必然であり、生涯続く挑戦のワンステップでした。
『ブルゴーニュのマール瓶、グラス、新聞紙』 1913年(32歳)作品
人生の新たな展開とともに、ピカソの作品はその後も、更なる変貌を遂げていったのです。
ピカソ曰く:
『あらゆる創造活動は、まずなによりも破壊活動である。』
そんな中・・・
『オルガ・ピカソの像』 1918年(37歳)作品
美しいロシアの貴族の娘と結婚。
幸せな結婚生活の中で・・・『新古典主義の時代』へと向かうピカソ。
画法が、又、進歩していきます。
『母子像』 1921年(40歳)作品
第5章:その後・・・ピカソは91歳に至るまで、変貌の創作活動をつづけました。
以上。
楽しみいただけましたか? 長々と。お粗末様でございました。
色々の形がパズルのように組み合わさった絵。とか
福笑いのように、目や鼻や口がおかしな位置についている絵。等。
と、考えていた私の『ピカソへのイメージ』が、まるで間違っていたことに気づいた感動を、
皆様にお伝えしたかった次第でございます。
『ピカソ、天才の秘密』をお知らせしたかった次第でございます。
ありがとうございました。
そして。
今日は、7月2日。年間第十三土曜日。
『今日の福音書 イエスの言葉』
『新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。
そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。
新しいぶどう酒は、新しい革袋へ入れるものだ。
そうすれば、両方とも長もちする。』 マタイ福音書 9章14-17
こういうことでしょうか?
キリストは、
それまでのユダヤ教を、更に進展させて、新しい精神、新しい考え方をもたらしました。
それは、救い主の到来がもたらした、『救い主の時代の喜び』です。
私達は、
キリストのもたらした『新しい救い主の時代の喜び』を受け容れるためには・・・今までの精神や考え方に捕らわれれていては、
イエスの考えは私達の理解を超えているので、私達の心は破れてしまうのです。全く、新しい気持ちで、イエスの良い知らせを受け容れなければなりません。
ピカソも、
自分の今までの心の在り方を変えて、新しい自分になった時に・・・
『新しい日記』が生まれ、『新しい技法』が始まったのです。
私達も、
新しい自分になるために・・・
今までの考え方を否定するのではなく、
『新しい心の定規』を持つことが問われるのではないでしょうか? 頑張りましょう!
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は、美術館や博物館の訪問がお好きですか?
私は大好きです。
そこで、自分の感性や美意識が高まり・・・『新しい心の定規』が育っていくのが分かるのです。
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本日のランニング:8㎞ 7月ランニング合計距離:8㎞