マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

聖木曜日・・『最後の晩餐』 そして 『洗足式』

2012-04-05 19:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
『聖木曜日』
イエス・キリストが十字架上で処刑される聖金曜日の前夜。 木曜日です。
今年の聖木曜日は、4月5日です。

聖木曜日に・・
イエス・キリストは、最後の晩餐の席で、二つのことを設定します。
①『主の食卓』(過ぎ越しの食事)=『救いの秘蹟』  ②『洗足式』=『イエスの掟』


まずは・・

①『主の食卓』(過ぎ越しの食事)=『救いの秘蹟』の設定


レオナルド・ダ・ヴィンチの 『最後の晩餐』

我が家の食堂にかかる『最後の晩餐』  複製です。勿論。



新約聖書のキリストは、
十字架上の処刑の前夜の木曜日に、
全世界の人々を罪から救い出そうとして、『最後の晩餐』の準備を命じます。

『「わたしたちのために過ぎ越しの食事の準備をしておきなさい。」
夕方になると、イエスは12人の弟子と一緒にそこへ行かれた。』
         マルコ書福音14章15&17節


さかのぼって・・
旧約聖書の出エジプト記の時代:
主は、
奴隷としてエジプトに住むイスラエル人を助け出そうとして、モーゼと共に、『最後の手段』を講じ、命じます。
その時に、同時に、『主の過越』=『救いの秘蹟』の設定、をも命じます。

『最後の手段』:
『真夜中ごろ、わたしはエジプトの中を進む。そのとき、エジプトの国の初子は皆、死ぬ。
王座に座しているファラオの初子から、石臼をひく女奴隷の初子まで。』
       出エジプト記11章4&5節

更に、主は、イスラエル人の初子を守るために、命じます。

『主の過越』=『救いの秘蹟』の設定:

『さあ、家族ごとに羊を取り、過ぎ越しの犠牲をほふりなさい。
鴨居と入り口の2本の柱に、鉢の中の血を塗りなさい。
主がエジプト人を撃つために廻るとき、鴨居と2本の柱に塗られた血をご覧になって、その入り口を過ぎ越される。
滅ぼす者が家に入って、あなたたちを撃つことがないためである。
あなたたちはこのことを、あなたと子孫のための定めとして、永遠に守らなければならない。』
       出エジプト記12章21~24節



新約聖書時代に戻りまして・・・

キリストは、『最後の晩餐』で、12人の弟子たちに話します。

『一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。
「取りなさい。これはわたしの体である。」 
また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。
「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」』
         マルコ福音書14章22&24節

『わたしの記念としてこのように行ないなさい。』
         ルカ福音書22章19節


イエスは、
聖木曜日に、12弟子と共に摂った夕食=『最後の晩餐』で、
鴨居に塗る羊の血ではなく・・ご自分の十字架上の死による血によって・・
『過ぎ越しの食卓』=『救いの秘蹟』、つまり、=『ミサ』=『聖体』を、設定なさいました。 ということです。 感謝!感謝!


次に・・

②『洗足式』=『主の掟』の設定

聖木曜日・5日夜:明石教会の 『洗足式』

信者の足を洗うために、しゃがみ込むレクダク神父です。 右端。


キリストは、聖木曜日の『最後の晩餐』の席で、12人の弟子の足を洗い始めます。

『イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたたこと、また、
御自分が神のもとから来て、神の元に帰ろうとしていることを悟り、
食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいで拭き始められた。』
         ヨハネ福音書13章2~5節

『ぺテロが、「わたしの足など、決して洗わないでください。」と言うと、
イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。』
         ヨハネ福音書13章8節

『さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。
「わたしがあなた方にしたことが分かるか。
主であり、師であるわたしがあなた方の足を洗ったのだから、
あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
わたしがあなた方にしたとおりに、あなたはたもするようにと、模範を示したのである。」』
         ヨハネ福音書13章12~15節

イエスは、
弟子たちの足を洗われる程に、ご自身を低くし、弟子たちに身をもって愛の模範を示されました。 謙遜の教えです。


『洗足式』=『イエスの掟』

『わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。
    これが私の掟である。』
      ヨハネ福音書15章12節

イエスは、
『洗足式』=『イエスの掟』、を設定なさいました。ということです。 感謝!感謝!


また、洗足には、
②-1:「謙遜に献身的に仕えること」=「イエスの掟」 の意味の他に、、
②ー2:「罪から聖別すること」 の意味があります。

旧約聖書の時代から、
水の洗いが、聖別(罪のきよめ)の手段、として用いられてきました。
ノアの箱舟。モーゼの割れる海の水。モーセの岩の水。等々。

そして
新約聖書の時代でも、同様です。
イエスの洗足。十字架上のイエスの脇腹から出た水。水と霊による洗礼。等々。です。


 『互いに愛し合いなさい。』
    なかなか実行の難しい『主の掟』です。


つらつら、『主の掟』、を考えますに・・

自分の愛の限界を見つめていたのでは・・実行は不可能です。 無理無理!
キリストが示された『模範』を見つめていると・・実行できる勇気がわいてきます。 ファイト!


  本日は、聖週間中の、聖木曜日。
神と御子イエスと聖霊に・・・感謝!感謝!