少しの期間だけ、帰省した。母の命日の翌週になってしまったのだが.
父は同じように寝床にしている大きな赤い座椅子にすわっていた。
またちょっと小さくなった感じがした。
父にはまだまだ言い足りないことがあるらしく、見舞いに行くものすべてが父の話を聞いて帰ることになっている。もう、何年も続いている習慣であるかのようにである。そのくらいたくさんの話があるのだからすごい!とも言える。ただ、それはそれ、私にも思い当たる、何回となく同じ話を遠慮がちに、『もう、話したことがあったかな?』と、前置きをしながらでもあったりする。
アメリカに留学している次男がこの冬の研究課題にしている『原爆』についての話になったとき・・・・今やアメリカと父はスカイプでリアルタイムに繋がることができる・・・父が思いがけない話をした。自分が原爆を投下された直後の広島にいた というのだ。なんせ、今まで同じ話を何度も聞いたことがあるのに、この話は全く初めてだった。父の記憶のそこにあるそれは、あまりにも悲しくて、そして苦しくて、自らがその記憶を封印してしまったのではないだろうか・・・・と、私は想像した。
そして、それ以上を語りたがらなかった。父が帰国してインタビューに訪れるだろう次男にどんな話をするのだろうか。