父が亡くなって49日。実家の岡山で納骨を行った。
○○家の代々墓の中。母の骨壺が収まっている。その隣に新しく父の骨壺が置かれた。
兄が、二人をそっとくっつけた。やっと、ほっとする。
父の介護と看取り。そして、お葬式。その後、息子の卒業式で渡米。帰国して間をおかずに納骨で移動・・帰国後は毎日頭痛で悩まされた。どうも、飛行機の乗りすぎのような気がしてならなかった。時差を超えていくということの身体への負担は相当なものだと感じた。
また、後継するということ、生活をするということ、住む場所がどこにあるのか、お墓はどうするのか・・・・と、様々なことを考えずにはいられなかった。
生前の父や母との会話から、糸口をみつけようとする。父はどうしたかったのだろうか…・母はどうしたかったのだろうか・・・
いろいろ考えてみて、父や母は、兄や私に幸せに生きてほしいと、ただそれだけを願っているのだと、やっと気づいた。
形にこだわることも、とても大切。伝統文化を重んじることも、とても大切。真摯に考える必要がある。しかし、真摯に考えることと、幸せに生活することがかけ離れていてはどうしようもない。
人を傷つけず、ましてや親類縁者を傷つけることなく、幸せに生きていくことが、とても大切だと思った。
それで失うものがあっても、それはそれでいい。それで、変わっていくことがあっても、それでいい。
そんなことを思い続けた何週間かだった。
そして、私は父が遺言した通りに、働き始める。明日から。なんだか、わくわくして知恵熱が出そう