そんな教師ばかりではないことも知ってはいるのだが・・・・
アメリカ生活7年間を経験して、感じること。(つまり、それ以前はあまり違和感はなかった)
日本の先生たちの感情的ななじり。「なじり」は指導ではない。ましてや、教育ではない。
生徒を人格的に対等だと認めていない姿勢が、現れていると感じる。指導と飼育を勘違いしているのではないか。
テニスで市営のコートを利用していると、中学や高校の部活と隣り合わせになることもある。
先生たちは、休日を返上したり、時間を生徒のために使っているのだろう。しかしながら、「俺が来てやってるのはなんのためだ」「いったいおまえはやる気があるのか」などど、まるであれではやくざのような、怒鳴り方で驚くばかりである。時間を生徒のために使えば、何を言ってもいいということには、ならない。
ましてや、体罰などはもっての他だ。簡単なことだ。自分が平手打ちをされたらやる気になるのか、自分が怒鳴られたらやる気が出るのかを考えてみればいい。答えは、否、ノーだ。
愛のむちの論理は、鞭をふる方の論理であって、ふられる方の論理ではない。
冷静に、静かに話してこそ、相手は聞き耳を持つ。
体罰や、罵声は、相手に対し、怒りや恐怖を植えつけるだけで、子供たちが内容を受け止められるとは思えない。
アメリカの先生は、怒鳴らない。生徒を対等な人間として扱う。
もちろん、家庭でも、それは必要だ。親の意見を押しつける前に、子供の意見を聞き、人間としての価値は対等であるという考えを持たなければならない。
家庭で親が子供に暴力をふるい、学校で先生が子供に暴力をふるう。やりこめられた子供たちは、もっと弱い子供たちをいじめ・・・
一体どうなっていくんだ。と・・・思う。