ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

群馬県甘楽郡甘楽町の雄川堰沿いのソメイヨシノの並木は満開です

2015年04月05日 | 旅行
 群馬県甘楽郡甘楽町の雄川堰(おがわせき)が流れる街並みの桜並木は、花見の名所です。

 甘楽町は徳川時代初めに、織田信長の次男の織田信雄が小幡藩(おばたはん)の藩主として赴任した城下町であることを“観光の目玉”にしています。

 甘楽町の雄川堰は、甘楽町を南側から北側に流れている雄川の上流で分流させ、当時の街中などを流れる疎水(上水道?)として人工的に整備したものです(下の画像の左下の疎水)。小幡町の説明によると、初歩的な疎水は織田家が来る前からあったようです。



 その雄川堰に沿って、ソメイヨシノ(染井吉野)の桜並木が続きます。


 
 昭和初期当時のような風景です(実際には次第に観光地域化されていますが)。

 雄川堰に沿った桜並木の中央部分から少し奧に入った所にある小幡八幡宮は、織田家の守護神です。



 小幡の織田家の三代目の織田信昌が創建したものです。この参道にある桜並木は花見ポイントの一つになっています。この小幡八幡宮の前にある石碑には、「村社小波多神社」という文字が彫られていました。当時、小幡は「小波多」とも表記されたようです。

 この小幡八幡宮は八幡山公園の麓にあります。八幡山公園の山麓には、ソメイヨシノの桜並木などがあり、散策コースになっています。


 
 雄川堰の桜並木まで戻って、八幡山公園を見ると、手前の菜の花畑が効果的に映ります(“菜の花”は正確にはアブラナ科の植物の総称です)。



 雄川堰の桜並木沿いの農家は立派な門構えの“豪農”の住まいが続きます。



 小幡町の説明によると、明治初期に養蚕で財をなした家々だそうです。あの世界遺産になって売り出し中の「富岡製糸場」は数キロメートルの近さです。当時は、養蚕が主要産業だったことがわかります。

 雄川沿いにも桜並木が続きます。サクラの種類はわかりません。



 今日4月5日は「城下町小幡さくら祭り 武者行列」のイベントがあるので、多くの観光客で賑わいそうです。