ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

大分県臼杵市中心地の市街地の「二王座歴史の道」などを、歩きました

2015年04月22日 | 旅行
 大分県臼杵市の中心地の市街地では、新鮮な魚貝類のランチが食べられると伺って行ってみました。臼杵市では“臼杵フグ”という呼び名があるほど、フグの産地だそうです。

 中心地の市街地は、臼杵城跡の臼杵公園の下に広がっています。臼杵公園の下には明治時代から昭和時代までの歴史を感じさせる街並みがいくらか残っています。
 
 臼杵公園に残る臼杵城跡です。中心地の市街地から見上げる存在です。


 
 正確には、明治時代の廃藩置県による廃城にって臼杵城はすたれ、現在は残った城郭主要部が都市公園として整備されています。石垣と空堀が残っているそうです。二の丸では畳櫓(たたみやぐら)が残っています。


 
 臼杵城は、キリシタン大名として有名な大友宗麟が、戦国時代末期の弘治2年(1556年)ごろに、四方を海に囲まれた丹生島に丹生島城を築いたのが始まりだそうです。その後、戦国時代に斎藤道三や織田信長に仕えた稲葉氏の一族の稲葉貞通が関ヶ原の戦いの後に、岐阜県の郡上八幡から国替えになり、初代の臼杵藩主となりました。この稲葉一族が明治時代までの約270年間を治めたそうです。臼杵城の周囲は埋め立てられ、島ではなくなっています。

 臼杵公園のすぐ近くに、臼杵市の観光情報が入手できる臼杵市観光プラザがあり、ここで「うすきあるきMAP」をいただきました。このMAPには、臼杵の観光名所が紹介されています。
 
 臼杵市観光プラザの近くの路地の「二王座歴史の道」は、旧稲葉家の長屋門・土蔵、善正寺、善法寺、旧真光寺などの寺などが並ぶ、明治時代から昭和時代の街並みを感じさせる小道です。




 
 この寺が並ぶ地域には、さらに近くに法音寺や見星寺もあり、歴史を感じさせる地域です。
 
 この「二王座歴史の道」の南側には斜面があり、いくつかの切り通しを形づくる石垣があります。この切り通しには実際に住民が住んでいる住居があり、いくらか現代風ですが、石垣などは昔の雰囲気です。その石垣に、ヤエザクラやツツジが咲き、昔をしのばせます。




 
 また、歴史ある商店街も昔の姿をできるだけ残すように工夫しています。

 

 ただし、お店の看板などはほとんどが最近のもののようです。

 「うすきあるきMAP」と一緒に、ランチMAPもいただきました。臼杵魚港に上がる新鮮な魚貝類をいただくことができます。名物は「リュウキュウ丼」だそうです。

 「リュウキュウ丼」とは、ブリやアジ、サバなどの細切りの切り身を醤油や酒、みりんの甘いタレに漬けて、ゴマなどをかけて和え、それをご飯の上に載せて海苔とワサビを添えたものです。

 お店の方によると、その日に獲れた魚の細切りの切り身を使うので、毎日中身が違うそうです。

 このほかに、「かぼすブリ」も名物だとのことでした。