新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月2日 その2 朝日新聞デジタルによれば

2017-07-02 08:32:32 | コラム
ラグビー日本代表堀江選手の髪型:

朝日新聞デジタルが1日に堀江選手の一風以上に変わった髪型(原文は髪形)を採り上げて「堀江選手の髪形に物言い」と題して批判的とも取れる伝え方をしていた。問題にしていたのは「個性か品位か」だった。私のPCの設定と技術では堀江君の一見「ドレッドヘア」のようでもある怖い人のような髪型の写真を載せられないのが残念だが、ラグビーの中継をご覧になる方は「あー、あれか」と思い当たられるだろう。

私は何もラグビー界に限ったことではないが、我が国でベースボール、サッカー、ラグビー、バスケットボール、ヴァレーボール等々で活躍(しているのだろう)外国人選手たちの風体には、大いなる違和感を覚えてきた。それらは新旧取り混ぜた奇怪な髪型と、露出した部分に見える入れ墨(tattooで良いのだろう)である。私には到底我が国の社会通念では受け入れがたいものに思えてならない。と言うか、あの風体で我が国の大手メーカー等の所属になっている連中が、出勤はしていないのだろうと思っているのだ。

幸か不幸か、スポーツのジムなどには「入れ墨をした方の入場か、浴場の利用お断り」となっているので、入れ墨は我が国の選手たちには流行していないと思う。だが、「個性に溢れた髪型」は確かに広まっていると思う。それも、ラグビー界では顕著だと思う。サッカー界にもいるし、バスケットボールでも見受けられる傾向だ。だが、ラグビー界の日本人選手たちは「個性」を追求しているかの感がある。

他には、サントリー所属で父親がジンバブエ人の松島幸太郎なども立派に個性追求破だろうと思う。そうかと思えば、慶応大学出身の山田章仁などは個性的に近い丸刈りに近く、普通の社会人風だ。このスポーツでもそうだが、外国人選手たちで入れ墨がない者を探すのは大変だろうと思わせてくれるほど、我が国と諸外国との間には「入れ墨文化」に対する認識の違いが大きいと思う。私は朝日新聞デジタルは髪型を取り上げよりも「入れ墨文化」を論じて欲しいと思ったのだが。

なお、「ベースボール」としたのは、他の競技がカタカナなので、釣り合いを取ろうと考えた次第。蹴球、籠球、排球という漢字の表現があるが、ラグビーは「ラ式蹴球」しか思い当たらない。(アメリカン)フットボールはその昔「鎧球」と表記されていたと思う。「米式蹴球」というのもあったか。

指導者の心構え

2017-07-02 07:51:42 | コラム
指導者たる者は瞬時でも隙を見せてはならない:

これは日大フェニックスの監督だった故篠竹幹夫氏が言われたこと。広く知られているとは思うが、篠竹監督の指導振りは誠に厳しかった。断っておくが、私は篠竹監督の指導を受けた訳ではない。お話を伺う機会があっただけだ。私はこの監督の名言が忘れられない。その言わんとされたことは、

「監督であり指導者である自分が瞬時でもと言うか、如何なる場合でも気の緩みか、体調の不備か、何らかの悩みか、自分の指導法に不安でも感じていたりすれば、その辺りが心の隙となって、常に緊張して練習している部員たちに即座に敏感に察知され、彼らが練習でも試合でも手抜きをしてしまうものだ。故に、監督たる者は常に隙を見せないように、自らを最善の状態に置いて指導するよう日夜努力している


なのである。厳しいというか何と言うか、凄いことを言われるものだと思って拝聴していた。

このフェニックスの言わば下部組織の如き存在だった附属の日本大学高校ブルドッグスの監督だった故清水之男氏も、篠竹監督と同じことを言われていた。「俺が気を抜くと子供たちは直ぐにそれと知って好い加減なことをするもの。だがら、練習でも試合でも一時も気を抜けないのだ。特に試合では俺が『負けた』とでも思えば、子供たちはその瞬間に察知して諦めてしまう」と述懐された。

私には運動部の監督などは経験する機会もなかったが、この指導者の心構えは会社組織にも通じることだと思っている。課長や部長が闘志を失えば課員も部員も微妙に反応するものだというように感じていた。社長の心構えというか精神状態は直ぐに第一線にある者たちには伝わらないとは思うが、役員や管理職を経由して伝播することもあるだろうと思っている。

ここまでで何が言いたかったかはお解りの向きもあるかと思う。それは安倍内閣と自民党についても言えるのではないかと考えている。総理も森友学園、加計文書等々のマスメディアと野党連合の理不尽な追及を受けて些か感情的とも聞こえる応答をされたし、菅官房長官も度重なる記者たちの為にする質問を受け、これまでとは違う適切ではないような答え方をされた。こういう首脳陣の動揺が閣僚や経験の浅い議員たちを動揺させたのではないかと危惧しているのだ。

更に言えば、攻勢をかけた野党もマスメディアも、好機到るとばかりに嵩にかかって些細なことを論って、一層の攻勢をかけているのだと思う。7月1日の総理の街頭演説に際して「安倍辞めろ」などと横断幕の如きものを掲げて見せ、それをテレビが嬉しそうに報じて見せた。私はこの辺りを「瞬時でも隙を見せれば、つけ込んでくる」の悪しき好例だと思っているのだ。