どうしたら解って貰えるか:
私からお聞きになった方もおられるだろうと思うが、私は「遺憾ながら、我が国の学校教育の英語で育った方が、所謂ペラペラになるほど自由自在に英語が(または英語で)話せるようになったら奇跡だ」と言って「科学としての英語」を批判してきた。それに、我が国では「英語が外国人に通じたか通じなかったかで一喜一憂される方が多い」とも承知している。
また、20年以上も「通訳も出来る交渉ごとのアメリカ側の当事者」として何百回、何千回と通訳もしてきた。だが、「中には自信があるから通訳は要らない」と自分で交渉されるか、アメリカ人との会話を楽しまれた方にも出会ったものだった。だが、何度かは後で「あの方が何を言われたかったかが解らず、何とか相槌は打ってきたが苦労したぜ」と、上司等に打ち明けられたこともあった。
こういう場合以外にも発音もある程度は正確で語彙も豊富で、学校でどれほど英語という科目で好成績を収めてこられたかが解るような立派な英語で交渉されるか、世間話をされる方もおられた。但し、こういう学校英語の秀才の場合には、ややもすると「あの人は流暢に語られたが、どうも何を主張されたいのかがもう一つピンとこなかった」と嘆かれることも間々あったのだった。
また、他の話ではこれまでに何度か例に挙げてきた一聴ペラペラ風で、“You know, I take vacation and take my family to Europe (実際には「ヨーロッパ」と言っておられた)long day, you know, when my sons are small. But nowadays, my sons become big and go to school, you know, we can’t go long time. So, my wife become unhappy and complain.”実際に我が同胞がペラペラ風で自信たっぷりに外国人と「会話」をしておられたのを地下鉄の中で聞いて、困った英語の例として採り上げたことがあった。ご記憶の方があれば幸せだが。
このペラペラ風では十分に通じていた様子だった。だが、お気づきの方があると思うが文法的には間違いだらけだし、既に「貴方が有能であることを証明しない」と指摘した“you know”が多用されている。「それじゃ駄目じゃん」と言いたくもなるだろうが、立派に通用していたのもまた事実だった。結論から言えば「これは知的階層に受け入れられる英語ではない」のは明らかで、絶対にお薦めしない種類だ。
即ち、キチンと文法を守って、“you know”などを挟まずに「慣用句」や「口語的表現も適宜織り交ぜて、小難しい文語体の言葉を使わずに、「自分の思うところを表現できる」ような(“I know how to express myself in English.”のように言うが)となるように勉強しようということだ。
ここまでは、こちらから自分が言いたいことというか、自分の意思を思うように表現出来るようにしようと強調して解説してきた。だが、日常会話でも緊張を強いられる国際的な交渉ごとの場でも、相手側の言うことを正しく理解できるだけの英語力を身につけておく必要がある。私の経験では彼らが使う英語の細かい点までを誤解することなく聞き取り且つ理解する為には、我が国の学校教育の英語では間に合わない出苦労されている方が多かったと思っている。
それは「彼らは交渉の席に着く以上、自分たちが日常的に使う表現についてきておられるとの前提で話してくるし、議論が白熱したような場合には到底ついてはいけないような早口になってしまう場合もあるのだ。しかも、日常的な表現という意味は”idiomatic expressions“(慣用句)や“colloquialism“(=口語体)や耳慣れない“technical terms”も数多く登場してくるものだ。これらには不慣れであると直ちには理解できない話が多くなると思う。
話なここまでに止まらず、既に取り上げたような文化の違いと、彼らの思考体系の特徴である「二進法」が入ってくるのだから、相互に理解不能となってしまうことも大いにあり得るのだ。まして、アメリカ側が興奮の余りに“slang”(=俗語)などを使い出せば混乱に拍車がかかることだってある。
そこで、ここでは不慣れだと最も厄介である「慣用句」だけを取り敢えず解説してご参考に供したい。一寸長くなるがご辛抱を。
Idiomatic expressionsとは:
「慣用語句」と訳されている。実際にこれを読んだり、聞かされたりしても直ちに「今、“idiom”が出てきた」と感じるようなものではないと思う。Oxfordには“A group of words whose meaning is different from the meanings of individual words”とあり、Websterには“An expression that cannot be understood from the meanings of its words but must be learned as a whole”となっている。即ち、慣用語句の中の言葉一つ一つの見当がつくか意味が解っても、全体の意味は把握できないということだ。だから単語だけではなく流れの中で把握せよ」と主張するのである。例を挙げておこう、
He gave in.=「彼は屈服した」
He burnt his bridge (boat).=「彼は退路を断った」
He saw the handwriting on the wall.=「悪い兆候が見えた」、「悪いお知らせだった」
I was between the devil and the deep blue sea.=「進退窮まったり」
Let’s get the show on the road.=「さー、仕事を始めよう」、「さー。出掛けようぜ」
It’s a piece of cake.=「朝飯前だ」なのだが、“cinch”も“It was a cinch.”の様に使われている。ジーニアスは“No sweat!”も例に挙げている。
How come you put up with such a bad treatment against you? では“put up with”は「我慢する」か「耐える」の意味である。
Please be my guest.またはI will be the host.=「私がご馳走します。乃至は「私がおごります」
I will take a rain check.=口語体の例文にしても良いのだが「今回は遠慮して次の機会にご招待を受けます」
等々があるが、余り上手い例文ではないのが一寸残念だ。兎に角、彼らと語り合っていれば、このような表現に加えて“I’ll buy you a drink.“のような口語体もあれば、時によっては俗語も出てくると思っている方が無難だ。ここであらためて言いたいことは「単語をバラバラに覚えておくのではなく、このように一つの流れの中でその使い方を覚えるようにしよう」なのである。
私からお聞きになった方もおられるだろうと思うが、私は「遺憾ながら、我が国の学校教育の英語で育った方が、所謂ペラペラになるほど自由自在に英語が(または英語で)話せるようになったら奇跡だ」と言って「科学としての英語」を批判してきた。それに、我が国では「英語が外国人に通じたか通じなかったかで一喜一憂される方が多い」とも承知している。
また、20年以上も「通訳も出来る交渉ごとのアメリカ側の当事者」として何百回、何千回と通訳もしてきた。だが、「中には自信があるから通訳は要らない」と自分で交渉されるか、アメリカ人との会話を楽しまれた方にも出会ったものだった。だが、何度かは後で「あの方が何を言われたかったかが解らず、何とか相槌は打ってきたが苦労したぜ」と、上司等に打ち明けられたこともあった。
こういう場合以外にも発音もある程度は正確で語彙も豊富で、学校でどれほど英語という科目で好成績を収めてこられたかが解るような立派な英語で交渉されるか、世間話をされる方もおられた。但し、こういう学校英語の秀才の場合には、ややもすると「あの人は流暢に語られたが、どうも何を主張されたいのかがもう一つピンとこなかった」と嘆かれることも間々あったのだった。
また、他の話ではこれまでに何度か例に挙げてきた一聴ペラペラ風で、“You know, I take vacation and take my family to Europe (実際には「ヨーロッパ」と言っておられた)long day, you know, when my sons are small. But nowadays, my sons become big and go to school, you know, we can’t go long time. So, my wife become unhappy and complain.”実際に我が同胞がペラペラ風で自信たっぷりに外国人と「会話」をしておられたのを地下鉄の中で聞いて、困った英語の例として採り上げたことがあった。ご記憶の方があれば幸せだが。
このペラペラ風では十分に通じていた様子だった。だが、お気づきの方があると思うが文法的には間違いだらけだし、既に「貴方が有能であることを証明しない」と指摘した“you know”が多用されている。「それじゃ駄目じゃん」と言いたくもなるだろうが、立派に通用していたのもまた事実だった。結論から言えば「これは知的階層に受け入れられる英語ではない」のは明らかで、絶対にお薦めしない種類だ。
即ち、キチンと文法を守って、“you know”などを挟まずに「慣用句」や「口語的表現も適宜織り交ぜて、小難しい文語体の言葉を使わずに、「自分の思うところを表現できる」ような(“I know how to express myself in English.”のように言うが)となるように勉強しようということだ。
ここまでは、こちらから自分が言いたいことというか、自分の意思を思うように表現出来るようにしようと強調して解説してきた。だが、日常会話でも緊張を強いられる国際的な交渉ごとの場でも、相手側の言うことを正しく理解できるだけの英語力を身につけておく必要がある。私の経験では彼らが使う英語の細かい点までを誤解することなく聞き取り且つ理解する為には、我が国の学校教育の英語では間に合わない出苦労されている方が多かったと思っている。
それは「彼らは交渉の席に着く以上、自分たちが日常的に使う表現についてきておられるとの前提で話してくるし、議論が白熱したような場合には到底ついてはいけないような早口になってしまう場合もあるのだ。しかも、日常的な表現という意味は”idiomatic expressions“(慣用句)や“colloquialism“(=口語体)や耳慣れない“technical terms”も数多く登場してくるものだ。これらには不慣れであると直ちには理解できない話が多くなると思う。
話なここまでに止まらず、既に取り上げたような文化の違いと、彼らの思考体系の特徴である「二進法」が入ってくるのだから、相互に理解不能となってしまうことも大いにあり得るのだ。まして、アメリカ側が興奮の余りに“slang”(=俗語)などを使い出せば混乱に拍車がかかることだってある。
そこで、ここでは不慣れだと最も厄介である「慣用句」だけを取り敢えず解説してご参考に供したい。一寸長くなるがご辛抱を。
Idiomatic expressionsとは:
「慣用語句」と訳されている。実際にこれを読んだり、聞かされたりしても直ちに「今、“idiom”が出てきた」と感じるようなものではないと思う。Oxfordには“A group of words whose meaning is different from the meanings of individual words”とあり、Websterには“An expression that cannot be understood from the meanings of its words but must be learned as a whole”となっている。即ち、慣用語句の中の言葉一つ一つの見当がつくか意味が解っても、全体の意味は把握できないということだ。だから単語だけではなく流れの中で把握せよ」と主張するのである。例を挙げておこう、
He gave in.=「彼は屈服した」
He burnt his bridge (boat).=「彼は退路を断った」
He saw the handwriting on the wall.=「悪い兆候が見えた」、「悪いお知らせだった」
I was between the devil and the deep blue sea.=「進退窮まったり」
Let’s get the show on the road.=「さー、仕事を始めよう」、「さー。出掛けようぜ」
It’s a piece of cake.=「朝飯前だ」なのだが、“cinch”も“It was a cinch.”の様に使われている。ジーニアスは“No sweat!”も例に挙げている。
How come you put up with such a bad treatment against you? では“put up with”は「我慢する」か「耐える」の意味である。
Please be my guest.またはI will be the host.=「私がご馳走します。乃至は「私がおごります」
I will take a rain check.=口語体の例文にしても良いのだが「今回は遠慮して次の機会にご招待を受けます」
等々があるが、余り上手い例文ではないのが一寸残念だ。兎に角、彼らと語り合っていれば、このような表現に加えて“I’ll buy you a drink.“のような口語体もあれば、時によっては俗語も出てくると思っている方が無難だ。ここであらためて言いたいことは「単語をバラバラに覚えておくのではなく、このように一つの流れの中でその使い方を覚えるようにしよう」なのである。