慶應義塾高校が優勝した:
先ずは慶応高校の優勝を褒め称えておこう。二連覇の呼び声が高かった仙台育英高校を圧倒して勝ち抜いたことを、「立派だった」と褒めて上げねばなるまい。偽らざる所を言えば、慶応高校が優勝できるとは見ていなかった。
報道機関にもの申す:
その後に、一言どうしても言いたいことがある。それはマスコミ報道の片手落ちな点なのだ。彼らは慶応高校の長髪をしきりに言い募るが、それを快いとは感じないのだ。そう言う訳は、彼らは昭和24年(1949年)に同じ神奈川県から最初で最後の甲子園出場で優勝した湘南高校には全く触れないことなのだ。不満である。
この野球部は学校から昭和20年秋に、それまでの敵性競技禁止令を解除して結成が認められ、僅か5年目にして初出場で優勝したのだ。その時にも部員の殆どが長髪で「湘南は髪の毛を伸ばしている」と少し報道陣に非難されたのだった。報道機関は綺麗さっぱりこの実績を忘れたようで、専ら慶応高校の長髪と107年振りの優勝の礼賛に明け暮れている。私は偏向していると敢えて指摘しておく。「あれから74年経っただけでお忘れか」と問いかけたい。
戦評と感想:
そこで、昨日の戦評というか慶応の圧勝とさえ言いたい気分にさせられた、決勝戦の感想を。実は「慶応高校には分がないと見るが、同じことなら勝たせてやりたい」と知人にメールを送った後で、何となく「分がない」との予測が外れそうだと閃いていた。
その「外れるかも」という閃きが当たっていると、1回表の丸田の先頭打者ホームランで痛感させられた。即ち、慶応高校が勝つだろうと信じさせられたのだった。そのホームランも去ることながら、育英が先発させた湯田投手の緊張感が無いというか、締まりがない表情を見て「育英は何か思い違いをしているか、または慶応与しやすしと何処か心の底で甘く見ているのでは」と読んだ。ベンチにいる者たちの表情からも、二連覇を賭けた決勝戦に臨んでいる懸命さが感じられなかった。
それでは、慶応高校の者たちに緊張感とか、必死さとか、気迫乃至は気合いのような切羽詰まった様子があったかと言えば、そうとは見えず、確かに“Enjoy baseball”のような伸び伸びとした動きが感じられた。慶応が3対1と2点をリードした時にも「この仙台育英の戦う意欲不足振りでは、3点を取ってひっくり返せるかどうかは疑問だと読んでいた。
慶応高校は丸田のホームラン以外の2点を取るのにも幸運がつきまとっていたし、「ツキを自分の腕で消すことがない運をも引き込んだ試合振り」で、試合の流れを自分の方に持ってきていた。
だが、仙台育英があの初戦で浦和学院を粉砕した打つ方の抜群の力量を見ていただけに、彼らが何時その地力を発揮して小宅が出てくる前に慶応高校が先発させた松井を打ち崩す可能性(危険性)はあるのではないかと危惧していた。だが、そんなことになる前に慶応はあの5回の表に5点を取って試合を殆ど決めてしまった。私は「村林監督が小宅を先発させて限界まで投げさせるか、二番手の投手を先発させるかが鍵だ」と見ていた。
あのレフトとセンターが交錯してフライを落としたのは、慶応側の応援団の声の異常と言いたいほどの大きさで、2人がかけ合った声が聞こえなかった為だとの見方も当たるかも知れない。だが、あれを落とすところに育英の力不足が、あの場面で現れたのである。私は何となくあのフライが「落ちるのでは」と閃いていたが、まさか外野手同士がぶつかるとまでは予想できなかった。慶応には「ツキ」を引っ張り込める運もあり、力も出せたのである。
仙台育英にも見ていて不可解なところがあった。それは、あれほど不利な試合運びになっているにも拘わらず、選手たちの顔付きには一向に所謂「ファイト」(このカタカナ語は言葉の誤用である)が全く見えてこなかったし、須江監督も一向に高校生たちを督励する様子を見せていなかったのが不思議だった。高校生たちは笑顔さえ見せていたので、朗らかに諦めたのかとすら疑いたくなった。
あの試合は、森林監督が認めておられたように仙台育英が後攻を取ったので、1回の表から行こうと指示されたことが完全に当たったのだろう。それが、丸田の先頭打者ホームランで慶応高校が運を自分のものにして、試合の流れを自校に有利になるよう引き込んだのだった。それを助長したのが、あの先発投手・湯田の緊張感に欠けた投球だった。故野村克也氏が見ておられたら「育英の負けに不思議なし」と評されただろうか。
慶応高校の選手たちの質と力量を見ると「高校の水準から評価してA級は1人もおらず、見事にB級の上くらいと言いたい者たちばかりで粒が揃っていた。丸田がただ1人高校選抜に選ばれたが、彼とてもAマイナス辺りではないかと見ている。仙台育英を見れば二連覇寸前まで来たほどの強力な投手力、超高校級の打者も育ててあったが、肝心の決勝戦で慶応高校に抑え込まれて力が出なかったということは「所詮はそこまでの実力だった」と、後難を恐れずに決めつけておきたい。
NHKの中継放送の解説者広岡氏は「良い試合だった」と評価しておられた。だが、両校とも懸命に試合をしたことは評価できるが、丸田のホームランでも試合の流れを自校に引き込むことに成功した慶応高校が、最後までその「モメンタム」を失わずに9回まで維持したのが立派だった。仙台育英は最後まで反撃の切掛けを掴めず、運もツキも取り戻す機会を失ったままでは、敗戦も仕方がなかっただろう。陳腐な言い方をすれば「来年また出て行くよう努力を」と言って終わる。