故障した大谷翔平を休ませないとは残酷ではないか:
本稿では我が国とアメリカとの文化と思考体系の相違を論じていこうと思う。
この度の「右肘靱帯損傷」という野球生命の危機を抱えている大谷翔平を非常に心配しておられる方は多いと思うし、休養させもせずにダブルヘッダーで使うとか、ニューヨークにまで帯同させるとは非常識で苛酷ではないかと怒っておられる方もまた数多くおられるだろうと思っている。当方もあの球団のオゥナーも、GMも、ネヴィン・ヘッドコーチも怪しからんとは思って怒っている「大谷を潰す気か」と。
そこで、今回は何故彼らが平然と大谷を出場させ続けるのかを、得手とする「我が国とアメリカの間に厳然として存在する文化と思考体系の相違」の観点から考えてみようと思う。結論めいたことを先に言ってしまえば、彼らには何ら「宜しくないことをショーヘイに強いている」とは思っていないかも知れないのだ。
報道では、エンジェルスのGMが「大谷が出たいと言うからから試合に出した」と言ったそうだが、それは詭弁であると思う。経験から言えることで、彼らは与えている年俸に見合う働きが出来ないか、出来なくなった者は容赦なく解雇するのだ。ましてや、大谷のように真面目な者は「出るか」と問われれば「Yes, sir!」と答える以外の選択肢はないとすら思う。また、彼の契約条項には「1年を通してtwo-wayで成績を残せばXXX万ドルのインセンティブが」というのがあるのかも知れないではないか。
大谷の年俸は確か円換算で40億円だったかだが、その高額はtwo-way(これがアメリカで使われている表現。私は「二刀流」などという実態を表していない珍妙な表現は認めていない。「両面」なのである)で1年を通して働くことが前提だろうかと推察している。であれば、球団側は大谷の自己管理が不十分で片面しか出来ないのであれば、怪我人であってもNY遠征に参加するのは当然だと認識しているだろう。
私が危惧していることはと言えば、「エンジェルス球団が契約の内容通りに働かせているたけならば、無情でも苛酷でもないことになる」のである。この辺りにアメリカという契約社会の国の在り方が見えている気がする。故に、この様子を感情的にならずに見ている方が無難かも知れないのだ。
アメリカの企業社会では物事をどのように見ているかを、私の1985年10月にシアトルで不運にも経験した仕事中の自動車事故の貰い事故を例に挙げて、どのように違うかを解説してみようと思う。
その事故では、横から私が座っているところに50km程の速度でFordのMustangが突っ込んできてドアごとぶつかられ肋骨が2本折れ、頸椎が2本ズレ、ドアが顔面を直撃するという怪我を負わされたのだった。勿論、救急車で病院に搬送されて、おざなりの治療はされた。当時は運悪苦難と無理に帰国した直後に、日本では事業部の存続が危うくなるような大品質問題が発生していた。
その解決のために、故志沢医師には2ヶ月は自宅療養と診断されたにも拘わらず、無理を承知で出勤し、副社長、本部のマネージャーと工場の責任者らと共に寝食の間もなく動き回り、神経がすり切れるような厳しい交渉の通訳を続けて、解決に奔走せざるを得なかった。結果として自律神経失調症と神経性下痢(nervous stomachと言う)を発症し、入退院を繰り返す羽目に。この病状は簡単には治らないという診断だった。
すると、私を何者にも代えがたいと信頼するとしていたGMが「早期に復帰して来ないならば、辞めさせて後任を探す事も考えるかと検討し始めた。一日も早く復帰せよ」と本部のマネージャーが知らせてくれた。そこで、ある特殊な手段で立て直して何とかして復帰し、全員で協力して問題を解決した。要するに「仮令、公務中に受けた災害でも、故障して使えなくなった者を置いておけない」と考えるのが、アメリカの「雇用主」の考え方なのである。「使い続けるか、切るかの簡単な二択」が彼らの思考体系なのである。
であるから、もしかすると私の認識が違うか、あるいは考え違いをしているかも知れないのだが、大谷が当面している問題は次のようなことだろう。即ち、エンジェルスのGMは大谷の高額な年俸のこともあるので、平然として「大谷が出たいと言った」とほざいたのだと推察するのだ。彼らは大谷に無理を強いているとは微塵も思っていないのかも知れない。この辺りの文化と思考体系の違いは、我が国の方には想像も出来ない事ではないかと懸念する次第だ。
私は「こういう世界だとは知らずに、家族を養う手段である」とだけ考えて、1972年8月にMeadに転進した。だが、22年もアメリカの企業で過ごした後になって言い出したことは「事前にこういう世界だと承知していたら、転進しなかったかも知れない」なのだった。大谷も他のMLBに転進した選手たちも、このような文化と思考体系の違いが存在するとは、未だ認識できていないのではないのか。マスコミの連中に読めるはずなどないのではないかとも言いたい。
アメリカ人たちの世界では、我々の通念から見れば「残酷であり、無慈悲な」としか見えない人事(馘首)があると思う。だが、そういう二者択一的な判断基準で実行してしまうことを、切られた方は「社会通念であるから仕方ない」と至極アッサリと去って行くと聞いているし、実際に先ほどまで会っていた者がその晩には「君の仕事は本日までで終了」とされたのも見てきた。だが、大谷翔平を故障したからと言って、社会通念で解雇することがあるとは思えない。