新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月28日 その4 恥ずかしながら再度の訂正です「海の向こうの謝らない面々」

2023-08-28 15:54:12 | コラム
「謝罪の文化」が無い国アメリカでは:

この度の大谷翔平の右肘靱帯損傷の大事件(なのではないのかな)が発生しても、海の向こうのLos Angelesの幹部の人たちは、何となく大谷が故障した件に関しては、自分らの過失がなかったかのような姿勢を採っているように見える。しかも、あのGMは「医療機器による検査を薦めたのを大谷と代理人側が断った」と語っていた。私に言わせれば(敢えて白人と言うが)白人たち独特の責任回避の姿勢が見えているのだ。「我々は提案したのに」と言いたいのだ。

話を解りやすくするために、ここからは少し極端な仮定の話にしようと思う。それは、訴訟の国家と言われているアメリカでは、もしも少しでも瑕疵物件だと知れ渡ってしまうと、「前人未踏のtwo-wayの超一流選手が来年には10年800億円の高額で移籍出来たかも知れないのに、それが大幅に下落した評価になってしまったので、その責任を取れ」と、大谷側が訴訟することがあるかも知れないのだ。

それは「球団が大谷を酷使したために故障して再度の手術の止むなきに至り、片面だけの選手になってしまったために、例えば500億円にでも下がれば、代理人などが逸失利益を返せと訴訟することがないように『我が方には過失はない』と先手を打った」とも考えられるのだ。

要するに、我が国とは全く違う「謝罪の文化」が無く、如何なることがあっても自己の過失を自発的に認めるという文化も習慣もない国なので、訴訟されないよう万全の手を打っておくのが当たり前なのだ。

在職中からもあらゆる機会を捉えて「アメリカ人の社会には潔く(自発的に)自己の過失を認めて謝罪する文化はありませんからご注意を」と、文化比較論を解説してきた。この自己保身というか自社を守る姿勢は屡々「彼らは傲慢で過失や罪を認めない連中だ」と解釈されてしまうので、補償の交渉が上手く行かないことになってしまうのだった。

だが、これは決して彼らは逃げてもいないし、傲慢でもないのである。ただ単に「謝ること即ち過ちを認めてしまうことになるので、何としても認めないで頑張ろう」のように思考回路が出来ているだけのことなのだ。この点は、我々の文化と習慣からは考え難いし、認めがたい点なのだ。

私が彼らに説いてきたことは「日本では先ず綺麗に自社の過失を認めて謝罪することから、交渉を始める文化になっている。貴方たちの頭脳構造のように謝罪することが『如何なる額の補償にも応じます』との意思表示にはならない。だから、安心して“We are deeply sorry for what has happened.”などと言いなさい。それが全面的に過失を認めたことにはならないのだから」だった。

そのように伝えても、彼らが安心して“We regret to have made a mistake.”という「遺憾に存じます」程度を言うようになるまでには1年近くかかっただろうか。しかし、記憶する限りでは「全面的に過失を認めます。補償にも応じます」という意味になる“We are sorry ~.”か”I am sorry ~.と言えたことはなかった。

これは「謝らない」、「過失を認めない」のが彼らの思考体系であるのだから、エンジェルス球団GM、ヘッドコーチ、コーチたちが「遺憾の意を表した」との報道すらないのは怪しからんのだが、文化と思考体系の相違と受け止めて、今後の成り行きを見守っていくしかないと思う。

ここまでお読み頂いて「何だ。その程度のことか」と受け止められる方もおられるかも知れない。だが、良く考えて貰いたいことがある。それは、アメリカでも西欧文化の国々が「申し訳なかった。過失は我が方にあった」という類いの公式発表をしたことがあったかどうかと。また、中国のあの高飛車な姿勢の報道官たちが一度でも「我が国が間違いを犯した」と認めたことがあっただろうかということ。この点が我が国との最大の文化の違いの一例なのである。

思うに、エンジェルス球団の幹部たちは、今頃「大変なことをしてしまった。我が社のプラチナの卵を産んでくれるショーへーをどう扱えばたら良いだろうか」と、急遽額を突き合わせて真っ青になって相談して、善後策を練っているのかも知れない。

なお、件名の「海の向こうの謝らない面々」とは、1996年8月に上梓した拙著「アメリカ人は英語がうまい」から採ってある。


8月28日 その3 「海の向こうの謝らない面々」に訂正します

2023-08-28 15:38:08 | コラム
「謝罪の文化」が無い国アメリカでは:

この度の大谷翔平の右肘靱帯損傷の大事件(なのではないのかな)が発生しても、海の向こうのLos Angelesの幹部の人たちは、何となく大谷が故障した件に関しては、自分らの過失がなかったかのような姿勢を採っているように見える。しかも、あのGMは「医療機器による検査を薦めたのを大谷と代理人側が断った」と語っていた。私に言わせれば(敢えて白人と言うが)白人たち独特の責任回避の姿勢が見えているのだ。「我々は提案したのに」と言いたいのだ。

話を解りやすくするために、ここからは少し極端な仮定の話にしようと思う。それは、訴訟の国家と言われているアメリカでは、もしも少しでも瑕疵物件だと知れ渡ってしまうと、「前人未踏のtwo-wayの超一流選手が来年には10年800億円の高額で移籍出来たかも知れないのに、それが大幅に下落した評価になってしまったので、その責任を取れ」と、大谷側が訴訟することがあるかも知れないのだ。

それは「球団が大谷を酷使したために故障して再度の手術の止むなきに至り、片面だけの選手になってしまったために、例えば500億円にでも下がれば、代理人などが逸失利益を返せと訴訟することがないように『我が方には過失はない』と先手を打った」とも考えられるのだ。

要するに、我が国とは全く違う「謝罪の文化」が無く、如何なることがあっても自己の過失を自発的に認めるという文化も習慣もない国なので、訴訟されないよう万全の手を打っておくのが当たり前なのだ。

在職中からもあらゆる機会を捉えて「アメリカ人の社会には潔く(自発的に)自己の過失を認めて謝罪する文化はありませんからご注意を」と、文化比較論を解説してきた。この自己保身というか自社を守る姿勢は屡々「彼らは傲慢で過失や罪を認めない連中だ」と解釈されてしまうので、補償の交渉が上手く行かないことになってしまうのだった。

だが、これは決して彼らは逃げてもいないし、傲慢でもないのである。ただ単に「謝ること即ち過ちを認めてしまうことになるので、何としても認めないで頑張ろう」のように思考回路が出来ているだけのことなのだ。この点は、我々の文化と習慣からは考え難いし、認めがたい点なのだ。

私が彼らに説いてきたことは「日本では先ず綺麗に自社の過失を認めて謝罪することから、交渉を始める文化になっている。貴方たちの頭脳構造のように謝罪することが『如何なる額の補償にも応じます』との意思表示にはならない。だから、安心して“We are deeply sorry for what has happened.”などと言いなさい。それが全面的に過失を認めたことにはならないのだから」だった。

そのように伝えても、彼らが安心して“We regret to have made a mistake.”という「遺憾に存じます」程度を言うようになるまでには1年近くかかっただろうか。しかし、記憶する限りでは「全面的に過失を認めます。補償にも応じます」という意味になる“We are sorry ~.”か”I am sorry ~.と言えたことはなかった。

これは「謝らない」、「過失を認めない」のが彼らの思考体系であるのだから、エンジェルス球団GM、ヘッドコーチ、コーチたちが「遺憾の意を表した」との報道すらないのは怪しからんのだが、文化と思考体系の相違と受け止めて、今後の成り行きを見守っていくしかないと思う。

ここまでお読み頂いて「何だ。その程度のことか」と受け止められる方もおられるかも知れない。だが、良く考えて貰いたいことがある。それは、アメリカでも西欧文化の国々が「申し訳なかった。過失は我が方にあった」という類いの公式発表をしたことがあったかどうかと。また、中国のあの高飛車な姿勢の報道官たちが一度でも「我が国が間違いを犯した」と認めたことがあっただろうかということ。この点が我が国との最大の文化の違いの一例なのである。

思うに、エンジェルス球団の幹部たちは、今頃「大変なことをしてしまった。我が社のプラチナの卵を産んでくれるショーへーをどう扱えばたら良いだろうか」と、急遽額を突き合わせて真っ青になって相談して、善後策を練っているのかも知れない。

なお、件名の「海の向こうの謝らない面々」とは、1996年8月に上梓した拙著「アメリカ人は英語がうまい」から採ってある。


8月28日 その2 海の向こうの誤らない面々

2023-08-28 15:18:52 | コラム
「謝罪の文化」が無い国アメリカでは:

この度の大谷翔平の右肘靱帯損傷の大事件(なのではないのかな)が発生しても、海の向こうのLos Angelesの幹部の人たちは、何となく大谷が故障した件に関しては、自分らの過失がなかったかのような姿勢を採っているように見える。しかも、あのGMは「医療機器による検査を薦めたのを大谷と代理人側が断った」と語っていた。私に言わせれば(敢えて白人と言うが)白人たち独特の責任回避の姿勢が見えているのだ。「我々は提案したのに」と言いたいのだ。

話を解りやすくするために、ここからは少し極端な仮定の話にしようと思う。それは、訴訟の国家と言われているアメリカでは、もしも少しでも瑕疵物件だと知れ渡ってしまうと、「前人未踏のtwo-wayの超一流選手が来年には10年800億円の高額で移籍出来たかも知れないのに、それが大幅に下落した評価になってしまったので、その責任を取れ」と、大谷側が訴訟することがあるかも知れないのだ。

それは「球団が大谷を酷使したために故障して再度の手術の止むなきに至り、片面だけの選手になってしまったために、例えば500億円にでも下がれば、代理人などが逸失利益を返せと訴訟することがないように『我が方には過失はない』と先手を打った」とも考えられるのだ。

要するに、我が国とは全く違う「謝罪の文化」が無く、如何なることがあっても自己の過失を自発的に認めるという文化も習慣もない国なので、訴訟されないよう万全の手を打っておくのが当たり前なのだ。

在職中からもあらゆる機会を捉えて「アメリカ人の社会には潔く(自発的に)自己の過失を認めて謝罪する文化はありませんからご注意を」と、文化比較論を解説してきた。この自己保身というか自社を守る姿勢は屡々「彼らは傲慢で過失や罪を認めない連中だ」と解釈されてしまうので、補償の交渉が上手く行かないことになってしまうのだった。

だが、これは決して彼らは逃げてもいないし、傲慢でもないのである。ただ単に「謝ること即ち過ちを認めてしまうことになるので、何としても認めないで頑張ろう」のように思考回路が出来ているだけのことなのだ。この点は、我々の文化と習慣からは考え難いし、認めがたい点なのだ。

私が彼らに説いてきたことは「日本では先ず綺麗に自社の過失を認めて謝罪することから、交渉を始める文化になっている。貴方たちの頭脳構造のように謝罪することが『如何なる額の補償にも応じます』との意思表示にはならない。だから、安心して“We are deeply sorry for what has happened.”などと言いなさい。それが全面的に過失を認めたことにはならないのだから」だった。

そのように伝えても、彼らが安心して“We regret to have made a mistake.”という「遺憾に存じます」程度を言うようになるまでには1年近くかかっただろうか。しかし、記憶する限りでは「全面的に過失を認めます。補償にも応じます」という意味になる“We are sorry ~.”か”I am sorry ~.と言えたことはなかった。

これは「謝らない」、「過失を認めない」のが彼らの思考体系であるのだから、エンジェルス球団GM、ヘッドコーチ、コーチたちが「遺憾の意を表した」との報道すらないのは怪しからんのだが、文化と思考体系の相違と受け止めて、今後の成り行きを見守っていくしかないと思う。

ここまでお読み頂いて「何だ。その程度のことか」と受け止められる方もおられるかも知れない。だが、良く考えて貰いたいことがある。それは、アメリカでも西欧文化の国々が「申し訳なかった。過失は我が方にあった」という類いの公式発表をしたことがあったかどうかと。また、中国のあの高飛車な姿勢の報道官たちが一度でも「我が国が間違いを犯した」と認めたことがあっただろうかということ。この点が我が国との最大の文化の違いの一例なのである。

思うに、エンジェルス球団の幹部たちは、今頃「大変なことをしてしまった。我が社のプラチナの卵を産んでくれるショーへーをどう扱えばたら良いだろうか」と、急遽額を突き合わせて真っ青になって相談して、善後策を練っているのかも知れない。

なお、件名の「海の向こうの誤らない面々」とは、1996年8月に上梓した拙著「アメリカ人は英語がうまい」から採ってある。

心温まる話題と温まらない話題

2023-08-28 07:41:27 | コラム
この世には色々なことがあるもので:

心温まる話:
日本代表がフィンランドに勝った:
昨夜はW杯のバスケットボールの対フィンランドとの試合を「勝てるのかな」との希望と興味で前半まで観戦していた。代表選手たちには失礼だったかも知れないが、10時頃まで起きていられる体調ではなかったので失礼した。

我が代表は予想以上の気迫溢れる大奮闘で、「もしかしたら」との希望を持たせて貰えた。特に良かったと見た点は「身長の不利をものともせずにディフェンスの「リーバウンド」を良く取っていたことだったし、「スティール」でもフィンランドを圧倒していた点だった。個人では比江島の動きは見事だったし、富永の3ポイントも期待通りだった。残すは河村が身長の不利を何処まで跳ね返せるかだと見ていた。

実は36対46と10点をリードされた終わった時に来た「閃き」では、「これはひっくり返せるかも知れない」だったのだが、睡魔には勝てなかった。そこで今朝は4時に起きてテレビを見れば、98対88で勝っていたのだった。折角の感動的な勝利の場面を見損なっていた。4Qに大逆転をしていたのだった。特に河村の大活躍があったそうだ。朝から良い話で心が温まると同時に、寝てしまったことの一寸した反省だった。

なお、気になって仕方がないので、またかと言われそうなのを覚悟で言おう。それは「リバウンド」とカタカナ語になっている“rebound”は、バスケットボールのような「リバウンド」の場合には名詞形なので、「リーバウンド」のようなアクセントになるのだ。「どっちだって良いじゃないか」と言われるだろうが、カタカナ語の不正確さを敢えて指摘しておく次第だ。

世界陸上競技選手権での男子のマラソン:
残念ながら最後の最後というか40kmの付近で失速して12位に終わった山下一貴の懸命な走りは、「もしかして6位以内に」との希望を持たせてくれた心がウキウキする出来事だった。近年はマラソンと言えば、殆どの場合にアフリカ系アフリカ人たちが圧倒的な強さと速さを見せる種目になってしまったので、山下があそこまで彼らに負けずに走っていたのは、非常に良かったと評価したい。「山下、頑張れ」と熱くなっていた。

心温まらない話題:
中国の暴挙:
これも早朝のニュースで詳細を知ったことだが、中国の迷惑電話攻勢である。外務省は在日中国大使館に「遺憾の意を伝えた」と報じられていたが、こんな手緩いことでは鉄面皮の中国は蚊が刺したほどにも感じないだろうと思う。岸田総理は「外交ルートを通じて抗議した」と語っておられたが、これも効果も全く期待できない単なる形式的な反抗に終わり、迷惑電話は暫く続くだろう。こんな抵抗しか出来ないとは、心が冷え込む台だった。

中国に対しては色々な意味で気兼ねがあるのかも知れないが、今回も処理水排出に対する謂れなき抗議行動を、民間人まで扇動して行っていることに対しては、真っ向から厳しく「止めよ」と抗議して良いと思う。抗議活動を推進すれば何か失うものがあると恐れているのだろうか。「正当な抗議活動を展開することを遠慮すべき時期は最初から過ぎている」のではないだろうか。政府の穏やかに過ぎる姿勢には心が暖まらないのだ。