新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月21日 その2 続・アメリカ合衆国では

2024-08-21 13:54:27 | コラム
定年制はない:

アメリカ合衆国では社員と言うか、人を年齢で差別してはならないのであるから、企業では「貴方は高齢になったから辞めて貰おう」などという定年制など採れる訳がないのだ。この点は我が国の会社では定年をさらに引き上げようとか、高齢者を再雇用して活用しようか等と真剣に検討されている状況とは根本的に異なるのである。

それならば、何歳になってもリタイアせずに勤務していても良いのかと言えば、そのような易しい仕組みにはなっていない。即ち、思い出していただきたい事で、副社長兼事業本部長が人事権は勿論その指揮下にある事業部での全権を任されているのだから、最早継続雇用の意味なしと判断すれば遠慮会釈無しに肩叩きもするし、トランプ氏お得意の“You are fired.”権を発動できるのである。

では、社員/部員はどのように対処するのかと言えば、我が国の年金とは一寸異なっている「会社が予め設定しているペンションという年金の制度がある」ので、自分でリタイアする時を決めて辞めて、その年金を貰って老後の生活を楽しむようになっている。だが、これは本社での制度であり、海外の別法人であるウエアーハウザージャパンは加入していない。故に、私は詳細を知る必要が無かったので、その制度があると承知していた程度。

話はやや逸れるが、本社では“rule of 85”と呼ばれている制度があり、「年齢と勤続年数の合計が85に達すると、満額のペンションが貰える」という仕組みになっていたそうだ。だが、中途入社の世界であるから、簡単には85には至らないと聞いていた。例えば、55歳で30年勤続して引退する為には、25歳から入社していなければならないのだ。この若い年齢で手腕を評価されて大手企業から勧誘されて転身出来るのは非常に難しい事だと思う。

私はこのルールは寧ろ永年帰属奨励の制度であるかのように解釈していた。アメリカの企業では優れた実力の持ち主には他社からの勧誘はくるし、自分でも条件が良い会社を求めて移っていくのは日常茶飯事である。だから、会社側でも色々と引き留めの条件を用意してあるのだ。少し後難を怖れて言えば「日本式の定年制はアメリカ側から見れば、社員を年齢で差別している」と見られかねないという事なのだ。

アメリカ合衆国では

2024-08-21 08:08:52 | コラム
年齢・性別・人種で差別してはならないのである:

このように理解し、認識しておられる方は多いと思う。私も戦後間もなくからアメリカ人に接する機会があったし、地方の中学生でありながらGHQ(連合軍総司令部)にも出入りしていたのだった。という具合で、22年にも及んだアメリカの大手紙パルプメーカーの勤務を含めて、70年以上もアメリカとの縁が続いていた事になる。

そこで、今回はここに掲げた差別してはならない「年齢・性別・人種」の中から、実際に経験したアメリカのビジネスの世界における「年齢」の扱いが我が国とどのように違っているかを述べていこうと思う。アメリカ合衆国とは、そもそもイングランドをはじめとして多くの人々が西欧の諸国から集まってきて成り立った国であるから、人種が入り交じっているのであろう。

今日まで繰り返して語ってきた事で、多くの企業には「大学の新卒者を毎年一括して定期的に採用する制度」がなく(金融証券界を除く)事業部長(GM)の判断で必要と状況に応じて即戦力となる経験者を採用するか、リストラを含めて人員整理をする仕掛けになっている。新卒の定期採用をしないのだから、我が国で言われている「同期入社」は存在しないし、定期的な昇給も年功序列に従った昇格人事もないと思っていて誤りではない世界だ。

必要に応じて即戦力となる経験者を採用するのだから、社員(部員)の年齢も一定の法則のようなものはあり得ないし、バラバラである。即ち、事業部長の判断で採用するのだから、その中途入社の者の年齢がGMを超えている事など当たり前のように発生する。現に、我が事業部のGMは私よりも10年も若くても急成長した、希に見る切れ者だったという具合だ。

ウエアーハウザー・カンパニーの8代目の社長兼CEOだったジョージ・ウエアーハウザーの社長就任は39歳の時だったし、彼の下で長くNo.2の座にあったハーバード大学の法科大学院出身の法学博士のチャーリーは、36歳で木材部門担当のSenior vice president(上級副社長)に抜擢されていた。推理してみれば、チャーリーは大学卒業後に直ぐに大学院に進学したとして、我が社に就職したとすれば10年足らずで昇進した事になる。

この2例だけで年齢は問題になっていないと照明していないと思うので、現実の我が事業部での管理職の状態を回顧してみよう。事業部長兼副社長だったCは例外的な経歴だった。4年制の州立大学卒業後に、地方の工場の現地採用で会計係の職を得ていた。アメリカの仕組みでは「工場は言わば別法人の如き存在で、そこから本社機構に上がっていく人事はない」のである。大手企業が新卒を採用しないから、このように地方の言わば中小企業に職を求めるのだ。

Cはそこで抜群の才能と能力が本部に認められて、言うなれば「他社から引き抜かれた形」で、我が事業部に転進してきたのだった。確か32歳の頃で、シカゴの所謂「ワンオペ」牛乳パック営業所長を命じられた。そこで成績を上げたので、副社長に抜擢されて36歳で一気に本部の牛乳パック製造加工部門のマネージャーという責任者(日本式では部長)に就任した。

その時には、本部には彼の上司に当たる彼よりも遙かに年長の管理職が16名もいた。その中にはアメリカ全土にあったパックの加工製造の工場の工場長も含まれていた。Cはその16名全員を一斉に解任した上で、工場も半分は閉鎖するか同業他社に売却してしまった。部員一同はそれこそ「口をあんぐり」で呆然とさせられた。Cの凄いところは「何時どうやって手配してあったのか、全員に会社の内外で次の職を用意してあった」のだった。

要するに、Cは本部に昇任する前から「事業部には年功経験がある年長者は必要としていない」と判断して、密かに年長者を解任するからには就職の斡旋にまで気を配っていたのだった。そして、1年後には事業部全体の売上高をほぼ倍増させたのだった。彼がパック部門の長に就任した際に、彼の嘗ての上司だった6歳年長のRをパック用の原紙販売の部長に転出させていた。

Cは順調に事業部を成長させて39歳で本部長に昇進したのだったが、その時点では事業部内で彼よりも年下の管理職はゼロだった。このCのような例を見れば「アメリカこそは実力の世界だ」のように見えるかも知れない。だが、我が社全体を見渡して州立大学の4年制出身でMBAでもない副社長兼事業部長はいなかった。殆どの副社長たちはハーバード等の有名私立大学のMBAを取得している当世界なのだ。

さらに解りやすく言えば「アメリカの会社組織における人事では、年齢は要素ではない」なのである。「その会社のその事業部に中途採用されて入ってくるまでの経験と実績と、採用の面接で事業部長かまたは担当部門の責任者が応募者の実力をどのように判定したか」で判断するので、年齢は全くと言って良いほど考慮されていない。現に、私は事業部本部の中で最年長者だったが、年齢による分け隔てなく全員と強調して仕事をしていた。

ここまで打ち明けたのだから、最も印象に残ったエピソードを紹介して終わろう。それはCがGMに昇進した時には、嘗ての上司Rが彼の部下である部長になってしまったのだ。Cは私に苦笑いしながら言った事は「現在では俺の年俸は部下になってしまったRよりも少ないのだ」だった。

これは「年俸制」であるアメリカならではの出来事。年の間に昇進したCの年俸はそのまま据え置かれた為である。しかも、アメリカの制度では役職手当も何も、一切の日本式に細分化された手当はないので、Cは本部長の役職に就いただけだったのだ。彼は翌年に自らの手で年俸を引き上げたとは聞いていなかったが、昇給したのは間違いない。