新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

トランプ大統領に見る日本とアメリカの文化比較論

2018-08-26 08:12:23 | コラム
トランプ大統領がポンペオ長官の訪朝中止発表、中国を批判:

この件は渡部亮次郎氏の「頂門の一針」第4783号で採り上げられているので、ここで私が詳細に触れる必要もあるまい。但し、想起させられたことは1回目(になるのだろうか。英語に the first and the last という言い方があるのも思いだした)の会談前にも一度破棄して見せたという実績がある。だが、今回は個人企業のオウナーだった頃の手法そのままに側近を雇っては解雇し続けた中の一員のポンペオ国務長官の出張を例によって記者会もなく延期と発表したのだった。面白い大統領だと思う。

私がここで触れたいのはそういうトランプ様の政治手法ではなく、アメリカ人で大手企業の事業本部長以上に就任した支配階層に属する連中が使う駆け引きの手法である。実際には何もそこまで偉くなっていないマネージャー級でも使う(週刊誌の野球評論家が使う言葉にある)言葉学でもある。私はこれを「君たちの Yes but 方式だ」と指摘してやったことがあった。要するに対話では上司が先ず部下を持ち上げる話から入ってくる手法だ。

具体的には如何なる手法かと言えば「何か小言を言うか、相手に危機感を覚えされる為には乃至は先ずは良い気分にさせて置いてから、実は本当はそれでは駄目なんだ」と厳しく批判するか、指導するか、考え直せという本論に入る前の序論なのである。簡単な例を挙げれば「君はこの仕事を今日まで誠に良くやってきてくれた」と切り出すのである。馴れてくれば、こう来た時には後は碌なことしか言われないと解るのでつい身構えてしまう。

従って次に来るのは「この点とあの点をほんの少しで良いから改善する処方を見出すよう懸命に努力してくれれば一層素晴らしくなって、事業部全体の業績も一層伸びていくことになるだろう」なのである。良く考えなくとも解ることで、これはかなり厳しい難しいお小言なのである。だが、言われている方の顔は十分に立てられているように聞こえなくもない。だが、実際に言われた方が何を為すべきかが解っていない場合にはかなりな衝撃を受けるのは必定。でも必ずと言って良いほど奮起して解決する。それが出来なければ、最も軽くても降格人事が待っているのだろう。

この手法をトランプ大統領の言動に当て嵌めてみると、金正恩でも会う前はと言うか当初はリトルロケットマンなどと言ってこき下ろしていたが、会談の直前や後では「良い奴だ」に変わって行った。プーテイン大統領に対してさえも批判は止めて親愛の情さえ示してみせる。これを豹変だの何のと言うとしたら、それはアメリカ人、それも上級管理職からそれ以上の支配階層にいる連中がどのような言葉学を仕込まれて育ってきたかを知らないことを示すだけだ。

これはただ単に英語がペラペラと喋れるだけのアメリカ通では容易に認識できないだろうと私は思う、我が国とは異なる企業社会における文化の違いの一つであると、体験上も考えている。トランプ大統領は現にTwitter では金正恩委員長に「再会を楽しみにしている」という親しみを表しているような表現を使ったではないか。

私は先頃トランプ大統領が次々と打ち出す独特な政策の結果がはっきりと出てくるまでは、彼の論評はしないと言った。今回は決して論評ではない文化比較論のつもりだ。もしも、かなり手厳しい論評をと望まれる方がおられれば、 President誌の2018 9 17号の108頁に掲載された大前研一氏の「日本のカラクリ」で「マスメディアも衰退とトランプ大統領の暴走」のご一読を薦めたい。小見出しが「指導者が異常でも国民は馴れてしまう」となっている。実際の内容はトランプ様のみの批判ではない。




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