自民党石破政権に思う事:
実は、マスコミ論調と所謂世論なるものが余りにも「短兵急に」とでも言いたくなるほど「石破過半数割れ内閣は短命に終わるだろう」と予測するよりも「短命に終わらせたい」と報じるのを見ていて感じた事があった。それは「そういう事を過剰に騒ぎ立てると、案外そうとはならないのがこの世の常である」なのである。即ち、閃いたのは「期待?に反して石破内閣は長続きするのでは」というものだった。
石破内閣は短命か:
それかあらぬか、昨2日に2局に登場した田崎史郎氏は「石破内閣は短命に終わる事はないのではないか」と語っておられた。石破首相も所信表明でも、昨日の代表質問の答えでも「103万円の壁の打破」等々の野党から責め立てられている重要(なのだろう)な問題の審議/検討は来年に持ち越すと、寧ろ余裕すら感じさせる答弁で躱していた。その表情は就任当初よりも明るさを感じさせていた。
企業からの献金禁止問題についても「それが我が党の政策を歪めるものではないと看做している」という、全く討論しようとする意志を感じさせない答え方で押し切っていた。これでは答えになっていないのだと思う。何処の世界に「献金して貰った企業に意に沿うような政策を採用してきた」と認める政府と与党があるかという事。あれは単なる説明であり、それで逃げ切ってしまうという意志の表れと聞こえた。
要するに、石破首相は野党とdodge ball(ドッジではなくて「ダッジボール」なんだけど)のゲームをやっているような調子で、危ないボールが飛んできたら、ヒラリと体をかわして見せただけ。そのボールを受け取って投げ返す事なく、ゲームを続けていくつもりであるかのよう。いきなり決めつければ「財務省の意に沿わない財政負担になる政策は採用しない」と言っているのと同じであるかのように聞こえた。
政府と与党間の意志の疎通:
こう表現するのが適切かどうかは解らないが、昨日BSに登場された井上信治議員は「103万円の壁」問題への対処を突っ込まれると「代わりになる財源が担保されていない以上、慎重に対応せねばならない」と逃げるだけで、玉木雄一郎国民民主党代表と議論する意志は全くないような言い方に終始した。
それはそれで党を代表する責任ある立場で登場したのだろうから、石破総理/総裁以上の事は言えない(あるいは言ってはならないと縛られていたのだろうから)のは当然だろうと思う。だが、重要な案件については一議員に討論する意志を見せないという事は「自由民主党内では専制国家の如く、外部への発言が統制されているのでは」と疑いたくなった。
自民党は各局が力を注いでいるかのように見えるBSの番組に送り込む議員は、概ね都下の有名進学校から東大法学部を経て中央官庁、さらにそこからハーバード大学やオックスフォード大学等のアメリカやUKの有名大学の修士号や博士号を取得された中堅の精鋭を送り込んでくる。先の選挙で落選した牧原秀樹氏などは典型的なお利口さんだったのである。
Debateが出来ない/しようとしない:
昨夜の井上信治氏も同様に、言質を取られないような賢い発言で躱していた。無表情で教条的というか原理主義的で実が伴っていない事ばかり言うので、聞いている方にすれば「出てくるなよ。それしか言えないのであれば」と言いたくなってしまう。尤も、「そうやってボールを捕球して投げ返さないで時が経つのを待っているのが自民党の政治」なのかも知れないが。
アメリカのように中学や高校で「debateを教えなさい」とまでは言わないが、もう少し国会でもテレビでも白熱した腹蔵なき議論/意見交換の機会があっても良くはないだろうか。「103万円の壁」の件についても、テレビ局の司会者は「落とし所を何の辺りに設定されていますか」という、私に言わせれば愚問なのだが、我が国独特の妥協点を探るような事を訊いている。「偶には腹を割って言い合えよ」なのだが。
私が心配している事は「こんな事を何時まで続けているのか。この状態では海外に出れば・・・」と言いたくなってしまうのだ。次なる相手は「アメリカ第一」と「自分第一」を信条として強引に自己都合だけで議論を推し進めようとする、かの強引なる大統領のトランプ様なのだから。
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