昨17日夜の対チュニジア代表とのサッカーを見て思うこと:
FIFAのランキング第19位の我が代表が29位のチュニジア代表に2対0で勝った試合の内容と、第二次森安体制下では無敗を続けたという良い話はテレビと新聞にお任せして、昭和20年=1945年に蹴球部に入って古き良き時代に蹴球を始めた私が、あの試合を見て感じたことを回顧談と共に語ってみようと思う次第だ。
*ルールの変化:
ずっと指摘しようと思っていて今日まで来てしまった。21世紀の現代人はご存じないかも知れないが、往年の蹴球では「選手の試合途中の交代」は認められていなかった。即ち、誰か壊れてしまったならば、10人でやることになっていた。また、GKは「ファイヴ(5)ステップ」という規制に縛られていて、ボールを捕った後には5歩しか歩くことが許されていなかった。現在の規制と比較して見て欲しい。
次はゴールキックで「一旦ペナルティーエリアの外側に蹴り出すこと」と定められていて、エリア内では誰も触れなかった。キックオフもセンターサークル内に2人並んで立ち、どちらかが先に蹴ってボールが1回転するまでは隣の者は触れなかった。であるから、キックオフからウイングプレーヤーを走らせて置いて、いきなり敵陣深く蹴り込むとか、2人目のFWは相手が当たりに寄ってくる前に急遽後ろを向いて、ハーフバックにパスをするような方法を採っていた。現在は即後方に蹴っている。
これほど細かい点が変わっているので、そういう変更があったと知らなかった私などは「アナウンサーなり解説者にはそのような変更があったと指摘をする親切心がないのか」と不快に感じている。
また「背番号10」を何か栄光の番号であるかのように言うのも奇妙だと感じている。WMフォーメイションの時代には背番号がポジション別で決まっていたので、「何を言っているのか」と奇異の感にとらわれていた。あれは、その昔には左のインナーの番号に過ぎなかった。
*戦法の変化:
昨夜の試合でも、我が代表は吉田麻也がいなくなっても「暇さえあれば、思い切って後方にパスを展開して横から横へと動かして(英語では“move the ball“などと言っているが)、前方で何処かに空き地が出来るか、誰かが果敢にも動き出すのをジイッと待つ戦法を多用するので、見ている方が欲求不満になった。即ち、「格下が相手でも積極果敢には攻めないのか」と。
ところが、格下のチュニジアも何を思ったのか、我が方を見習ったのか、後方への展開を頻繁にやって見せてくれた。そんなことだから、後半のアデイショナルタイムのまたアデイショナルかなと思わせられた頃になって、漸くゴールの直ぐ横を外れたシュートが1本出来ただけに終わったのだ。
解説の槙野だったか松井が指摘したように、彼らは日本のサッカーのスタイルに慣れるか馴染むまでは「何をしに来たのか」と疑いたくなったほど、思想も理論の裏付けもないサッカーをやっていた。テレビも新聞も「勝った、勝った」と大喜びだが、彼らは何であれほど森保監督と協会に気を遣うのか解らない程見所がない試合だった。
*久保建英:
森保監督は昨日も久保を最後までピッチに置いておかなかった。何度でも言うが、監督さんは久保のようなタイプの選手が嫌いなのか個人的に合わないのかと疑いたくなる。昨日などは解説者たちが「流石にものが違う」と絶賛していたし、私も同感だった。
あの後半に漸く2点目になった、久保が左サイドをキープして上がり、中の動きを良く見て上がってきた伊東純也の前にフットボールで言う「りードをつけた横パス」を通して、鮮やかに反対である右足で蹴り込ませた辺りの上手さには唸らせられた。それでも、監督さんは橋岡程度と入れ替えるのだ。
*選手たちの進歩:
立派なものだと思う。ヨーロッパで一本目を張っていられる者が増えたという事は、昨夜のような格下と見えた相手には余裕すら感じさせた。全員が非常に一所懸命に忠実な動きで守っていたし、体格の不利など殆ど気が付かなかったほど巧くなっていた。
上手くなったという点では伊東純也が私の目には最も素晴らしい。彼は当初は単に足が速いというだけが売りで雑だったのが、あそこまで足の速さを活かすサッカーが出来るようになっていた。私が望むことは「彼も他の者たちも、もう一歩、決定力をつけて欲しい」だけである。
私の目には「未だエースストライカー」と呼べる者が育っていないのだ。それは、ヨーロッパのリーグではそのポジションを任せて貰えるまでの領域には達していないという事か。折角あの次元にまで上達したのだから、もうそろそろ「後方への躊躇なきパスの展開戦法」から脱却しても良くはないのかな。偶には、目の前の敵を抜いて見せて欲しいと願うのは無い物ねだりか。
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