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ナチス・ドイツがチベットから持ち去った仏像、その素材は隕石

2012-10-10 | ラジオ
ナチスの調査隊が、かつてチベットから持ち去った不思議な仏像、これは数千年前に地球に落下した隕石の欠片から出来たものだった。ドイツのシュツッツガルトの研究者たちが明らかにした。
男性を模った鉄製の彫像は、鉄の男と呼び習わされ、その胸には卍が記されている。

ナチス親衛隊のハインリッヒ・ヒムラー隊長の支援の下で、1938年、アーリア人種の起源をさぐる研究機関アーネンエルベが行ったチベット調査、この際にチベットから多くの古代遺物が持ち去られた。なかには終戦後、アーネンエルベの保管庫から紛失したものもある。そうした(?)遺物が現在、どこにあるのか、それを知るための手がかりは乏しいが、時が経つにつれ隊長エルンスト・シェーファーの下で行われた、この探検隊の戦利品は個人所有者のもとで再発見されつつある。今回の不思議な彫像にも同様のことが起こった。

この彫像は、あるいは毘沙門天を、あるいは(?)をかたどったもの、といったい何をかたどったものかは説が一定していない。
しかしともかく鉄の男と学者達の間で呼び名表されている。
その男性の坐像には、その胸には卍が記されている。卍は幾世紀にもわたり様々な文化圏で生命過程、太陽、光、幸運など様々なシンボルとして用いられてきた。
しかし20世紀になって、ヒットラー率いるナチス・ドイツのシンボルとして有名になり、多くの人にネガティヴな連想を引き起こすものになった。
しかしそれ以上に、この彫像に付いて奇妙な点は、全長24cmと比較的小さな彫像ながら、重さが10kmもあるということだ。

2007年に所有者が亡くなり、彫像はオークションに出品された。新しい所有者となった無名のコレクターは、謎めいた彫像を国際的な研究に委ねることに決め、ドイツのシュツッツガルト大学に赴いた。化学分析の結果、彫像が約1万5000年前に現在のロシアとモンゴル国境付近に落ちた、チンガ隕石の欠片で作られたものだと判明した。

このチンガ隕石について最初の報告がもたらされたのは1912年のこと。この年、ポドフレプチンスキイ、現在のタンジンスキイ地区のアルゴリク川、現在のウルガイルィク川、およびその支流チンガ川に到着した探険家が、隕石の欠片を見つけた。
奇妙な、そして大量の鉄塊を最初に集め、ペテルブルクに持ち帰ったのはニコライ・チェルネーヴィチだ。
鉄の塊の来歴について最初に正しい診断を下したのもこの人だ。科学アカデミーの同僚たちも、鉄の塊は天然ニッケル鋼だと主張し、宇宙規模の事象だとは信じかねていたが、チェルネーヴィチは早くもチンガ川の発見を隕石と名指ししていた。

鉄の男の研究を行ったシュツッツガルト大学の、エルマー・ブフナー教授によると彫像は約1000年前に作成されたものだ。
こうした驚くべき発見は通常、あまたの懐疑論に遭遇するものだが、彫像の研究に参加しなかった学者たちも、鉄の男と隕石の関連性の存在は認めているようだ。
アメリカの地質学者チン・ジュ・イン博士は語っている。
地球上の人工物どれひとつをとっても、これほど高いニッケル含有率を示してはいない。化学元素は嘘をつかない。

彫像の原料については学者たちの意見が一致している。となると、あとは美術史家、宗教史家が結論を出す番だ。ただ一つ争いの余地のないことは、鉄の男の数奇な運命がアドベンチャー映画インディ・ジョーンズ・シリーズの一作になってもおかしくないということだ。

(?)は何と言ってるのか不明
隕石コレクター―鉱物学、岩石学、天文学が解き明かす「宇宙からの石」
クリエーター情報なし
築地書館

10月5日放送 ロシアの声・ラジオジャーナル