『杯が乾くまで』を書き始めて丸2年が経ちました。3年目のスタートに当たり、デザインを一新してみましたが、いかがでしょうか?
この2年間、ブログを通していろいろな経験をしました。まずなんといっても大きかったのは、書いた原稿が瞬時に公表されることへの驚き。ライターになったばかりの頃は、原稿用紙に鉛筆なめなめ書いて、出来上がった原稿は直接編集部へ持っていくか郵送し、何度も校正を経て、活字となって世に出るのは早くて1週間後。遅いものでは半年ぐらいかかっていました。そんなロートル世代ですから、まずファックスが世に出た時にはビックリ! 原稿を家から直接先方へ送れるなんて…とエラく感激したものでした。
次に衝撃的だったのは電子メール。原稿を紙に書かず、電子信号でパソコンから送れるなんて…。当初はマックを使っていたので、ウインドウズ派のクライアントとは何度となくトラブルがあったものの、この10年ぐらいの急激なIT化によって、とにかく書いた原稿は居ながらにして入稿でき、校正も居ながらにしてチェックできるようになり、書いたものが公表されるまでのタイムラグはどんどん短くなりました。
そしてブログの登場です。私が『杯が乾くまで』を始めたのは2007年12月ですから、こういう業界にいる人間にしてみたらオクテのほうだったかもしれません。今まで下請けの身分で、執筆者の名前がクレジットされない仕事で生計を立てていた自分にとって、実名を名乗って堂々とモノが言えるという爽快感と、書いたものが瞬時に公表されることへの戸惑いが交錯しつつも、取材現場で出会い、仕事では伝えきれなかった対象者や対象物への思いを、実名執筆者として許される範囲で書いてみたいという欲求に抗えませんでした。
お世話になっている評論家の金両基先生に「趣味は何かね?」と問われ、「書くことです」と応えて先生から呆れられ、改めて自分の欲の深さ?に気づかされたこともありました。
ただ、そんなこんなで、未だにロートルブロガーゆえ、失敗や反省も多々あります。
過去2年間、ブログにアップした記事で、内容に対するご意見をいただいて反省と謝罪の念に駆られ、記事そのものを削除した例が3件あります。また掲載した写真や記事の表現についてご指摘をいただき、訂正した例は2件ありました。
削除した記事のひとつは、ある大手メディア会社を訪問した際の記事で、著作権にひっかかる写真を掲載してしまったこと。これは先方から直接お電話でご指摘いただき、その場で謝罪しました。マスコミに関わる仕事をしている身の上で、なんともお恥ずかしい話です。
2例目は懇意にしている飲食店の開店記念パーティーに招かれたとき、県外の大手酒造メーカーの酒を試飲し、その酒の印象を雑感として書いた記事。その酒の試飲が目的ではなかった会に参加して、偶然試飲することになり、メーカーの営業が仕切っていて、楽しいはずの会が…というテイストで、試飲した酒そのものは静岡酒を飲みなれている自分や同行者には物足りない味だった、ただ食事が進めば気にならなくなる、と、飲み手としての印象をストレートに書いたのでした。
これに対し、その大手メーカーの営業担当者がメールで営業妨害ではないか、というニュアンスの意見を寄せてきました。個人の雑感で書いたものでも、営業妨害と見られてしまうことへの戸惑いと反発は正直ありましたが、日本酒の応援団を名乗っている身の上で、酒に対してマイナス情報を発信するのは本意ではないと考え、削除することに決めました。
削除3例目は今年10月に沼津で開催された、静岡県酒造組合主催・静岡県地酒まつり2009の報告記事です。
今回の地酒まつりは運営方法が変わり、スタッフからもゲストからも様々な反響があったと思います。私はスタッフ側の内情と、一般ゲストの声の両方を知る立場にあり、正直にいえば、現場でいろんな声を聞いて過剰に反応し、事後はかつてないほどの疲労感に陥ったのでした。
報告記事は、現場で起きた出来事の背景や事情をきちんと調べてから書くべきでしたが、自分にとって大切な酒友や、業界に貢献してくださった方からの反響が重かったため、自分が代表して“クレーマー”になろう、自分が発言すれば組合側は今後の対策の参考にしてくれるかもしれない、と、変に肩に力が入り、間髪入れず、現場で見聞きした出来事をそのまま書いてしまったのでした。
その後、記事を読んだという組合理事のお一人から、「気苦労をおかけし申し訳なかった」と丁寧なお電話をいただき、内容への指摘は特段なかったので自分の思いは通じたのだと安堵しました。
ところが11月初め頃、組合とは別組織の人から呼び出され「組合理事会で鈴木さんの記事が問題になっている」と聞かされ、ビックリしました。「現場で見聞きしたことをそのまま書いてしまったので誤解や間違いがあるようなら直接うかがいます、理事会へもどこへでも出向きますとお伝えください」と答えました。
その後音沙汰はなかったのですが、今月中旬、組合から会長名で、組合に対する誹謗中傷であるとの抗議文と謝罪要求が、配達証明文書で送られてきました。この要求は組合員全員の総意である、と強い文言でした。
これほどの一大事になってしまっていた事実を知らずにいたことに、恥ずかしさと同時に、「いっときの感情のまま、その場の事を書いてしまう」ブログの怖さに自ら陥り、それが「現場の率直な声だから」とどこかで言い訳していた自分の短慮に気付かされました。
組合を誹謗中傷する気持ちなど元よりまったくなく、記事の書き方が過激だと受け取られたならば、運営が変わったことへの現場の戸惑いと情報の行き違いによるものです。しかしながら、事情や背景を調べず、真相とは異なる情報を記事にしたことにより組合の関係者を傷つけたことは、いただいた文書を通し、改めて痛感いたしました。重々反省し、心よりお詫び申し上げます。
事情を知る関係者と相談の上、記事は本日(20日)をもって削除しましたので、あわせてご報告いたします。
このこととは別に、1000人以上も集まる飲酒イベントでは、想定外のトラブルや、参加者の温度差・蔵元スタッフ側の温度差が生じるものです。
運営方法を変えたのであれば、(いつも実行委員会で反省会を開くはずなので)良かった点・改善すべき点をぜひ検証をし、来年以降、よりよい地酒まつりの運営に反映していただきたい。これは地酒まつりを20年余応援し続けてきた一参加者の希望としてお聞き留めください。よろしくお願いいたします。
2年間の総括が長くなってしまいましたが、最後にブログを始めてよかったと思えることを少し。
『杯が乾くまで』の一日あたりのアクセス件数は150件前後です。この数字が低いのか多いのか想像がつきませんが、基本的にこのブログの存在を知っているのは私と直接関わりのある人だけだと思いますので、知り合いの間に限った中だとしても、毎日自分の原稿を三桁のカウントで読まれている事実には、素直に喜びを感じています。
その中でも、意外といっていいのか、検索キーワードを分析すると、多いのは「地酒」ではなく、「歴史」「朝鮮通信使」「NPO」なんですね。たぶん地酒に関係するホームページやブログはごまんと存在するので、私みたいなローカルライターの個人日記的ブログは、「酒」のカテゴリーでは目に留まらないのでしょう。それはそれでちょっと寂しい話ですが…。
「朝鮮通信使」に関するアクセスが多いというのは、とても光栄です。この分野は研究者の間でも発展途上だと聞いていますので、たぶんブログのような媒体でこれだけ通信使のことを書いている人間はあまりいないだろうし、関心のある人が注目してくれているというのは書き甲斐を大いに実感します。
また、ごく少数ですが、このブログを読むことを日課にしてくれている、という方もいらっしゃいます。こんなダラダラとした文字だらけの記事を、読む習慣にしてくださっているなんて、これこそライター冥利に尽きるというもの。その方々の習慣にお応えしていくレベルの記事を、これはライターの使命として発信し続けていかねばと思っています。
この先も、筆が走りすぎて失敗やご迷惑をおかけするかもしれませんが、お気づきの点があればどんどんご指摘ください。
3年目もどうぞよろしくお願いいたします。