春節も終わってたまたま日本に来ていた中国の人たちも帰国して少しは落ち着くかと思っていました。
しかし国内ではコロナウイルスの騒ぎは収まりそうもありませんがちょこっと出かけてみました。
京浜東北線の上中里駅です。生まれて初めて下車しました。
高崎線や宇都宮線・京浜東北線を利用することは結構ありますがあまり存在感のない駅ですね。
京浜東北線の北行に乗って山手線と別れる田端駅から一つ目です。
駅を降りると「蝉坂」の案内がありました。東京はどこに行っても坂の多い街です。うしろに新幹線の高架線がみえます。
平塚神社のかたわわらに30~40間の坂あり、六阿弥陀第三札所無量寺に続くとなっています。
さて今日の目的地、平塚神社の参道が見えてきました。
東京にあっても静かです。歩いていてもウイルスの心配はなさそうです。
お水舎も手を洗った後はふたを閉められるようになっていました。
平塚神社は平安後期に八幡太郎源義家公(源頼朝・義経の先祖)が奥州征伐の凱旋途中にこの地を訪れ領主の豊島太郎近義に鎧一領を下賜したのが始まりです。その鎧を埋めて塚を築き自分の城の鎮守としました。塚は甲冑塚と呼ばれ高さがないために平塚と呼ばれたそうです。
そんなことより平塚神社といえば内田康夫の浅見光彦シリーズですよね。前にある平塚亭の団子とともにファンにはおなじみです。
内田さんは北区西ヶ原に住んでいたのでこの辺がかなり舞台になっています。
北区役所の第一庁舎1階のロビーに行くと浅見光彦の住民票が500円で販売していたので記念に購入しました。
他人の事実証明をとるので浅見光彦の委任状とか行政書士の証明書が必要かと思いましたが何もいりませんでした。
内田さんは1980年「死者の木霊」でデビューしましたがその時は自費出版だったそうです。
驚いてしまいますね。ある程度有名にならないとなかなか相手にしてくれないのかもしれません。
実はご隠居も100万円も使って自費出版したことがありますが未だにまったく有名になっていません。
こうしてみると北区は意外にみるべきところの多い観光地ですね。
以前に写真教室で出かけた旧古川庭園(当ブログで紹介済みです)もここからすぐです。
テレビでおなじみ平塚亭です。
浅見光彦ばかりでなく「おかしな刑事」の舞台にもなっています。
伊東四朗と羽田美智子が団子をおいしそうに赤い毛氈の縁台座って食べているシーンがありますがここは販売しているだけです。
別の場所で撮影しているみたいです。
中に入ってみましょう
内田康夫さんのサインやドラマに出演した人々の写真がありました。
みたらし団子 140円、豆大福も有名なんですと女主人が言ってました。160円
添加物が全然入っていないようでその日のうちに食べないと固くなってしまいました。
それにしても内田康夫さんの作品は次から次へとドラマになるので本を買って読む気になれませんでした。
83歳(2018年)で亡くなるまでどれくらいの小説を書いたのでしょうか。そしてご隠居みたいな暇な老人をTVで楽しませてくれました。
せっかくここまで来たので帰りに本屋さんによって並んでいたなかの一冊を買ってきました。
もしかしたらテレビで見たかもしれないと思って読み始めましたが途中までは記憶にはありません。もっとも最近はすぐに忘れれからなぁ。
昔、高橋治の「風の盆恋歌」という恋愛小説が結構よかったのを思い出しました。
これも内容はすべて忘れましたがあのころから富山県八尾町の「風の盆」祭りが有名になりました。
越中おわら節,三味線の音色、幽玄の世界、夜更けの町をしんみり流していく、賑やかで明るい阿波踊りと正反対のお祭りみたいです。
最近は9月の3日間で20万人もの人が観光バスや電車で山間の町に押し寄せるそうです。
ご隠居の友人が行ったときはかき氷一杯食べるのも大変で二度と行きたくないと言ってました。
ほとんどの人は富山市内や宇奈月温泉温泉などからやってきて2,3時間で帰るので早朝の時間の雰囲気の良さがわからないとか。
平塚亭の並びにある独立法人国立印刷局東京工場の前に来ました。
祝日だったので休みです。インターネットで予約しておけば工場見学もできます。
刷ったばかり一万円札が段ボールに詰め込まれ廊下に所狭しと積んであるかもしれない。そんなことあるわけないかな。
大阪で花見ごろになると通り抜けで有名なのは独立法人造幣局というみたいですよ。コインが中心です。
どっちにしろ官僚の天下り先に組織を変えて退職金あっちこっちでもらってあるいているのでしょう。
単なる印刷している人たちは財務省だろうが独立法人だろうがどうでもいいんじゃないでしょうか。
さてこの後はTVでもお馴染みの「十条銀座」に行ってみました。次回にね。