2014FIFAワールドカップリオ大会が始まりました。
早々にスペインが大敗したり波乱含みですね。日本チームの仕上がりはどうでしょうか?
しょぼいブログなんかやっている場合ではありませんが2日目の渓谷鉄道の旅を簡単に紹介しておきます。
2日目は草木ダムから出発です。
レイクサイト草木から見た早朝の袈裟丸山方面
草木ダム
草木ダムを始めとして八木沢、藤原ダムなどいくつかのブレンド水を南関東の人たちは飲んでいます。
命の源です。
さて足尾の街に出てみました。駅でいうと通洞駅です。
足尾の街は大学の時演習林実習の授業で松木渓谷の方まで行き樹木はおろか草一本生えていないような鉱毒がもたらした寒々とした景色に驚きました。
それ以来気に入っていた一軒宿のかじか荘(庚申の湯)に何回か来たり、行政書士会の旅行で、そして今回、来るたびに寂れていくなあという感じもします。
世界遺産にでもなってまた賑わいが戻るといいのですが。
そんななかで足尾銅山観光だけはいつも賑わっています。
今回も小学校の遠足の子供たちの元気な子供たちの声が聞こえました。
300mばかりこのトロッコ列車で坑内に入ります。
坑内
江戸時代から採掘が始まり古河財閥に受け継がれ400年の歴史の中で坑道の長さは1200km(東京博多間と同じ)になりました。
明治20年には日本の産銅の40%を産出、足尾の人口も約38000人、現在は合併して日光市となりましたがその直前は3000人台だったそうです。
いいこともあれば悪いこともあります。公害です。
明治の中ごろから鉱毒が渡良瀬川に流れ込み下流の田畑をだめにして、それをごまかすために巨大な渡良瀬遊水地が出来ました。
また製錬所から出る煙で山々ははげ山になってしまいました。
田中正造という議員が出て農民のために反公害に立ち上がりました。現在の環境保護運動なんか生ぬるい感じがするほどの迫力です。
田中正造の半生を読んでみると簡単にすごいなあでは済まされないような気もします。
中国でも環境悪化に苦しんでいるみたいですが、どこの国でも先進国に至るまでの同じ道。
謙虚に日本に助言を求めればいいのになあと思います。
さて当時の精錬所跡の方に行ってみました。
古河橋
明治23年ドイツ技師による設計、トラスト式鉄橋で日本に現存する道路用鉄橋としてはもっとも古いものに数えられるそうです。
足尾製錬所
銅山の歴史と共に歩み常に日本の精錬法の先端を行き世界中からも注目を集めました。
大煙突は大正8年に建てられ高さ50m、直径6m、製錬所のシンボルです。
昭和48年閉山、その後輸入石を精錬していましたが平成元年に完全操業停止。
一時は魚も生息できないほどだった渡良瀬川もいろいろな人たちの努力によってきれいな水が戻ってきました。
さてまだ沢山の産業遺産はあるのですが車がないとちょっと無理という感じです。
今回はこの辺で帰路に着くことにしました。