さて堺田分水嶺から封人の家(旧有路家住宅)にやって来ました。
封人の家(ほうじのいえ)とは国境を守る役人の家のことです。ここが仙台領と境を接する新庄領堺田村の庄屋の家、つまりこの旧有路家と言われているそうです。
国の重要文化財です。
元禄2年(1698年7月)芭蕉一行は日暮れ頃になってこの家に辿り着いたことになっています。
大雨のため2泊3日したのち山刀伐峠(なたぎりとうげ)を超え尾花沢の鈴木清風を訪ねていきます。
曾良の日記には「十七日快晴、堺田ヲ立ツ」と書いてあります。
中に入ってみましょう。
江戸時代の農家の土間はだいたいこんな感じでしょうか。
最上町は江戸時代中期には「小国駒(おぐにこま)」と言われた馬の産地だったそうです。
「オメェだな。芭蕉の翁の枕元で小便していたのは」
「そんなヒーーーンのないことしていませんよ」
しかし300年以上たってもこうして家が残り、俳句のためにわざわざ木彫りの馬まで置いて沢山の観光客をもてなしています。
やっぱり松尾芭蕉さんは偉大な人です。
一般の旅人はこの囲炉裏の回りで雑魚寝したみたいです。
すでに江戸で有名人だった芭蕉一行はこの床の間つきの部屋で過ごしたのではないでしょうか。
奥の細道(尿前の関)中段
三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。
「三日も雨に降られて本当に困ったね」
「日記にも何も書くことがありません」
「気象予報士はベラベラどうでもいいこと喋っているが明日の天気予報もなかなか当たらない。おしゃべり男は役に立たないねぇ」
「アタシの方をみて言わないで下さいよ」
「まあ暇なおかげで一句できたよ」
蚤虱 馬の尿する 枕元 (のみしらみ うまのばりする まくらもと)
蚤や虱に責められて眠れない枕元では、馬が小便をする。
「アラッ!そんなこと書いていいんですか?」
「なにがだい?」
「とぼけちゃって。有路さんには良い部屋に泊めてもらったのにそんな俳句にしたら馬小屋にでも泊まったようじゃないですか」
「これの方が旅の侘しさが出て、そのうえユーモラスの一面も出したつもりだよ」
「のちに朝日新聞みたいにねつ造記事というか俳句で訴えられますよ」
「僕にはね良心があるからね。朝日新聞の記事は宣伝以外はみんなでたらめだといううわさがあるよ」
「そんなこと言っていいんですか。朝日新聞のファンだって沢山いるわけで奥の細道が炎上しますよ」
「おお怖い くわばらくわばら」
「蚤虱の」句碑
このあと芭蕉一行は山刀伐峠を越えて大石田、立石寺へと南に向かいそこから今度は北上します。
新庄から最上川下りで再開してその後は羽黒三山に登り鶴岡へ、そこから船で酒田に出てまた我々と再会します。
我々は堺田駅にもどり陸羽東線の終着である新庄駅を目指します。