8月のお盆休みに東北地方を旅行して芭蕉さんの余韻を感じてきました。
東京駅8時56分発「やまびこ129号」で出発です。
前方にはつばさ129号山形行きを連結しています。(写真では手前)
新幹線にはいろいろ方面ごとに名称がついていますが「やまびこ」という名前が一番好きです。
緑深い列島の山奥をピーポ、ピーポとのんびり走っていく感じがします。ほかの新幹線と同じスピードなのですが。
今回は7号車の7番、ちょっといい番号で旅に期待が持てます。
仙台駅には11時に到着。東北線の普通列車に乗り換えます。
小牛田駅(こごた)に到着です。
お昼にしようと駅前を歩いてみると道路は広く歩道は気持ちよく整備されていますがとにかく人がいないので活気がありません。
食堂に入ると地元の企業の人達がまとまってランチしながら賑やかに話をしていたのでほっとしました。
小牛田駅からは陸羽東線の旅が始まります。(奥の細道湯けむりライン)
小牛田駅~新庄駅94.1km
そして古川駅にて下車。新幹線の停車駅ですが陸羽東線を全線乗りたいので遠回りしました。
奥の細道<石の巻>冒頭
十二日、平和泉とこころざし、あねはの松・緒だえの橋など聞き伝えて、人跡稀に雉兎蒭襄(ちとすいじょう)の往かふこともわかず、終に路ふみたがえて石の巻という湊に出。
とあります。
(歌枕で有名な緒だえの橋やあねはの松に寄り道して見学しようと思ったが猟師やきこりの通るような道に迷い込み気がついたら石巻港に出てしまった)
古川駅より10分ほど歩くと小さな川のほとりに緒絶橋の碑が建っていました。
みちのくの おだえの橋や 是ならん ふみみふまずみ こころまどはす
左京太夫道雅
由来の文章
平安時代に嵯峨天皇に寵愛された「おだえ姫」が都を追われて会えずに過ごすうちに毎日を悲観してこの川に身を投じたそうです。
平安時代「緒絶橋」は悲恋の枕詞になったそうです。
いくら好きでも死んだら終わりだから、天皇陛下ような雲の上の人でなくても美男子の馬番でもみつけてやり直せばいいのにとご隠居なら考えますが如何なものでしょう。
最近ではこんなけなげな女性は山奥に分け入っても棲息していないのではないでしょうか。
そういえば週刊誌に書いてあったけど深田恭子はいまだに王子様が白馬に乗って迎えに来てくれるのを待っているそうです。
だれか古道具屋で勲章でも買って服にピカピカつけて白いベンツにでも乗って求愛したらどうでしょうか。
市民ギャラリー緒絶の館は休館中でした。
「曾良さんよ、平和泉(平泉)には急ぐ旅でもないので歌で有名な緒絶橋にでも寄り道していきましょう」
「翁、その橋とやらはなんですか?」
「きみはモノを知らない男だねぇ」
「アタシが目から鼻に抜けるような鋭い男ならじいさんの後ついてみちのくの辺鄙なところを旅なんかしてませんよ。今頃深川で俳句学校の理事長でもしてます」
「君は俳句はへただけど口だけは相変わらず達者だねぇ」
「翁、ぶつぶつ歌枕の講釈垂れているうちにどんどん山奥に入ってきましたよ」
「君ちゃんとナビしてくれないと困るよ」
「急に言われても衛星から情報得ているわけでもなく手持ちの地図には何も書いてないですよ」
「なんだか海が見えてきた。石巻という湊にでたみたいだ」
「なるほど」
「なるほどじゃないよ、僕はね、大所高所からもの考えているんだから細かいことはマネジメントしてよ」
「何言ってるんだか。無給ですよ」
緒絶橋の隣に「みちのく食の蔵 醸室(かむろ)」という小さなテーマパークがありました。
江戸時代に建設された酒蔵を改装した大小10棟ほどの蔵の中にはレストランや雑貨店がありました。
さて芭蕉さんと曾良さんは石巻へと北上しましたがご隠居は古川駅に戻り再び陸羽東線で西に向かいました。