酒田の町を半日ばかり奥の細道から離れてのんびり散歩しました。
まず酒田と言えば倉庫群、山居倉庫(さんきょそうこ)です。
舗道のマンホールにも倉庫の絵が描いてありました。
昔、JR東日本のポスターに倉庫をバックに清楚な吉永小百合さんの写真が映っているのがありました。
山居橋から中に入りましょう。
明治26年に庄内藩主酒井家が米の保存と集積を目的として建造されましたが現在も稼働中なので一部のレストランとか土産物屋さんしか入れません。
1棟だけ「庄内米歴史資料館」になっていて庄内米の歴史を紹介しています。
横浜の赤レンガ倉庫でもレストランとお土産屋さんばかりですが、まあ雰囲気を楽しむということでいいのではないでしょうか。酒田に来た、横浜に来た、港町だなと感じるだけで。
まばゆいばかりの緑陰です。
倉庫内のレストランで麦きりを食べました。
小麦粉をこねて薄く延ばして細かく切ったものだそうです。うどんに似ていますがもっと腰があってしまっている感じです。庄内地方の海岸部では麦きりと呼ばれているそうです。
さて次は本間家旧本邸です。
右側に本間家の理念を表す臥龍の松が見えます。
入場料700円もしたのに内部は撮影禁止なので庭だけ撮りました。
1768年に本間家三代光丘が本陣宿として新築して二千石格式の長屋門構えの武家屋敷です。
次に鐙屋に向かいます。
途中に酒田町奉行所跡がありました。
鐙屋です。
鐙屋は酒田を代表する廻船問屋で江戸時代を通じて繁栄し、日本海海運に大きな役割を果たしたそうです。
本性を池田といいましたが1608年領主最上義光から鐙屋の屋号を与えられてからは、鐙屋惣右衛門と称しました。
また酒田36人衆として町年寄役を勤め、町政にも重要な役割を果たしました。
その繁栄ぶりは井原西鶴の「日本永代蔵」にも記されているそうです。
入場料200円でしたが内部は撮影許可でした。
何処に行ってもこの手の人形があります。
石置杉皮葺屋根(いしおきかわぶきやね)が特徴です。
次は本間美術館です。
本館(清遠閣)
6000坪の敷地内に回遊式の庭園、鶴舞園があり鳥海山を借景とし林泉の風致を整えた池があります。
それを挟むように本館と新館(美術館になっています)があります。
「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と歌われた酒田の豪商本間家です。
美術館の方もミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで二つ星の評価を得ていて見どころ沢山です。
さて今回の奥の細道旅行譚はひとまず終わりです。
おまえのブログなんか大したことないじゃないかと言われそうですが最近、
盗作だ、コピペだ、エンブレムだ、かぼちゃだへちまだとうるさいので参考にした本を書いておきます。
芭蕉俳句集(岩波文庫)
芭蕉奥の細道(岩波文庫)
入門松尾芭蕉 奥の細道(宝島社)
奥の細道の旅 ハンドブック(三省堂)
奥の細道ーマンガ日本の古典(中公文庫)
その他駅前観光案内書のパンフレットの文章も盗作しました
なお この奥の細道旅行譚は学術的にはなんの価値もありません。また芭蕉さん曾良さん一行を誹謗中傷するものではありません。
当たり前といえば当たり前です。
高校時代は古文は一番嫌いな方に入る授業でしたがブログにしようと読んでいると興味がわきました。
学問は興味がわかないとやらないものだなこの年になって改めて感じました。
帰りは「いなほ14号」酒田発18時2分、新潟からは「とき348号」20時19発、検見川浜に着いたのは24時近くになり長い1日でした。
酒田駅ではお盆の最終日(15日)ということもあって賑やかでした。
都会に帰る若い家族に見送りに来ている爺ちゃん婆ちゃんが孫にニコニコしています。
地元に残って仕事や学校に行っている若いグループが都会に帰っていく同級生と談笑しています。
そしてお盆休みに観光に来ている人たちが自宅に戻ります。
そしていなほ12号やキラキラ羽越が発車して我々が乗る羽越線最終、特急のいなほ14号が出るころには駅も閑散としてきました。
ホームに涼しい風が吹いてきて東北も秋が近いなと感じました。