毛越寺(もうつうじ)にやって来ました。
平泉駅をでて反時計回りに歩いてきましたが毛越寺は駅からまっすぐに歩くと10分ぐらいです。
毛越寺入り口が見えてきました。
右側には観自在王院跡の広大な史跡公園が目に入ります。
観自在王院は二代基衡の妻が建立した寺院で阿弥陀堂が池に臨んで建てられていたそうです。
安倍昭恵さんもくだらない小学校を作るのなんかに奔走しないで立派なお寺でも建てたら如何ですかね。
現在は建物は失われてしまい今は遺跡が修復されている最中です。
陸奥の片田舎と言っては失礼ですが広大な建造物がその当時あったのですね。
そんな藤原一族が新興勢力の頼朝に滅ぼされたのは何がいけなかったのでしょうか。
ご隠居は歴史に疎いのでよくわかりません。
早速中に入ってみましょう。
毛越寺本堂
奥州藤原氏二代基衡、三代秀衡が造営しました。
当時の伽藍は中尊寺を凌ぐと言われていましたがご多分に漏れずすべて焼失してしまいました。もったいない!
裏手に回って大泉が池を廻りましょう。
850年に慈覚大師がこの地にさしかかると一面霧に覆われて一歩も進めなくなりました。
なんとか先に進むと白鹿がうずくまっていました。大師が近づくと白鹿は姿を消し白髪の老人が現れました。
この老人は「この地に堂宇を建立して霊場にせよ」と告げました。
大師はこの老人が薬師如来の化身と感じ一宇の堂を建立したのが寺の起こりだそうです。
大泉が池は平安時代の浄土庭園を今に伝えています。
汀には洲浜、荒磯、築山などの海浜の景趣が配されています。
ご隠居は功徳を積んでいないので極楽浄土に行けないかもしれません。
遣水
山水を池に取り入れるための水路。
谷川を流れ下り更に蛇行しながらゆったりと平野を流れる川の姿を表現しています。
でもあの世に行って毎朝読経をした後こんな池のほとりで鶯の声でも聞きながらうつらうつらしていたらいいですね。
時には下着の見えるような絹衣をまとった美女がお酌してくれたりして。ドヒャー。
ご隠居はまぁこの世でしぶとく長生きしそうだよね。
おばちゃんは大泉が池を見ながら何を考えているのかな。
開山堂
慈覚大師をお祀りしています。
常行堂。
極楽浄土のような池をひと回りしました。
がやっぱりまだこの世で飲んだり食ったりしていたいなと思いました。
さてさて芭蕉一行は毛越寺には寄らずに南下して岩手山から尿前の関に進みました。
当ブログではこの先酒田までは掲載済みです。次は象潟からですが・・・・。
せっかく陸奥にいるのでさらに北をめざ、しご隠居が勝手に行く「僕の細道旅潭」です。
次回は厳美渓です。