遠野市から花巻市に戻って来ました。
花巻といえば宮沢賢治、イーハトーブの町です。
明治29年8月花巻市の大金持ちの商家に生まれました。
まずは羅須地人協会に行ってみました。
道路の反対側は花巻空港です。関西あたりからくる飛行機が多いようです。
周辺の花巻温泉や鉛温泉など有名な場所は国際航業の所有の所が多いようです。
花巻農業高校を辞した賢治が自炊、農耕生活を場所。
農業指導やコンサートなども開かれました。玄関先の黒板「下ノ畑ニ居リマス」は賢治直筆の再現です。
大正10年に上京。印刷物の更生などで自活、創作に励みましたが8月に妹トシの病気で地元に戻ります。
30歳になってから羅須地人境界を設立して活動を始めました。
そして昭和8年9月には永眠してしまいます。37歳。
羅須庭園。県立花巻農業高校の学生や地元の人も管理しているみたいです。
さて次に「イギリス海岸」に行ってみました。
農業高校教諭時代に生徒を連れて行った「イギリス海岸」は北上川河畔にあります。
北上川西岸に青白い凝灰石の泥岩が川に沿って広く露出していたために、そこにいると「イギリスあたりの白亜の海岸を歩いているような気がしました」と作品に書いています。
いまは堂々と北上川が流れていますが賢治の頃は水量が少なかったそうです。
さて駅に戻って来ました。
疲れたので林風舎に入ってお茶を飲みました。
1階は土産物さん、2階は喫茶店、コンサートも開かれたりして感じのいい場所です。
花巻は宮沢賢治記念館や童話村、イーハトーブ館とか賢治の残したゆかりの地の風景が広がっていそうです。
これから盛岡まで行くのであまり時間がありません。
しかしせっかっくここまで来たのでタクシー飛ばして花巻東高校に行ってみました。
大谷祥平君や菊池雄星君が出た高校です。一目拝みたかった。
敷地内に入って先生に千葉から来た田舎者ですが大谷君の活躍に感銘しているもので一枚写真を撮ってもいいか尋ねました。
どうぞどうぞとパンフレットもいただきました。
グランド。
大谷君も一時故障者リストに入っていましたがまた出場枠に入って来ました。
頑張ってください。謙虚で大好きです。