芭蕉一行は天候が悪く酒田から象潟には雨が激しくて苦労したようです。
曾良の日記
16日吹浦ヲ立。番所ヲ過ルト雨降出ル。女鹿、より難所。馬足不通。
・・・・・・・ウヤムヤノ関成ト云。此の間、雨強ク甚濡。・・・・
昼ニ及テ塩越ニ着。佐々木孫左衛門尋テ休。衣類借リテ濡衣干ス。ウドン食。
・・・・17日小雨朝食後、皇宮山蚶満寺へ行。・・・・・・・
・・・・18日快晴。・・・
芭蕉は雨に濡れた合歓の花が咲き、悩める美女西施(せいし)のようだと感嘆しています。
芭蕉が訪れたのは8月1日(陽暦)だから残花があったかもしれない。
ご隠居は9月になっていたのに少しみられてよかった。同じ花でも芭蕉が見たかもしれない場所です。
今野又左衛門の家
芭蕉が宿泊したという能登屋の跡地を見ながら今野又座衛門の跡に辿り着きます。
象潟の名主で芭蕉訪問時心から丁重にもてなしたと言われています。
熊野神社
芭蕉来遊時の「所の祭」というのは熊野神社の祭礼です。ちょうどお祭りの時で女客で混んでいて最初の日は熊野屋ではなく向屋に宿泊したみたいです。
芭蕉といえどもすんなり宿が取れないことがあるんですね。
象潟橋。正面に雲が覆ていますが鳥海山です。
1689年に芭蕉もこの景色を見たのでしょうか。まあ鳥海山だけは同じ姿でしょう。
それにしても感激します。
町並みは新しくなってしまいました。
鎧下見板といって日本の代表的建築物です。
下見板材を横方向に1寸2分(36mm)ほど重ね合わせて張り込む。
重ね合わせたのにくせを押し縁で(縦材)で抑え込んでいきます。
とても通気が良いそうです。
史蹟 船つなぎ石
昔象潟川をさかのぼってきた和船が綱をかけて船を止めました。
それだけではなんにも面白くないのですが芭蕉と曾良もここから船に乗って象潟の美しい八十八潟九十九島の島巡りをしました。
なるほど。
腰丈橋(こしたけばし)
熊野神社の御祓いの禊を行う場所で御手洗川とも言われた神聖な場所です。
芭蕉も 腰長(丈)や 鶴脛ぬれて 海涼し と詠んでいます。
駒留島
この辺りから九十九島島巡りのコースとなっています。昔は潟湖(湖水)になっていたのでしょう。
芭蕉も船の上から島々を遊覧したのでしょうか。
もうちょっとでいなほが黄金色になるのでしょう。ちょうどいい時に来るのは難しい。
芭蕉は松島は笑うがごとく象潟は憾むがごとしと象潟の景色にはどこか憂いがあるとの感想です。
句にある西施(せいし)とは古代中国の絶世の美女であるが敵国の王を惑わすために差し出された薄幸の美女です。
芭蕉が来遊後115年経過した1804年の大地震で湖底が隆起し、文字通りの蒼海変じて桑田と化しました。
島の周りは水田になってしまい遠くを見ると風力発電の羽が回っています。芭蕉も現在に来たらびっくりするでしょう。
それにしても我が国は地震の多い国ですね。