ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

2019/8月

2019年08月04日 | 日記

ようやく暑くなってきた令和初の夏です。

ちょっとばかりうんざりしますが3週間ばかりは我慢してスイカやビールを楽しみましょう。

今年の夏の予定は如何ですか。ご隠居はひたすら自宅で涼んでいます。

昼間はクーラーで(新しくしたので電気屋さんの話では大幅に電気代が節約になっているそうです)涼み

夜になったら東京湾からの風を楽しみます。

7月25日ZOZOマリンスタジアムで全国高校野球選手権千葉大会の決勝戦が行われました。

美浜地区保護司会は「社会を明るくする運動」のキャンペーンのPR活動で参加しました。

ちなみにご隠居が写真を撮っているので写っていません。

 

ひとすぢの 茜の雲を 従えて 梅雨の晴れ間の 月山昏れゆく

(朝日歌壇 山形市 渡海美和さんの作品)

一昨年ご隠居は夏の出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)を廻ったことを思い出しました。(当ブログに掲載あり)

特に湯殿山は神秘的でもうひとつ違った世界に来た感じがしました。

森敦さんの小説「月山」の舞台になった注連寺もすごく良かった。

時間い余裕のある人には絶対にお勧めの観光コースです。

 

8月になりました。

検見川神社のお祭りです。

今年もいつものように検見川神社の森はまぶしいくらい緑が一杯です。

いつもと同じというのがいいですね

まだ8月1日午前中ということで閑散としています。

夜になると神輿も繰り出しがぜん元気になります。

ほおずき市もいつものようにこれから賑やかになります。

ほおずきは夏の邪鬼を追っ払ってくれるそうです。

わが家にもひとつ買いました。夏風邪なんか吹っ飛ばしておくれ。

柚木裕子さんの「慈雨」を読んでみました。

(2016年本の雑誌が選ぶベスト10の1位になっているので読んでいる人も多いと思います。今度文庫本になりました)

さて昨年「ちゃぐちゃぐ馬コ」を見に盛岡に行きました。

ステーションビルの中の本屋さんに柚木さんの本が沢山積まれていました。

彼女は岩手県の出身なんですね。作者がどこの生まれだとかは気にしないで読んでいますが地元では応援しているんですね。

その時は「盤上の向日葵」を読んでいてそれも遠野なんかかが出てきて面白かった。

 

警察官を定年退職した主人公が奥さんと四国巡礼の旅に出ます。

その途中でテレビで地元群馬で行方不明になっていた少女の遺体が発見されます。

主人公が群馬県警の刑事だったころに酷似した少女誘拐事件を担当していました。

旅をしながら回想やいくつもの出会い、隠されてていた秘密、そしてかつての部下へ電話でのアドバイスが絡み合います。

そのうちにできることなら四国巡礼にも行ってみたいと思っているのでなおさら興味がわきました。

 

大体本編を読むと後の解説なんかは読んだことがありませんが、

(書店員 松本大介)と言う人が書いているのでめずらしいなと思ってパラパラとめくるとご隠居の考えにすごくピッタリな文章がありました。

ある時を境に、人生とは、目的を持って手に入れて来たものを、一つずつ手放してゆかねばならない旅路となる。

それは遍路に通じる苦行である。

自分の物であると疑わなかったものを、一つまた一つと失いゆく。

望むと望まざるとにかかわらず、その荷を背から下ろして、旅路は終わりへと近づいてゆく。

最後には、唯一無二の自分の命すらも手放して、私たちは一生を終える。

自らの歩んできた旅路を振り返ればわかる通り、晴れていた日ばかりではない。だが、雨の日ばかりでも決してない。

 

さて最近は遠出しないのでご隠居得意の昔話です。

13年近くサラリーマンをやっていましたが取引主任者の資格を取ったのを機会に友人(経験者)と不動産業をやることにしました。(その後行政書士や測量士の資格を取りました)

県庁の免許もすぐに下りないし、仕事を始めたら忙しくなって遊びにも行けないと思い(もっともその後も暇でした)思いっきり不便な所に行ってみようと思い台風でお馴染みの南大東島に行ってみました。

35年以上昔の話です。

南大東島はかつてサトウキビを運ぶ鉄道(シュガートレイン)が運営されていました。日本では夢のような話です。

ご隠居が行った時はもう廃線になっていました。

村の中心の在所とう駅の跡です。

サトウキビ列車の後ろに客車も連結していたみたいです。

SL後はジーゼルカーも走行されました。野ざらしでしたが今はきちんと展示されているみたいです。

島には本船が直接接岸できる岸壁がないので機関車も分解してパレットで吊り上げたそうです。

現在ではほとんどの人は飛行機に乗り、町も随分綺麗になったみたいですね。

こんな具合に走っていたんですね。

南大東島ただ一つの製糖工場です。

春のサトウキビの収穫時期には本島からも応援の人で賑わい、15件を超す料亭がありました。

一面尾サトウキビ畑、その向こうは四方が海で白い波が襲いかかってくるような感じです。

絶海の孤島。

南大東島の人達は八丈島から来た人が多くて戦前はその人たちが権力を握っていたそうです。

南大東島と八丈島はものすごく離れていますが黒潮という道路があったんですね。

何十年も昔の話です。

あの頃に戻りたいなぁ。まだ沢山の呑気な夢がありました。

 

 

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