6月5日安倍晋三内閣総理大臣閣下より布マスク2枚が届きました。
まことに優しい心遣いありがとうございます。
というか扇風機でも出そうかと思っていたところにカイロが届いたような気もしますがいかがでしょうか。
今年は年初から多難ことが多かったですが半分が終わりかけています。
コロナウイルスもそろそろ終盤かと思いきや東京では「東京アラート」の発令です。
月日が容赦なく何事もなかったように過ぎていきますが皆様はどんな感じで毎日過ごされていますか?
ご隠居にとって今年の5月は何十年ぶりかに大きな変化があってみんなに痩せたねと言われています。
しかし何はともあれ「新しい生活様式」に向かって日本も進みそうです。
価値観を 変えるウイルス 林業が 最も安全な 職種となりぬる
(朝日歌壇 東京都 豊万里さんの作品)
これからは職業観も変わっていくのでしょうか
最近ではユウチュウバーになるとか、zozoの前沢さんみたいにネットを駆使して大儲けしてナスダックに上場、六本木ヒルズで生活、女優さんとでも結婚して羽振り良く暮らすのが夢という人も多かったようです。
最近では路面電車の運転手になりたいという子供なんかは少ないのでしょうか。
たまに都電に乗ったりすると運転手さんが「毎度御乗車ありがとうございます。ベビーカーあらかじめ畳んでの御協力まことに恐れ入ります」
まるでデパートのフロアマネジャーのようなやわらかい物腰で、がちゃんとギア入れながら車体を軌道上に滑らせていく姿はおしゃれでいいなと思うのですがね。
林業なども晴れた新緑のころ事務所で打ち合わせをしてから山林を歩き回り昼は渓谷に出てカラの薬缶に清流を汲み焚火を沸かし番茶を入れます。
弁当はぎっしり詰まったご飯に大きな鮭の切り身と昆布の佃煮。昔と違って夕方帰れば携帯もつながるしパソコンも使えて淋しさはあありません。
ご隠居は学生時代農学部でした。マージャンばかりやっていたので林野庁、東京都とか尾瀬林業(東電の子会社)とか試験にみんな落ちて民間会社に就職しました。そこも13年で辞めてしまいました。
同窓会にいくとほとんどの友人は真面目に公務員を定年で退官しています。
そこでは幹事が「お前みたいな学校で学んだことが役に立っていない奴は末席だ!」とか言われ「ヘヘィ。恐れ入ります」と平伏しています。
先日館山にいきました。
昔坂東三十三か所霊場巡りをしていたので懐かしくなってちょっと寄ってみました。
第33番補陀洛山那古寺は巡礼の最後のお寺(結願)です。
鎌倉にある一番杉本寺から始まり神奈川、東京(浅草寺だけ)埼玉、時計回りに群馬、栃木、茨城そして房総半島の那古観音で結願します。
平成12年7月19日に参拝しています。
全部回ったという御朱印帳を見せると立派な「巡拝畢」をいただいて感激しました。
あれから20年もたっていますがこの20年何をしていたのでしょうか?
一緒に回った友人たちも金持ちになったといううわさは聞きませんがみんな元気そうでそれなりによかったんだろうなと思っています。
仁王門
多宝塔と本堂
あっちこっち行ってますが2度目になるとゆっくり出来て20年前のことなんかを思い出してそれなりにいいですね。
霊場巡りしているときは次々と回るのでひとつひとつの印象が薄くなります。
本堂
そういえば「レナウン」倒産しましたね。
ご隠居は学生時代弓道部でしたが口は達者でしたが弓は下手だったのでマネジャーやっていました。
ある時近くの東京女子大から練習試合やろうと申し込みがあり(今でいう合コンみたいなものか)
あの頃は頭のいい女は苦手だなと思いグズグズしていたら向こうから断ってきて、みんなが楽しみにしていたのにとひんしゅくを買ったのを覚えています。
夏休みに入る前に納会、最後の練習を終えて道場や芝生で飲みます。
今みたいにカラオケはないのでただ大きな声でがなり立て歌を歌います。
ドライブウェイに春が来て イエ イエ イエ
おしゃれでシックなレナウン娘がわんさか わんさか
イエーイ イエーイ
このあとみんな故郷に帰っていきます。
あの頃に戻りたい。
館山湾
補陀洛は よそにはあるじ 那古の寺 岸うつ波を 見るにつけても
(那古寺の御詠歌)
美しい弓なりの砂丘に、緩やかに寄せる白波がおだやかです。
相模の鎌倉から武蔵丘陵、やっと安房の国にたどり着いたという感じがします。
東野圭吾さんの「クスノキの番人」を読みました。
東野圭吾の大ファンですのでこのブログでもかなり紹介しています。
今回は大きなクスノキともう二つテーマがあります。殺人事件ではありません。
クスノキは常緑樹、暖地に生息して特に九州に多くあまり山の中には見られず人里近く特に神社に大木が多い。特異な芳香を持ち葉は防虫剤、鎮痛剤になり樟脳の材料になります。
窃盗未遂で捕まった主人公の玲斗は突然現れた叔母のおかげで示談が成立して釈放される代わりに、150年以前前からあるクスノキの番人を命じられます。
東野圭吾の作品は最後になってかなり重要なことがわかるので息が抜けません。
読んでいない人がいると悪いのですが今回「認知症」が大きなテーマになっていたのです。
途中では全然気が付かなかった。家族愛の話だと思っていました。
ここからはおまけ。
ご隠居の母が骨折して2か月余り入院していましたがその間、認知症が進んできて自宅に戻っても介護するのが難しいなと思いました。
ケアマネジャーと相談してあっちこっちの施設を探しました。コロナの問題もあって見学もままならず大変でした。
ようやく幸いのことに近所のグループホームに入所させることができました。
「うちに帰りたい」と泣いているのには困りました。
信州の姨捨山と違って冷暖房完備、食事はおむすびではなく三食老人向きの暖かいメニューなんだからと自分に言い聞かせておいてきました。
樹木は一歩も動かず雨水を葉っぱから幹を通して根っこに導きます。根っこから養分を吸い上げ葉っぱで光合成をしてやがて枯葉がまた肥料になって生き続けます。
人間は美味しいもの食べたり旅行を楽しんだりできますがあっという間に寿命が尽きます。しかし生まれるときと死ぬときは誰かに面倒を見てもらわなければなりません。
ご隠居も最後は苦しまないで砂時計のように減っていく寿命の砂が落ちていくように静かに終わりたいと思うのですがどうでしょうか。
今回はこの辺で。
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