「貴方は尊敬する人がいますか?」という問いに、貴方は即答できますか?
しかし多分尊敬する人が誰かを言う前に、尊敬する人の全体が見えず、尊敬する人をそれほど知らないから、とりあえず自分の知っている僅かな偉そうな人から選ぶしかないですね。
まあ人にもよりますが、イチローとか星野監督とかマザーテレサとか野口英世とか坂本龍馬とか二ノ宮尊徳とか・・・・・思いつくまま出てくるんでしょう。
しかし、まず、一体全体、尊敬する人とはどんな人なんでしょうか?
・歴史上の偉人でしょうか?
・偉大な芸術家や技術者でしょうか?
・いろいろな分野で素晴らしい業績を残した人でしょうか?
・スポーツなどで上り詰めた人でしょうか?
・多くの人を助けた人でしょうか?
多分普通の人の感覚では、世界一や日本で一みたいなヒーロー的な人を選んでしまうのではないでしょう。しかし私は違うと思うんです。ある時期に尊敬された人でも時代が変わり、状況が変われば歴史は厳しいもので、極悪人になる可能性すらあるし、時代とともに忘れ去られていく人も多いのです。またそういう人は、案外根性が曲がった嫌な人や妙な癖のある人であったり、成し遂げた業績は偉大であっても、はたして人間として尊敬できるかというと疑問の人も多いのです。なにしろそういう人とは、直接、話したことも触れ合ったこともなく、小説やテレビなんかで人伝に知るしかないのです。
例えば、織田信長にしろ、豊臣秀吉にしろ徳川家康にしろ、尊敬できることは多くてもそれと同じかそれより多い悪の部分があれば、うかつに尊敬なんかでません。尊敬ということを正確に言うのは、意外にかなり厄介なもんですね。
よくありますよねテレビの画面では、いかにも良さそうな人が、実生活ではかなりひどい鼻つまみな人間であるなんてことが。また人前や会社ではいかにも素晴らしい最高の上司や先輩でも、家に帰ったら奥様やお子さんからは最低の夫であり、親だったなんてことが。そうなると簡単に「誰それを尊敬します」なんて言わないほうが良いようですね。また尊敬して結婚した夫や妻がいざ結婚したら最低の人であったから、すぐに離婚したなんて話は、掃いて棄てるほどありますよね。ああー怖い、尊敬するなんてことそう簡単にはできませんね。
ところで、私流の尊敬すべき人は、「明るく真面目に人間として生きた人」であり、有名人でなくても、有能な人でなくても、お金や芸術品や技術品や建物やシステムなどを作った人でなくても、立派なことを言う人でなくても、世界一でも日本一でなくてもよいと思うのです。
まず尊敬する人を自分なりに定義しないと、自分の人生の目指す方向が見えないばかりか、人生を無駄に過ごすことになってしまいます。正しい目的地がわからないのに自動車で速度上げて走ったところで、当然のことですが、目的地には行き着けません。
私の昔(厳しい大正~昭和の戦後を生きた)の母親は、自分の目で直に見、日々身近に触れた唯一の尊敬すべき人でしたし、今もその思いは変わりません、私が目指す人の重要な一人であるのです。母親自身でも「多分大正~昭和の時代を生き延びてきた私はすごかった、よくあんなことできた」と思っているに違いありません。
当時の母親以外に尊敬する人を言えと言われても、そう簡単には思いつきません。マザコンではなく、身近にそういう具体的に心底尊敬できる人と触れ合った体験がないからです。
尊敬する人とは、身近な存在であり、当り前の生き方をし、真面目で真剣にしかも明るく生きている人の中から選ばれるべきでしょう。
不幸にもそういう人が身近にいない場合は、しかたがないから本やテレビや昔の偉人などから探すしかないのですが、えてしてそういうやり方をしますと、かなり偉い人になってしまいがちです。そんな偉い人を尊敬し目指すとなると、かなりしんどくなってしまいます。二ノ宮尊徳や聖徳太子に直接触れたわけではありませんから、そんな人になれるわけもありません。
なんで私が、尊敬する人なんかテーマに取り上げたかというと、豊かで便利な時代に、人間は馬鹿殿様のような人ばかりになってしまい、しまりのない、重みのない、だらしない人が多くなって、しかも「それでいいんだ」みたいな風潮が蔓延しているからです。特に最近は安倍首相やその後の福田首相、アメリカのブッシュ大統領や最近の不祥事の会社の社長さんや破廉恥な役人どもを見るにつけ「尊敬の昔は、遠くなりにけり」「尊敬はこの世から絶滅の危機」と思うからです。子供達が可哀想です。駄目な時代、駄目な親、駄目な先生、駄目な政治家・役人、駄目な社長・・・・・・ですからね。どうしたらいいんでしょうね?
ホームレスや引き篭もりや、NEETや偽装社長や破廉恥役人などのブラックバスみたいな人ばかり増えてしまい、日本古来の尊敬する人(鮎や鮒)を追いやる時代なんですね。
・「政治家が国民に尊敬されないばかりか軽蔑されている」なんと嘆かわしいことか、希望すら見出せない
・「親が子供に尊敬されず、親殺しが頻発している」なんて情けない恐ろしいことか
・「学校の先生が生徒や親から尊敬されず、こき下ろされ馬鹿にされている」なんとお粗末なことか
こういう中でも、最も恐ろしい・情けないことは、親が自分の子どもに尊敬されないこと、逆に軽蔑されていることですね。子供は親を見ていないようで細かいことまでよく見ているものですよ。
これだけは避けないといけません、最も許し難いですね。
文化というのは、特に精神文化は、日々の暮らしを通じて、否応なしに目や耳に触れ、親から子に伝わるのです。
会社では、社長や上司から社員へ
学校では、先生から生徒へ伝わりますが、
一番大きいのは親です。少々先生や社長が悪くても家に帰って尊敬すべき親を持っていればどうにかなります。
しかし、現代においては、子供達は、「親を尊敬する」とは言わないでしょうし、100点満点ではないかもしれませんが、多少なりとも尊敬する点があればいいのです。
私が昔の母親を尊敬していたように心の底から「親を尊敬しています」と子供に言わせないと親として人間として失格なんです。
しかし尊敬というと「俺は会社で業績あげている皆から尊敬されている」「俺の仕事ぶりは優秀だ」「俺は家族に良い暮らしをさせている」・・・・なんてことではいけないのです。そんなものは、もし子どもが「尊敬しないよ」と言えばそれまでのことなんです。もっと本質的なことで自分を振り返ってみて下さい。もっと人間として、明るく、生き生きと、暖かくかつ真面目にやっているかを振り返って下さい。その上で自分は子供に人間として尊敬される資格があるかを反省してみて下さい。
そして、いつか自分の子供に「親を尊敬しているか?」と訊く勇気ができたら、一度是非確認してみて下さい。多分世の中の大半の親は訊く勇気すらないし、多分「尊敬しています」という答えはもらえないでしょうね。まあ1000人に1人いるか、いないかでしょう。(昔は尊敬されない親のほうが少なかったのですがね)
しかし、現代が、もしそうだとしたら、そういう事実を悲しいと思いませんか?悲しい以前に情けなくありませんか?
人間の大事な役割は、
1)子どもを作る
2)子どもに正しい人間としての行き方を伝える
3)そのために自分自身を厳しく磨く
ことなんです。
ところが豊かで便利になったにも拘わらず、
・結婚しない、
・結婚してもすぐに離婚する、
・子どもは作らないか一人だけ
なんて人が多い
結婚しない人、子ども作らない人というのは、いいですか、
永遠に貴方の存在が途切れ、宇宙から完全消滅(貴方という種が絶滅)することなんですよ。それとも絶滅しても良いほど無価値な人間なんですか?
貴方という人がこの世に存在しなかったことになるんですよ。
・30歳までに結婚しなさい
・子供を作りなさい
・立派な親になりなさい
・そして子供に尊敬される人間になりなさい
・そして安心して死ねるようになりなさい
子供にとって【尊敬する親が、身近にいないということは、子供にとって最大の不幸なこと】です。
まあもう一度、人間とは、親子とは、人生とは、この世に生まれたとは、・・・・・・自分なりに考えてみたいものです。
村上和隆の人生
しかし多分尊敬する人が誰かを言う前に、尊敬する人の全体が見えず、尊敬する人をそれほど知らないから、とりあえず自分の知っている僅かな偉そうな人から選ぶしかないですね。
まあ人にもよりますが、イチローとか星野監督とかマザーテレサとか野口英世とか坂本龍馬とか二ノ宮尊徳とか・・・・・思いつくまま出てくるんでしょう。
しかし、まず、一体全体、尊敬する人とはどんな人なんでしょうか?
・歴史上の偉人でしょうか?
・偉大な芸術家や技術者でしょうか?
・いろいろな分野で素晴らしい業績を残した人でしょうか?
・スポーツなどで上り詰めた人でしょうか?
・多くの人を助けた人でしょうか?
多分普通の人の感覚では、世界一や日本で一みたいなヒーロー的な人を選んでしまうのではないでしょう。しかし私は違うと思うんです。ある時期に尊敬された人でも時代が変わり、状況が変われば歴史は厳しいもので、極悪人になる可能性すらあるし、時代とともに忘れ去られていく人も多いのです。またそういう人は、案外根性が曲がった嫌な人や妙な癖のある人であったり、成し遂げた業績は偉大であっても、はたして人間として尊敬できるかというと疑問の人も多いのです。なにしろそういう人とは、直接、話したことも触れ合ったこともなく、小説やテレビなんかで人伝に知るしかないのです。
例えば、織田信長にしろ、豊臣秀吉にしろ徳川家康にしろ、尊敬できることは多くてもそれと同じかそれより多い悪の部分があれば、うかつに尊敬なんかでません。尊敬ということを正確に言うのは、意外にかなり厄介なもんですね。
よくありますよねテレビの画面では、いかにも良さそうな人が、実生活ではかなりひどい鼻つまみな人間であるなんてことが。また人前や会社ではいかにも素晴らしい最高の上司や先輩でも、家に帰ったら奥様やお子さんからは最低の夫であり、親だったなんてことが。そうなると簡単に「誰それを尊敬します」なんて言わないほうが良いようですね。また尊敬して結婚した夫や妻がいざ結婚したら最低の人であったから、すぐに離婚したなんて話は、掃いて棄てるほどありますよね。ああー怖い、尊敬するなんてことそう簡単にはできませんね。
ところで、私流の尊敬すべき人は、「明るく真面目に人間として生きた人」であり、有名人でなくても、有能な人でなくても、お金や芸術品や技術品や建物やシステムなどを作った人でなくても、立派なことを言う人でなくても、世界一でも日本一でなくてもよいと思うのです。
まず尊敬する人を自分なりに定義しないと、自分の人生の目指す方向が見えないばかりか、人生を無駄に過ごすことになってしまいます。正しい目的地がわからないのに自動車で速度上げて走ったところで、当然のことですが、目的地には行き着けません。
私の昔(厳しい大正~昭和の戦後を生きた)の母親は、自分の目で直に見、日々身近に触れた唯一の尊敬すべき人でしたし、今もその思いは変わりません、私が目指す人の重要な一人であるのです。母親自身でも「多分大正~昭和の時代を生き延びてきた私はすごかった、よくあんなことできた」と思っているに違いありません。
当時の母親以外に尊敬する人を言えと言われても、そう簡単には思いつきません。マザコンではなく、身近にそういう具体的に心底尊敬できる人と触れ合った体験がないからです。
尊敬する人とは、身近な存在であり、当り前の生き方をし、真面目で真剣にしかも明るく生きている人の中から選ばれるべきでしょう。
不幸にもそういう人が身近にいない場合は、しかたがないから本やテレビや昔の偉人などから探すしかないのですが、えてしてそういうやり方をしますと、かなり偉い人になってしまいがちです。そんな偉い人を尊敬し目指すとなると、かなりしんどくなってしまいます。二ノ宮尊徳や聖徳太子に直接触れたわけではありませんから、そんな人になれるわけもありません。
なんで私が、尊敬する人なんかテーマに取り上げたかというと、豊かで便利な時代に、人間は馬鹿殿様のような人ばかりになってしまい、しまりのない、重みのない、だらしない人が多くなって、しかも「それでいいんだ」みたいな風潮が蔓延しているからです。特に最近は安倍首相やその後の福田首相、アメリカのブッシュ大統領や最近の不祥事の会社の社長さんや破廉恥な役人どもを見るにつけ「尊敬の昔は、遠くなりにけり」「尊敬はこの世から絶滅の危機」と思うからです。子供達が可哀想です。駄目な時代、駄目な親、駄目な先生、駄目な政治家・役人、駄目な社長・・・・・・ですからね。どうしたらいいんでしょうね?
ホームレスや引き篭もりや、NEETや偽装社長や破廉恥役人などのブラックバスみたいな人ばかり増えてしまい、日本古来の尊敬する人(鮎や鮒)を追いやる時代なんですね。
・「政治家が国民に尊敬されないばかりか軽蔑されている」なんと嘆かわしいことか、希望すら見出せない
・「親が子供に尊敬されず、親殺しが頻発している」なんて情けない恐ろしいことか
・「学校の先生が生徒や親から尊敬されず、こき下ろされ馬鹿にされている」なんとお粗末なことか
こういう中でも、最も恐ろしい・情けないことは、親が自分の子どもに尊敬されないこと、逆に軽蔑されていることですね。子供は親を見ていないようで細かいことまでよく見ているものですよ。
これだけは避けないといけません、最も許し難いですね。
文化というのは、特に精神文化は、日々の暮らしを通じて、否応なしに目や耳に触れ、親から子に伝わるのです。
会社では、社長や上司から社員へ
学校では、先生から生徒へ伝わりますが、
一番大きいのは親です。少々先生や社長が悪くても家に帰って尊敬すべき親を持っていればどうにかなります。
しかし、現代においては、子供達は、「親を尊敬する」とは言わないでしょうし、100点満点ではないかもしれませんが、多少なりとも尊敬する点があればいいのです。
私が昔の母親を尊敬していたように心の底から「親を尊敬しています」と子供に言わせないと親として人間として失格なんです。
しかし尊敬というと「俺は会社で業績あげている皆から尊敬されている」「俺の仕事ぶりは優秀だ」「俺は家族に良い暮らしをさせている」・・・・なんてことではいけないのです。そんなものは、もし子どもが「尊敬しないよ」と言えばそれまでのことなんです。もっと本質的なことで自分を振り返ってみて下さい。もっと人間として、明るく、生き生きと、暖かくかつ真面目にやっているかを振り返って下さい。その上で自分は子供に人間として尊敬される資格があるかを反省してみて下さい。
そして、いつか自分の子供に「親を尊敬しているか?」と訊く勇気ができたら、一度是非確認してみて下さい。多分世の中の大半の親は訊く勇気すらないし、多分「尊敬しています」という答えはもらえないでしょうね。まあ1000人に1人いるか、いないかでしょう。(昔は尊敬されない親のほうが少なかったのですがね)
しかし、現代が、もしそうだとしたら、そういう事実を悲しいと思いませんか?悲しい以前に情けなくありませんか?
人間の大事な役割は、
1)子どもを作る
2)子どもに正しい人間としての行き方を伝える
3)そのために自分自身を厳しく磨く
ことなんです。
ところが豊かで便利になったにも拘わらず、
・結婚しない、
・結婚してもすぐに離婚する、
・子どもは作らないか一人だけ
なんて人が多い
結婚しない人、子ども作らない人というのは、いいですか、
永遠に貴方の存在が途切れ、宇宙から完全消滅(貴方という種が絶滅)することなんですよ。それとも絶滅しても良いほど無価値な人間なんですか?
貴方という人がこの世に存在しなかったことになるんですよ。
・30歳までに結婚しなさい
・子供を作りなさい
・立派な親になりなさい
・そして子供に尊敬される人間になりなさい
・そして安心して死ねるようになりなさい
子供にとって【尊敬する親が、身近にいないということは、子供にとって最大の不幸なこと】です。
まあもう一度、人間とは、親子とは、人生とは、この世に生まれたとは、・・・・・・自分なりに考えてみたいものです。
村上和隆の人生