私も今は65歳ですが、24歳で故郷の東京を去り、単身大阪の大手の会社に入った頃は、世間や会社の何もわからず右往左往し、仕事のできないことに悩む時期がありました。しかしそういう私も少し仕事ができるようになると今度は、自分の仕事が上司や上の人に認められないことで悩むことに変わっていきました。そして私の場合は10年勤めて、ついに会社を辞めることになったのです。当時は、一流大学の大卒で大手企業なんか簡単に辞めるなんてのは少なかったですね。私も上司から一言褒め言葉でも戴いていれば会社を辞めることもなかったのでしょうね。こういうことで悩む現代の若者は意外に多いのです。でも自分の場合に限っては今思い返せば、そんな会社を辞めて、それで大いに良かったのですがね。
会社に勤めての働き涯というものは一体何なんでしょう。
①給与
②地位
③仕事の成果
④人間関係・好きな人の存在
⑤明るい職場
⑥自己成長
⑦良き先輩
⑧社会貢献
⑨働くことそのものの楽しさ
⑩売り上げ貢献
⑪生活水準の向上
⑫仕事が認められる
まあ会社や仕事が好きになるのはこういう要因によるものです。しかし不思議なことにどこの会社も、こういうことへの配慮はあまりなされていません。むしろ私は、不満や悩み相談を受けることが多いのです。
私もそうでしたが、若い人の相談の多くは、会社を辞めたい、その理由は以上述べた12項目のどれかです。その中で私が最も大事だと思うことは、『12番目の社員の仕事や能力を認めてあげる』ことなんです。まあ私の場合もそうでしたが、素晴らしいことやってもほとんど褒めてもらった記憶がないのです。無関心はいけませんよ、人・物・金等に関心を示すことが経営層にとって最も大事な仕事の一つですよ。反対に怒られることはものすごく多かったように記憶しているんです。その点芸能人や俳優や歌手や芸術家などは、駄目な場合は認められない反面、良い場合は大いに認められ結果が出てきます。一方、会社での仕事は、適時的確に認められる褒められる機会が極めて少なくないのです。社長賞なんてのより、上司や先輩からのお褒めの一言が何倍もうれしいのですがね。同僚は認めてくれても上司や社長は全く認めてくれないとか褒め言葉が全くないのが多くの会社の実態です。
ましてやB君が社長に褒められたなんてのをたまたま見せられると、自分は何故褒められないんだろうと悩むのです。社長は駄目なB君がたまたま良いことをやったので思い切り褒めたのでしょうが、A君にしてみると「なんでB君が褒められ俺が褒められないんだ」と深刻に悩み、想像以上に根深い不平不満に繋がる結果になるのです。
家に帰り奥さんが夕食を作ってくれますね、ところが多くの男どもは「美味しいね」の一言も言わないのです。まあ会社では褒められないと怒っているA君も家ではお母さんに「今日の飯まずいな」なんて言ってしまっているかもしれませんね。他人を認めるなんて、そんなもんです。
人間は他人を褒めないですね。特に男はそういう傾向があります。だから男同士の付き合いは、殺伐としていて暗いですね。女は例え、おべんちゃらでも互いに、相手を褒めまくるのです。それによって褒められるという人間が最も欲していることを相互に満足させあっているのです。奥様は家庭での夫から無視される不満を、外で女友達同士のお世辞の言いあいで解消しているのです。そしてどんどん夫から離れていくのです。会社も同じことで、社員は友人同士で慰めあい上司や経営者から離れていくのです。何なんでしょうね?こんな素晴らしいことをやれないなんて。
人の良い点や優れたことなんて沢山ありますよ。それを見つけて口に出して言ってあげるだけで、言われた人の一日は明るく楽しくなり、お互いの信頼関係も深まるのですよ。
仏教でお布施といいますが、お布施というのは、本来はお金や物以外の暖かさみたいなもんなんですよ。神社仏閣でお賽銭を入れて拝むより、家族や友人や若い人や女の人を褒めることのほうが、よっぽどご利益があります。
そしてその結果その相手から、貴方は非常に良い感情や印象を持たれるのです。「あの人は良い人ですよ」なんて言われるんです。
社長や上司が嫌われる大きなポイントは、自分がやっていることが大したことがないのに、部下を褒めないこと、それどころか部下の不平や不満ばかり口にしてしまうことなんです。家でも同様でして奥様がだんな様を嫌う、子供が親を嫌う最も大きな原因が文句ばかりで奥様を褒めたり感謝しないことなんです。
会社の社長さんや部長なんかが能力のある人間より、胡麻スリ人間を好むのもうなずけませんか?社長や上司は部下の業績を認めずに、自分の手柄に自慢し、一人良い子ぶる傾向があるんです。
ここに、ぴったりとした例があります。その会社の社長さんが何かで自信をなくした時期に、ある日なんとなく「俺は駄目だ、それにひきかえお前達従業員は凄く頑張ってくれてありがとう」と言っそうです。それから社員との関係が良くなったという話しを聞いたことがあります。家庭でも奥様へ、こういう一言が欲しいですね、というのは意外にそのとおりかもしれないからなんです。
ところで厳しい世の中に一人で出て、他人に認めてもらうというのは、予想外に難しいことなんです。だから褒められて舞い上がるなんてのはあまりしてはならないことなんです。よくある例ですが、若くてちやほやっされ、久々にすごい名子役と評判になったが、大人になって予想外に伸びなかったという話が多くあるのです。逆にあまり大したことのない子供が苦労に苦労を重ねて歳を重ねるごとに、立派な俳優になっっていったという話もよく聞きます。
自分であるものを発明した、これは売れると会社を作り製品を売る商売をしてみると、全く売れなかったということもしばしば耳にします。
商売を始めて、立派なオフィスを構えたり、大層なお金をかけて立派な店を作って営業を始めたが最初こそ売れていたが、そのうち全くお客が来ることはなく、早々と店じまいしたという話は事欠きません。本人は「絶対に売れるはずだ」と思うのですが、世の中はそんな甘いものではありません。
また相談に来る若者で「経営コンサルタントでもやってみたいのですが」とか「インターネットで商売を始めたいのですが」なんて軽々しく言われたり、相談を受けます。しかし具体的な話を聴いてみると、具体的なプランや調査分析や指導ツールの準備や話術や原価計算や事前のトライの実績なんか全くできていなのです。まあ一口に言えば、武士の商法もいいとことろで、「世の中が認めてくれるはずだ、こんな良い物を買わないはずがない」なんて勝手に思い込んでいるのです。
私も自分では素晴らしい成果を出しても全く認められず、若い時は長いこと多くのサラリーマン同様にくさり、不平不満の日々であったことを思い出します。しかし私のせめても支えは「俺は誰にも負けない経営管理のプロになる」という目標があったことでした。まあそういう支えがなければ、どこかでくじけていたでしょう。適当におだてられて自己満足していたことでしょう。また私の場合は、会社を転職し環境を変え、それぞれに良い出会いがあり、あれこれ勉強を積み上げることができたことでしょう。
人に認めさすのが人生の目標ではありませんが、人に認められないということは、二つの状況が考えられるのです。
(1)99%:自分の努力不足
(2)残りの1%:世間に知られなかった(=世間に知らしめる努力の不足)
1)ごく一部の人には認められている
2)本人が死んでから認められる場合
貴方の場合はどれでしょうかね?最初に「社員を褒めなさい」と言いましたが、私の場合を思い出してみると、褒められなかったのがどうのこうのというより、いつも怒られていたことが良かったように思います。人間は褒められて伸びると言いますが、そういう人間の多くは並の人間にしかなれません。本物の人間になるには、あまり褒められないほうが良いのです。
ですから若者に言うんです。「私も褒められなかった、でもそのおかげで舞い上がることなく、コンチクショウと自分でいつも頑張り続けてきた、その結果中途半端な自分で終わらずに済んだ
・「誰かたった一人でも自分を認めてくれればそれでいい」
・「自分が死んでから認められればいい」
・「自分の人間としての全体を褒められるまでは、部分的に褒めてなんかくれなくていい」
・「他人に認めて欲しいなんて甘いことは、碌でなしの人間が思うことだ」
・「小ぽけな人間で甘んじるな、大きな人間を目指せ」
ということを言ってあげるんです。
若者には、次のことをモットーにして欲しいですね
「中途半端に褒めてなんかくれんな」
「もっと厳しく言ってくれ・叱ってくれ」
「未熟な自分だ、もっと教えてくれ、もっと鍛えてやってくれ」
「世間のおめえーらごときに俺様のやっていることなんかわかってたまるか、わからんでいいんじゃ」
そのくらいの気概を持って最高の賛辞を得るまでは黙々とやることですよ。そのほうが人生の中身は数倍濃いものになるはずです。ひたすら我慢我慢・努力努力ですよ。
下手な人から、下手なときに、下手なやり方で褒められると、褒められた人はかえって駄目になってしまうこともあるから下手なやり方で褒めないことも大事ですよ。
●中身の薄い人生を求めるのか?中身の濃い人生を求めるのか?
貴方はどちらを選ぶのかそれが問題だ
でも社長さんや上司さん「人を見て法を説け」くじけている部下や若い者には、時々それとなくでもいいから褒めて励ましてやって下さい。最近は真剣に叱ってやれる若者が減っていますから、安易に叱るだけでは自滅してしまいますよ。
奥様やお母さんには「美味しいね、きれいにだね、ご苦労さん、ありがとう」と言ってあげて下さい。奥様も歳をとれば美しくなくなりますよ、でもそれだからこそ「いつまでもきれいだね」の一言が必要なんです。元気のない若者や成果をあげられない若者にこそ「がんばっているな」の一言が大切なんですよ。
村上和隆の人生
会社に勤めての働き涯というものは一体何なんでしょう。
①給与
②地位
③仕事の成果
④人間関係・好きな人の存在
⑤明るい職場
⑥自己成長
⑦良き先輩
⑧社会貢献
⑨働くことそのものの楽しさ
⑩売り上げ貢献
⑪生活水準の向上
⑫仕事が認められる
まあ会社や仕事が好きになるのはこういう要因によるものです。しかし不思議なことにどこの会社も、こういうことへの配慮はあまりなされていません。むしろ私は、不満や悩み相談を受けることが多いのです。
私もそうでしたが、若い人の相談の多くは、会社を辞めたい、その理由は以上述べた12項目のどれかです。その中で私が最も大事だと思うことは、『12番目の社員の仕事や能力を認めてあげる』ことなんです。まあ私の場合もそうでしたが、素晴らしいことやってもほとんど褒めてもらった記憶がないのです。無関心はいけませんよ、人・物・金等に関心を示すことが経営層にとって最も大事な仕事の一つですよ。反対に怒られることはものすごく多かったように記憶しているんです。その点芸能人や俳優や歌手や芸術家などは、駄目な場合は認められない反面、良い場合は大いに認められ結果が出てきます。一方、会社での仕事は、適時的確に認められる褒められる機会が極めて少なくないのです。社長賞なんてのより、上司や先輩からのお褒めの一言が何倍もうれしいのですがね。同僚は認めてくれても上司や社長は全く認めてくれないとか褒め言葉が全くないのが多くの会社の実態です。
ましてやB君が社長に褒められたなんてのをたまたま見せられると、自分は何故褒められないんだろうと悩むのです。社長は駄目なB君がたまたま良いことをやったので思い切り褒めたのでしょうが、A君にしてみると「なんでB君が褒められ俺が褒められないんだ」と深刻に悩み、想像以上に根深い不平不満に繋がる結果になるのです。
家に帰り奥さんが夕食を作ってくれますね、ところが多くの男どもは「美味しいね」の一言も言わないのです。まあ会社では褒められないと怒っているA君も家ではお母さんに「今日の飯まずいな」なんて言ってしまっているかもしれませんね。他人を認めるなんて、そんなもんです。
人間は他人を褒めないですね。特に男はそういう傾向があります。だから男同士の付き合いは、殺伐としていて暗いですね。女は例え、おべんちゃらでも互いに、相手を褒めまくるのです。それによって褒められるという人間が最も欲していることを相互に満足させあっているのです。奥様は家庭での夫から無視される不満を、外で女友達同士のお世辞の言いあいで解消しているのです。そしてどんどん夫から離れていくのです。会社も同じことで、社員は友人同士で慰めあい上司や経営者から離れていくのです。何なんでしょうね?こんな素晴らしいことをやれないなんて。
人の良い点や優れたことなんて沢山ありますよ。それを見つけて口に出して言ってあげるだけで、言われた人の一日は明るく楽しくなり、お互いの信頼関係も深まるのですよ。
仏教でお布施といいますが、お布施というのは、本来はお金や物以外の暖かさみたいなもんなんですよ。神社仏閣でお賽銭を入れて拝むより、家族や友人や若い人や女の人を褒めることのほうが、よっぽどご利益があります。
そしてその結果その相手から、貴方は非常に良い感情や印象を持たれるのです。「あの人は良い人ですよ」なんて言われるんです。
社長や上司が嫌われる大きなポイントは、自分がやっていることが大したことがないのに、部下を褒めないこと、それどころか部下の不平や不満ばかり口にしてしまうことなんです。家でも同様でして奥様がだんな様を嫌う、子供が親を嫌う最も大きな原因が文句ばかりで奥様を褒めたり感謝しないことなんです。
会社の社長さんや部長なんかが能力のある人間より、胡麻スリ人間を好むのもうなずけませんか?社長や上司は部下の業績を認めずに、自分の手柄に自慢し、一人良い子ぶる傾向があるんです。
ここに、ぴったりとした例があります。その会社の社長さんが何かで自信をなくした時期に、ある日なんとなく「俺は駄目だ、それにひきかえお前達従業員は凄く頑張ってくれてありがとう」と言っそうです。それから社員との関係が良くなったという話しを聞いたことがあります。家庭でも奥様へ、こういう一言が欲しいですね、というのは意外にそのとおりかもしれないからなんです。
ところで厳しい世の中に一人で出て、他人に認めてもらうというのは、予想外に難しいことなんです。だから褒められて舞い上がるなんてのはあまりしてはならないことなんです。よくある例ですが、若くてちやほやっされ、久々にすごい名子役と評判になったが、大人になって予想外に伸びなかったという話が多くあるのです。逆にあまり大したことのない子供が苦労に苦労を重ねて歳を重ねるごとに、立派な俳優になっっていったという話もよく聞きます。
自分であるものを発明した、これは売れると会社を作り製品を売る商売をしてみると、全く売れなかったということもしばしば耳にします。
商売を始めて、立派なオフィスを構えたり、大層なお金をかけて立派な店を作って営業を始めたが最初こそ売れていたが、そのうち全くお客が来ることはなく、早々と店じまいしたという話は事欠きません。本人は「絶対に売れるはずだ」と思うのですが、世の中はそんな甘いものではありません。
また相談に来る若者で「経営コンサルタントでもやってみたいのですが」とか「インターネットで商売を始めたいのですが」なんて軽々しく言われたり、相談を受けます。しかし具体的な話を聴いてみると、具体的なプランや調査分析や指導ツールの準備や話術や原価計算や事前のトライの実績なんか全くできていなのです。まあ一口に言えば、武士の商法もいいとことろで、「世の中が認めてくれるはずだ、こんな良い物を買わないはずがない」なんて勝手に思い込んでいるのです。
私も自分では素晴らしい成果を出しても全く認められず、若い時は長いこと多くのサラリーマン同様にくさり、不平不満の日々であったことを思い出します。しかし私のせめても支えは「俺は誰にも負けない経営管理のプロになる」という目標があったことでした。まあそういう支えがなければ、どこかでくじけていたでしょう。適当におだてられて自己満足していたことでしょう。また私の場合は、会社を転職し環境を変え、それぞれに良い出会いがあり、あれこれ勉強を積み上げることができたことでしょう。
人に認めさすのが人生の目標ではありませんが、人に認められないということは、二つの状況が考えられるのです。
(1)99%:自分の努力不足
(2)残りの1%:世間に知られなかった(=世間に知らしめる努力の不足)
1)ごく一部の人には認められている
2)本人が死んでから認められる場合
貴方の場合はどれでしょうかね?最初に「社員を褒めなさい」と言いましたが、私の場合を思い出してみると、褒められなかったのがどうのこうのというより、いつも怒られていたことが良かったように思います。人間は褒められて伸びると言いますが、そういう人間の多くは並の人間にしかなれません。本物の人間になるには、あまり褒められないほうが良いのです。
ですから若者に言うんです。「私も褒められなかった、でもそのおかげで舞い上がることなく、コンチクショウと自分でいつも頑張り続けてきた、その結果中途半端な自分で終わらずに済んだ
・「誰かたった一人でも自分を認めてくれればそれでいい」
・「自分が死んでから認められればいい」
・「自分の人間としての全体を褒められるまでは、部分的に褒めてなんかくれなくていい」
・「他人に認めて欲しいなんて甘いことは、碌でなしの人間が思うことだ」
・「小ぽけな人間で甘んじるな、大きな人間を目指せ」
ということを言ってあげるんです。
若者には、次のことをモットーにして欲しいですね
「中途半端に褒めてなんかくれんな」
「もっと厳しく言ってくれ・叱ってくれ」
「未熟な自分だ、もっと教えてくれ、もっと鍛えてやってくれ」
「世間のおめえーらごときに俺様のやっていることなんかわかってたまるか、わからんでいいんじゃ」
そのくらいの気概を持って最高の賛辞を得るまでは黙々とやることですよ。そのほうが人生の中身は数倍濃いものになるはずです。ひたすら我慢我慢・努力努力ですよ。
下手な人から、下手なときに、下手なやり方で褒められると、褒められた人はかえって駄目になってしまうこともあるから下手なやり方で褒めないことも大事ですよ。
●中身の薄い人生を求めるのか?中身の濃い人生を求めるのか?
貴方はどちらを選ぶのかそれが問題だ
でも社長さんや上司さん「人を見て法を説け」くじけている部下や若い者には、時々それとなくでもいいから褒めて励ましてやって下さい。最近は真剣に叱ってやれる若者が減っていますから、安易に叱るだけでは自滅してしまいますよ。
奥様やお母さんには「美味しいね、きれいにだね、ご苦労さん、ありがとう」と言ってあげて下さい。奥様も歳をとれば美しくなくなりますよ、でもそれだからこそ「いつまでもきれいだね」の一言が必要なんです。元気のない若者や成果をあげられない若者にこそ「がんばっているな」の一言が大切なんですよ。
村上和隆の人生