村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

第48号 村上和隆の人生塾「一言」   歳とって、[気がついたら自分自身が何もなかった]で良いのか?

2008-09-10 06:34:46 | 人生
関西ISOシニアコンサルタントネットワーク代表村上和隆:東京出身-大阪赴任-京都事務所-滋賀田舎暮し (東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク代表)

※お知らせ:今後4~11月は事務所が滋賀の山中になるため毎日掲載できなくなります、やや日があきますが了解下さい

48.歳とって、[気がついたら自分自身が何もなかった]で良いのか?

毎日世界中の60億人が、忙しく働き、大量のエネルギーや資源を使い、便利な機械を使って、何やらワサワサやっているが、それに見合った、それなりの価値あるものが出来上がっているのだろうか?人間自身は本当に成長しているんだろうか?
地球を破壊しそうな勢いで世界は、慌ただしく、うごめいているのに、どう見ても、人間は堕落し、どんどん退化し続けているような気がしてならない。
私も含めて、ある程度の歳をとって、自らの人生を振り返ったときに、生まれてから何十年もの間「やれ成功だの、失敗だの、進歩だの、一番だの、成長だの、幸福だの、平和だの・・・」とわめきたててきたが、

・気がついたら自分自身が何もなかった、「一体自分は何者なんだ?」
・気がついたら、自分自身の創造に踏み出すことはなかった
・そして、未だに自分自身を見出す機会もなかった
・気がついたら、敷かれた軌道の上を・枠の中を・重い荷物を背負って暮らしてきただけだった
・偉そうなこと言っても、所詮、ギャギャー鳴き騒ぐだけの、籠の中の小鳥・檻の中のお猿・井の中の蛙・レール上の貨車
・”糞爺じい・糞婆ばあ・糞がき”なんていう軽蔑用語があるが、人間なんて所詮、”糞人間”で一生を終わるものなのだろうか?

賢者は基本や原点に学ぶ・賢者は自然に学ぶ・賢者は艱難辛苦に学ぶ、そういう姿勢が年々なくなっていくように思う。過剰な贅沢さや便利さや平穏さや安全さを捨てないと人が人でなくなるかもしれない

かなり歳をとったからと言って遅くはない、一度自分のカンバスを全部完全洗い・消し去って、1~2年その無地の状態のカンバスを眺め、3年目からおもむろに、自分の考える自分をカンバスの上に大胆かつ素直に描き始めたらどうだろうか?
そんなことを3年越しでやってみたら、ひょっとして、僅かでも、そこに今まで固定概念や社会のしがらみにがんじがらめに縛られていた自分ではなく、本来の自分らしきものが描かれるかもしれない
古来、都を捨て山中に一人篭り暮らす人がいたというが、そういう人も自分自身のカンバスをまず消し去りに、そして新たな自分を描くためにそうしたのであろうと思う。
知恵も力も美も金も物も使い方を間違えると殺傷する武器に変わるが。人間も生き方を間違えるとその生き方が自分自身を殺してしまうものである。

このたび村上和隆人生塾を開校しました。
日本人自ら心の再生をしようではありませんか?
村上和隆人生塾のホームページへ
村上和隆高齢者のための健康体操支援のホームページへ
村上和隆の会話塾
村上和隆の会話ブログ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする