村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

78.地球環境崩壊は、確実かつ急速に悪化していくが、一体誰が真剣に取組むのか?

2007-02-23 22:19:40 | 環境
地球環境問題は、最近いろいろな具体的な悲惨な異常現象の進行によって世界中の人々も、やっと少しは危機感や地球環境問題の重要性の認識が高まってきたように思います。
何事も切羽詰らないと人間の意識は高まらないようです。
「実際に問題になってから、やるでは犬畜生以下」じゃないですか。
地球環境問題は重要な問題だと言いだしたのは、かなり昔のこと1970年前後でしょうか。その後日本では、公害問題などは飛躍的に改善される一方で、年を追って地球環境問題の深刻さは大きくなっていくばかりです。
その結果、洪水・旱魃・暴風・竜巻・不漁・生態系の変化・気候の変動・大雪・暖冬・猛暑・氷河の融解・黄砂・砂漠化・難病奇病・生物の異常繁殖・・・・・がこれでもかこれでもかと、自然の神様からつきつけられている。もう手遅れではないか?
しかしこれだけつきつけられても、ノーテンキな人間はまだ懲りるどころか、
①エアコン使うのは当たり前
②自家用自動車乗るのは当たり前
③天井一杯にまた夜の夜中に無駄な照明つけるのは当たり前
④エレベーター・エスカレーター使うのは当たり前
⑤電気製品使い放題も当たり前
⑥レジ袋貰うのは当たり前
⑦過剰包装当たり前
⑧食べ物残すのは当たり前
⑨ごみとして捨てるのは当たり前
⑩ガスや水を無駄使いするのは当たり前
⑪つまらんイベントや祭りや宴会・大会・・・をするのは当たり前
⑫手当たり次第印刷物にするのは当たり前
⑬コピーするのは当たり前
⑭夏にネクタイ・背広着るのは当たり前
⑮経済成長は当たり前
⑯寒くない地方でも冬の暖房は当たり前
⑰使い捨て次から次に新しいものを買い換えるのは当たり前
⑱都会集中・田舎の過疎化は当たり前
⑲戦争するのは当たり前
⑳軍備増強にお金や努力をするのは当たり前
「環境改善しましょう」と提案しようもんなら、90%の人は抵抗勢力と化し、大反対・猛反対の大合唱だ。小泉さんじゃないが、こいつら自身をぶっ壊さないと駄目なようだ。
第二次大戦後は、物資欠乏もあって、私の小さい頃には物を大事に使うことを嫌というほどやってきました。自動車や電気やレジ袋なんかほとんど使いませんでした。しかしそういう時代に育った人々さえも、この重大な地球環境問題の局面において環境にやさしい行動を完全に忘れ去っており、真剣な行動を起こそうとしている人はごく僅かです。
ましてや、私達のように徹底した節約とか修理とか再使用などということを知りもしないしやったこともない若者達にとってはそんな時代に戻るなんてことは不可能と言わざるをえない。そうであれば、地球環境問題への真剣な対応は、我々古い世代が生きている今すぐに着手しておかないと益々手遅れになる。
最近日本は不景気だという。だから経済発展が必要だという。(愚か者めが!)
そうではないでしょ。「不景気・収入が少ない・高齢化・小子化」結構じゃないですか。不景気・収入が少なくても、質素な暮らしでも、楽しくゆとりをもって生きていける皆が協力し支え会う国づくりこそが今求められていることではありませんか?安倍さん、それこそが美しい国ではないのですか?あんたは逆のことをやろうとしていませんか?
絶好のチャンスじゃないですか?ところが安倍首相や大臣や多くの知識層も相変わらず経済発展を前提とした改革を提唱する。
資源も化石燃料もない日本ですから、節約・倹約なんてことは一旦やると決めれば、簡単なことで一昔前に戻りさえすればいいのです。地球が崩壊する日のことを思えば、資源や化石燃料の大幅節減なんかわけもないことです。エアコンや自家用自動車などを年を決めてその日から一斉に止めればいいんです。どちみちそういう事態はいつか(あと30~70年か?)必ずやってくるのですから、早くやっておくことです。そういうことは歴史が嫌というほど教えてくれていませんか?日本から自家用自動車がなくなったら昔のように、道路はスイスイ、随分すっきりしますよ。
今は、もう環境破壊阻止に間に合うぎりぎりの段階なんです。しかもその削減は最低でも50%というとてつもないものなんです。
かつて堺谷太一氏がいったように「トウーリトル・トウレイト」であれば、確実に地球は崩壊を加速していくんです。
砂上の楼閣のように、頼りない砂でも砂があるうちはどうにかこうにか建っているのですが、砂が崩れ出せば、その上の楼閣がアッと言う間に倒壊するのは、しごく当たり前のことなんです。
南極や北極の氷河が溶ける様を見るにつけ、氷河が崩れることは、その上に建っている人間の暮らしが砂上の楼閣のように一挙に崩壊する姿を想像するのです。
しかし不思議と世界規模のこういう大きな問題がかつてなかったせいか、世界全体のことだから自分のこと、自分の国のことと意識できなくなっているのです。これは単に錯覚なんです。もし自分一人が大変な状況になるとか自分一人が死の危険に遭遇するという場合は、当事者は大騒ぎするのですが、世界全体の問題となると、なぜか態度が大きくなって「どうせ世界が全部駄目になるんだ、その時は俺も潔く死ぬ」なんて言う感覚の人が圧倒的に多いのです。
次のようなことを言う人がおられます。「地球環境問題は重大問題ですから、多くの人が関心も持っているはずです」と。しかし大きな間違いです。これだけテレビ・新聞や週刊誌でも騒がれているのに「地球環境問題に本当の意味で関心を持っているのはせいぜい10%なんだ」そうです。
地球環境問題だけでなく、何事によらず大きな問題でも関心を持つ人の割合というものは、10%以上になることはないそうです。これだけ駄目政治家や役人が多いから多くの人は選挙に関心を持ち選挙に行くだろうと考えていると、政治に大きな関心を持っている人は、同様にせいぜい10%以下なんだそうです。だからその証拠に投票率は、むしろどんどん下がって行くじゃありませんか。
物事というのは、かなり身近に迫ってくるまでは、せめて10%以下の関心を持つ人によってのみ支えられる運命を持っているものらしいのです。
もしこれが10%を超えるようでしたら、環境問題の対策もズンズン進むのですが、そういうことは理論的にも現実的にもないらしいのです。
そういえば通常時において、会社でも真面目に真剣に会社の経営のことを考えて仕事をしている社員というのもせいぜい10%未満でしたね。会社が人員整理とか倒産だとなってからやっと多くの社員が真剣に経営のことを心配するのです。
もし10%以上の社員が通常時に経営に関心を持ち仕事をしている会社があったとしたら、それは相当に凄い立派な会社なはずですよ。
100人の集団・1000人の集団~1億人の集団、大きくても小さくても真剣な人間は、せいぜい10%以下という法則があるから地球環境問題対策も進展は期待できそうもないですね。世の中というものは進歩すれば進歩するだけ、同じようにして最後は堕落していくもののようです。
1) http://www.meico.org/kankyoukaizen.html
2) http://www.meico.org/kankyouhousin.html
3) http://www.meico.org/kankyoudoukou1.pdf

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